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私は激烈で恩きせがましかった。おきまりの優越感をもった知識人であるかのようだった。 2020/06/11

 昨日の教訓を生かして早朝に軽く走ったらまだ涼しくてなんとかなったのだけれど、夏は無理して走るな、が正解なのかもしれない。というか、マスクつらい。日中、この暑さだと普通につけてるだけでつらい。暑い日にマスクをつけると、口元は39度から40度になるらしく熱中症リスクもあるとのこと。いやはや、しんどい夏になりそう。

 3ヶ月ぶりの対面打ち合わせ。色々と良い話を伺えて楽しかった。対面には対面の良さがあるというか、ラグのないコミュニケーションをしてみて、やっぱりzoomとかってラグのあるコミュニケーションなんだな、と再認識。別にそれが悪いというよりは、オンラインミーティングはもっと快適になる余地があるんだなぁという話で、加速度的に進化していきそうだから楽しみなこと。そういえば上司や同僚に会うのも3ヶ月ぶりってのが驚きなのだけど、別に日々zoomで話してるから、そういえば会うの3ヶ月ぶりですね、みたいな感じだった。夏野菜柄のシャツを着てみたが、派手だった、感覚がよくわからなくなっているのかもしれない。

 夕方は長女の塾の送迎役だったのだけど、待ってる間サイゼリアに入ったら、注文用紙に記入する方式になっていて、色々と工夫されているんだなぁということがわかる。タブレットで注文するシステムを導入とかではなくて、メニューに記載された番号を紙に記入という、すぐできるオペレーションを組んで実行するってのが素晴らしい。難しく考える人は物事を複雑に解決しようとするけれど、人のオペレーションは物事をシンプルに解決する方向性で考えないと回らないのよね、几帳面できっちりした人ほど複雑なオペレーションを組もうとしがちな気がする。

 エリック・ホッファー『波止場日記』を読み終わった。彼は知識人を嫌い、自ら知識人にならないように意識し続けていた。人に教える、啓蒙する、という行為にはともすると支配し、従わせる側面がある訳で、大衆を教え、導くという「知識人」の考え方そのものとホッファーは距離を取ろうとしている。

 私は自分が読書量が多く、ものを考え、ものを書くからといって、他人を教え導くことができるなどと思ったことは一度もない。(中略)自分に他人を教え導く能力と権利があるという確信がもてないのは、私が非知識人であるしるしである。これが、重要なポイントである。というのは、知識人はなかんずく教師であり、無知な大衆に何をなすべきかを教えることを自己の神授の権利と考えるからである。この教師コンプレックスを無視すると、知識人の中心的特徴を無視することになり、その熱望と不平をとくカギを見落すことになる。教えたいという熱情が現代の革命運動興隆の決定的な要因である、と私は確信している。革命家がある国の支配力をにぎる場合、ほとんどはその国をおどおどした捕われの身の生徒が彼の足下にまとわりつく巨大な教室に変えてしまう。彼が口を開くと国全体が耳を傾ける。
エリック・ホッファー『波止場日記』P.212

 なので彼は、港湾労働者として働き続け、市井の哲学者として思索はするものの、「知識人」にはならないように意識し続けていたのだろうが、後年大学の教授としての活動をどう捉え、折り合いをつけていたのかは気になるところ。

 私は激烈で恩きせがましかった。おきまりの優越感をもった知識人であるかのようだった。今は、部屋に戻って、疲れていて、うんざりした気分になっている。
エリック・ホッファー『波止場日記』P.216

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。