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「本当は、あんたは満たされていないだろう」 2020/08/16

 日曜日は長女のプールの日だ。人通りも少ない道をてくてくと二人で歩いていく。もうこの時間で暑い。夏だから仕方ないのかもしれない。梅雨時は、もう七月なのにずいぶん涼しいのがなんだか物足りなかった。それでもいざ暑くなるともうお腹いっぱいな気持ちになるのが不思議だ。いや、不思議じゃない、そんなもんだろう。

 スタバで本を読みながらプールの終わりを待つ、若いお嬢さん、という言い方はオッサン臭くて嫌になるけれど、まぁそれくらい若い子がただひたすら何もせずに座っているのがとても気になった。今時珍しく携帯をいじる訳でもなく、音楽を聴く訳でもなく、ただ、一人で何もせずに座っている。何もしないというのがとても珍しくなったということでもあるのだけど、待ち合わせでもしているのかな、それにしても、ただ、待つ、というのも珍しいなと思っていたら、急に表情が明るくなり、待ち人到着のご様子。開口一番、携帯忘れちゃって、と言っていた。そういうことか⋯⋯。

 佐藤泰志を引き続き読んでいる。2冊目は『そこのみにて光輝く』なのだが、前作の『きみの鳥はうたえる』も同様、タイトルが詩的というか、タイトルだけ少し叙情というかロマンが過多な気がする。本人の文体は、比較的乾いた短文の連続なので。そして2冊目にして、味がわかってきた気がする。

 誰かが追いかけて来る足音が聞こえた。拓児だろうと思った。振返ると千夏だったので、まぶしかった。大急ぎで追いかけて来たのだろう。花柄のプラウスのボタンをはめながら、草の中に入って来る。達夫は、外へ一歩出た時から、拓児の家を見捨てるように歩いて来た、と思った。
 立ちどまって千夏を待った。すると千夏も肩で荒く息をつきながら、歩調をゆるめた。照れたように顔を下向け、ブラウスのボタンをはめながら達夫を上眼遣いに見た。笑おうと努めていた。ブラウスを透して、黒いスリップが身体の線を浮かびあがらせている。家の中で見るより若々しかった。女物の黒い下駄が似合っている。 鼻緒は赤く、裸足が痛々しく見える。達夫の前まで来た時にも、息を弾ませていたが、笑う努力はやめていた。細い首筋に汗が膜のように輝いている。
佐藤泰志『そこのみにて光輝く』P.27

 千夏だったからまぶしかったり、見捨てるように歩いてきたり、と短文の中にひねりのある表現が混ざり込んできて、独特のリズムというか、ビートが生まれてる感じがするんだけど、そう言えばミンガスとかドルフィーとか、作中にJAZZに関するキーワードが出てくるんだよなぁ、ということを書きながら気づく。

 ただひたすらに青春小説なのだけど、20代の男女の先の見えない閉塞感、自分の力でどうにかしなくてはいけない壁とその壁を乗り越えられないことも含めての青春。変わりたいけど変われない、青春と言いながら、爽やかさなんてものはなくて、自分でもコントロールしきれないエネルギーの発散場所を求めながら、突破口を見つけたと思ったら目の前で消えていく。

 「本当は、あんたは満たされていないだろう」
佐藤泰志『そこのみにて光輝く』P.123

 ここではないどこかを無意識に求めていて、そんなことをずばりと見抜かれたり、というのは何も青春に限ったことではなく、おっさんになってもだしぬけにこんなことを言われたら、考えてしまうかもしれない。

 すぐ松本が出た。達夫だ、といい、土曜の夜に家でくすぶっているのかい、とまず軽口を叩いた。
佐藤泰志『そこのみにて光輝く』P.155

 土曜の夜なんだから、っていうくだりは前作にも出てきていて、そうか、そういうもんか、と思った。土曜の夜は家でくすぶりながら本を読んでいたい。



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