見出し画像

剥製は、生前の生とは別の生を生きはじめているように思えるのです。 2020/04/27

早起きというよりは夜中に起きてそのまま読書しているのが捗る。日中になってしまうと慌ただしいし、慌ただしい気持ちのままだと夜もそんなに捗らないので子供と一緒に寝てしまって目が覚めたところから読み始める。これが、とてもいい感じだった。

平出隆『鳥を探しに』を読み進める。とんでもなく分厚い小説なのだけど、3冊の本をバラして断片化したものを再構成したような構造で、読み進めていくうちになんだかどんどん癖になっていく。自分の現在、回想、祖父の遺稿と時空の違う3つの断片がミルフィーユのように重なっていく。

「ところが、この剥製になった鳥は、ほんとうに個体を離れて類の普遍に至るのでしょうか。私には、剥製は、生前の生とは別の生を生きはじめているように思えるのです。そして、新しくとらされた姿勢と表情のまま、自分の実際に生きた年月をはるかに超えて存在してしまう。ふしぎではありませんか」
すると、レオ教授はゆっくりと答えた。
「しかしそのとき、つまり剥製が十二分に人の目にさらされて存在しはじめたとき、滑稽なのは剥製の方ではない。滑稽さは、その工作に手を尽くした人間のほうへ、すっかり返されてしまっているからね。きみがいうように、滑稽なのは、人間のほうなんだ。ふしぎなのはきっと、そんなことをしてしまう人間のほうなんだよ。ただね、自然愛好家と自称する者たちだって、ついこのあいだまでは自然から略奪するばかりの人たちだったんだよ。同じ人たちなんだ。いや、もちろん好ましい連中さ。しかし、猟師たちが彼らより劣っていたり、悪の側にいたりするわけではない。」
平出隆『鳥を探しに』P.147- P.148

祖父の陽の目を見ることのなかった遺稿を整理して、書き記すことも剥製と似ている。というか、こうやって日常を書きつけているこの日記もある意味、剥製的なんじゃないか。書くことで書き留められているんじゃないか。なんかいいこと言ってるんじゃないか。酔ってるんじゃないか。

「昨日飲んだ南の厳原から、今日飲む北の比田勝まで、酔いを醒ますには充分の距離でしょう」
森市は、いつか写っていた助手席から大声でいい、自分から笑った。
「充分すぎて、お父さん、一杯やれるくらいの距離ですよ」
画伯がいうと、大沢が応えた。
「一杯が、二杯」
「二杯が、三杯」
今度は仁子がいって、バーの主人らしいがらがらした声で笑った。
「三杯が」
姉がいうと、
「四杯⋯⋯これじゃお父さん、いつまでたっても着かないよ」
平出隆『鳥を探しに』P.250- P.251

なんかいいなぁ、と思いながら、同じように杯を重ねて読み進める。ウイスキーがすごい勢いで減っていく。


自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。