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現金ではなくデータで部分的に納税するといった手法があってもいい。自動車メーカーなら、車載センサーから集めたデータを匿名化処理し、国民に還元してもいい。 2020/09/26

 2日ほどお酒を抜いてみたのだけど、やればできるじゃんという思いと、なんとまぁ味気ない人生であることよ、という両方を感じた。なるべく毎日を楽しく満足して暮らしたいのでやはりしなくていい我慢はしない方が良い。鴨の生ハムをつまみに朝から赤ワインをいただきながら本を読む。こういう人生がいい。

 こういう人生がいい、と思うのだけど、いろいろ計測してくれるウェアラブル時計のガーミンさんによると、酒飲んでほろ酔いの状態は心拍数もちょっと上がってストレス状態になるらしい。なるほど、だらだら飲んでいるのは体への負担が大きいのであるな、ということが可視化された。けれど、ストレスと言っても、肉体的なストレスと、精神的なストレスの両方があると思うわけで、精神的には充足感があるので、メンタルヘルスとフィジカルヘルスのどちらをとるかという話なのかもしれない。

 ウェアラブルなデバイスでライフログを取るということ、それはApple WatchとかFitbitとかGarminとか、なんでもいいのだけど、それらは僕らの日常をデータ化している訳で、データ化することで可視化できるし、可視化すると、なるほど自分の日常とはこういう感じなのね、ということを知ることにもなる。そういうデータが大量に集まるとそれはもうビッグデータな訳だけれど、ちょうど読んでいたのですよ、ビクター・マイヤー=ショーンベルガー『データ資本主義』を。

 ちなみに今見たら、帯コメ書いてる野口悠紀雄が、この本が刊行された半年後くらいに同名の本を書いている。

 意思決定の力を本気で高めたいのなら、効率、持続性、合理性とことん追追求し、単に人開らしさを守るだけにとどまらず、人間らしさを背定的に捉えていく必要があることを忘れてはならない。データリッチ市場の究極のゴールは、全体として完全無欠をめざすことではなく、個人個人の充足にある。つまり、個性、多様性、そしていかにも人間らしい突然の無分別な行動さえも譲歌せよ、ということなのだ。
ビクター・マイヤー=ショーンベルガー『データ資本主義』P.21

 合理性の追求が行き着く先は、人間はとことん非合理的な存在であるという真実との矛盾でしかないと思うのだけど、そこまでひっくるめて受け止められるようになったら素晴らしいなぁ、とは思う。

 資本が豊富にあっても資本を求めている企業の数が少なくなれば、資本市場は供給超過であり、投資利益の削減につながる。これは、いわゆる金融資本生義の終焉を意味する。確かに金融資本主義といえば、投資家に莫大なリターンをもたらす活発な市場を運想する。だが、金融資本の栄光の日々が戻ってくることはまずない。市場がデータリッチになるにつれて、貨幣を使ってジグナルを送る必要は減少する。貨幣中心市場からデータリッチ市場へのシフトが原因で、たとえ経済が繁栄しても、金融資本は一緒に繁栄できないのである。
ビクター・マイヤー=ショーンベルガー『データ資本主義』P.166 - P.167

 資本市場の金余り状態というのは少なからずある訳で、みんな投資先を求めている。っていう状況が続いていくと金融資本手技は限界を迎えるってのもある得る話なのかもしれない。ただ、膨張と破裂を繰り返すものだからそうは言っても続くよって見方もできるような気もするけれど、社会は思いもよらぬ速さで変化してきているから正直どうなるかわからない。

『ワイアード」誌のインタビューを受けていたトレーラー選転手のウォルト、マーティンは、ジョークが飛び出すほどリラックスしていた。2016年10月に実施されたこのインタビューの場は、なんとコロラド州の州間高速道25号線を時連約90キロでひた走る大型トレーラーの運転席だ。マーティンは運転席後ろの仮眠室に何のためらいもなく転がり込むと、ころんと横になって愛用のタブレットをいじり始めた。その間も5万本のバドワイザーを積んだ大型トレーラーは、コロラド・スブリングスをめざして南下を続けている。史上初の自動運転トラックによる物流の取材で同行していた記者は、「トレーラーが運んでいるビールも走行状態もごく日常の一コマのようだった」と記事に記している。 大型トレーラーがハイウェイに乗るまではマーティンが運転したが、ハイウェイに入ると同時に 「自動運転」と書かれたボタンを押した。すると、Otto (オットー)というサンフランシスコのベンチ ャー が開発した3万ドル相当のシステムが運転手に代わってハンドルを預かる。このシステムはライダー(光で距離測定や物体検知を行う技術)、レーダー、高精度カメラ、軍事用の精度を誇るGPS、強力なデータ処理用コンピュータを組み合わせている。
ビクター・マイヤー=ショーンベルガー『データ資本主義』P.212

 もう自動運転もアメリカではこのレベル、しかも2016年で。あっという間に未来はやってきそうなのだけど、そんな未来で重要度を増してくるのはデータというのはまぁ確かにそうですよね、という感じ。そこに気味の悪さを感じる感覚もわかるのだけどデータの提供と利便性の享受という関係はこっから先しばらくは崩れない気がする。

 例えば、現金ではなくデータで部分的に納税するといった手法があってもいい。自動車メーカーなら、車載センサーから集めたデータを匿名化処理し、国民に還元してもいい。政府はこのデータを使って事故多発地点を特定し、安全の向上に役立てることができる。同じような方法で、農家やスーパーマーケットから集めたフィードバックデータを利用すれば食の安全を強化することも可能だ。オンライン学習プラットフォームから集められたフィードバック・データなら、公教育分野の意思決定を改善できる。取引マッチングでの意思決定支援データは、市場のバブルを予測する早期警戒システムに応用可能である。すでに提唱したデータ共有命令と併せて、小規模企業、とりわけベンチャー企業にとってはデータが利用可能になるため、巨大企業を相手に競争できるようになる。イノベーションの推進にも一役買うだろう。
ビクター・マイヤー=ショーンベルガー『データ資本主義』P.232

 データ納税とそこからのデータのパブリックな利用っていう話はとても面白い発想だな、と。データは特定企業が独占するべきものではないと同時に、工夫して取得、蓄積、活用していたデータを全てパブリックにしろというのは企業の競争力を削いでしまう訳で何か段階的に共有していける仕組みがあると良いのだろうなぁ。



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