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ここは俺たちの土地だから安心して興行を続けろというので、また公演をはじめることになった。しかし当局はあきらめない。やがて一〇〇人の憲兵たちがやってくるのだった。 2020/07/05

 近所に気になる物件があって内見してみたりしたのだが、帯に短し、たすきに長し、という感じでなかなか悩ましい。そして都知事選。前回よりも投票率低いってなんなんだろなぁ、という妙な気持ち。結果よりも人が投票行かなすぎることの方がなんか気になる。

 色々とモヤモヤしつつ大島幹雄『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』を読む。日本人の一座や芸人がロシアで活躍し、そのままロシアに残った人もいたらしい。日露戦争や政局の変化に翻弄されながらも逞しく生きた芸人たちの足跡をたどったドキュメント。

 シルク・ドゥ・ソレイユも経営破綻というニュースを先週見かけたが、そうなるともう我々には木下大サーカスしか残されていないということなんじゃないか。サーカスが世界から消えてしまう危機に晒されているということなんじゃないか、とはたと気付いた。というか、そのニュースの印象が頭の片隅に残っていたからこの本を手に取ったんだろうな、と今更ながらに気が付いた。人は触れている情報に無意識のうちにたくさん影響され、行動をしているという典型的なパターンな気がする。

 ヤルタで興行していた最中に日露戦争が勃発した横田一座のエピソードは映画になりそうな波乱万丈ぶり。

 ある日、憲兵五〇人ほどが、横田一座が公演していた劇場に押し寄せ、捕虜として捕えると宣言。ヤルタから一〇〇キロほど離れたクリミア半島南西部のセバストーポリに送還されることになった。
 しかしこの報を聞きつけたタタール人が先回りして、一座のメンバーを救出奪還してくれて、またヤルタへ戻ることができた。ここは俺たちの土地だから安心して興行を続けろというので、また公演をはじめることになった。しかし当局はあきらめない。やがて前回の倍の一〇〇人の憲兵たちがやってくるのだった。
 ところが、またしても今度は一〇〇〇人くらいのタタール人が大集結。一座はまた助けてもらった。さすがに事態を重く見たロシア当局は、陸軍を繰り出し、大砲で群衆を追い散らすという手段に出た。これにはタタール人たちも抗することができず、 ついに横田一座の面々は、収容所に入れられることになった。
大島幹雄『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』P.44-45

 さらに収容所に入れられた横田一座は牢番に賄賂を渡して知事を呼び寄せ、知事にさらに賄賂を握らせてヨットを譲り受け、海路で海外へ逃亡するというはなれ技をやってのける。

 日本人の芸の中には、ハラキリショーというグロさを売りにした芸なども人気だったらしいが、伝説の軽業師「シマダ」のアクロバティックな芸がすごい。そして、その「究極のバランス」という超絶技巧の記録映像がYouTubeに上がっているのを見つけた。

 額の上に乗せてバランスをとった棒の上で人が倒立した状態で歩いたり梯子を登ったりするという超絶技巧。練習を重ねるとこんなことまでできるようになるものなのか⋯⋯、というか、どうやって練習するんだろう。逆立ちすらできない自分には未知数すぎる。

 夜は焼肉食べてマッコリ飲んでいい気持ちのまま、本を読んでいたら床で寝落ち。腰が痛い。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。