架空の土地を生々しく描き出してあたかも実在するかのように感じさせる文学作品がある一方で、実在の土地を扱っているにもかかわらず、読むほどにそれが完全な虚構にしか見えなくなるような作品群もある。 2021/03/04
以前取れて付け直してもらった銀歯が、また外れたのを放置していたのだけど、いいかげん直そうと思って歯医者に行った。その隣の歯の銀歯も外れた、と思っていたのだけど、それが夢だったのか、現実だったのか判然としない。2カ所とれてしまったんです、たぶん、と言いながら見てもらったら、1カ所ですけど?と言われた。そうか、1カ所だったのか。そうだとすると、あれは夢だったのか、となんとも不思議な気持ちになるのだけど、歯医者からすればこの患者頭おかしいのかなという感じだっただろう。
銀歯が取れてしまった歯を削り直して、型をとる。麻酔された。痛い。
堀江敏幸『回送電車Ⅴ 時計まわりで迂回すること』を読んだ。落ち着く。
回送電車シリーズは、刊行当時、書店で見かけたら買う、ということをしていた。でも、何かを買いそびれていて全部は揃っていないという確かな記憶があるのだけど、どの巻が足りていないのかという記憶はなくて、確かさの中に不確かさを抱えている。確認しようにも実家と今の家に蔵書は分断されており容易に確認できない。
ホチキスからステープラーへと心の中の呼び名が変わったとき、なんだか一歩大人に近づいた気がした。
堀江敏幸『回送電車Ⅴ 時計まわりで迂回すること』P.65
以前海外で、カラフルな芯を買ってきたのだけど、大量すぎて10年たっても使い切れない。会社で使ってはいるものの、そこまでホチキスの使用頻度は高くなく、プリンターでホチキス止めできるようになってからはますます使用頻度が下がってしまった。ピンクやグリーン、ブルーのホチキスの芯は、果たして自分が定年するまでに使い切れるだろうか。
ドルチェ・ヴィータとは、メーカーを問わず、好きなペンを好きな状況で使う、いちばん楽しい使い方で使うというわたしの哲学であり、情熱の表現です、なにをどう使おうとかまいません、(中略)。なぜなら、それが自分にとって、気持ちのいいことだからです。
堀江敏幸『回送電車Ⅴ 時計まわりで迂回すること』P.127
だとするならばドルチェ・ヴィータ万歳であって、自分にとって気持ちの良いことが多い人生を送りたい。
架空の土地を生々しく描き出してあたかも実在するかのように感じさせる文学作品がある一方で、実在の土地を扱っているにもかかわらず、読むほどにそれが完全な虚構にしか見えなくなるような作品群もある。
堀江敏幸『回送電車Ⅴ 時計まわりで迂回すること』P.249
虚実のどちらが尊いとかそういうことではないんだよなぁと最近しみじみ思う。
自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。