「地味なことは打たれ強い」そんなことをしみじみ感じている。 2020/10/12
月曜日、また1週間が始まる。仕事の方は今月に入って数字は好調で、この週末もいい感じに乗り越えていたので安心して未来に向けて何するかを考えることができる。会議して会議して会議、なんだけど合間にちょっと作業したり、大事なプロジェクトの段取りを整理したりした。
雨が続いていたせいで走るのをサボっていたのだけど、今日は少し走れた。間が空きすぎたせいか、あまりご飯をがっつり食べていないせいか、体重は減ってきているのだけど、体が重いというか、足が重くて、軽快とは程遠い感じだった。まぁそれでも小一時間ほど走った。いい加減お腹が空いたので、午後、保育園のお迎えがてらカツ丼買って帰る。娘の夕飯はカツサンド食べたかったそうで、これ幸いと、カツサンド買って済ませた。楽で助かる。昨日のめでたい感じの余波で鯛の刺身を買って、妻が帰ってきたら食べようと思ったものの、まったく帰ってこない。
今さら感はあるのかもしれないが、『仕事本 私たちの緊急事態日記』を読みはじめた。色々な職業の人が書いた4月の日記のオムニバス。
あの時、こんなことになっていたのかという、生な感じがすごくいい。日記のこの生っぽさというか、私的な真実の感じとか、本人以外にとってはどうでもいいかもしれないようなこと、でも、本人にとってはそれが今の記録というか生活、みたいな感じもいい。誰かと電話したり、zoom飲みしたり、そういう日常が切り取られている感じ。そういえば自分は写真もスナップが好きで、そんなのばかり撮っていたのだけど、好みというのは本人が意識していないようなレベルで通底しているのかもしれない。
だから自分もどうでもいいようなことをしっかりと記しておいたほうがいいような気がしてきていて、今日もカツ丼を食べたけれど、コロナ禍での在宅生活になってから、妙にカツ丼が好きになった気がする。数年後そういえばそうだった、と懐かしむ日が来るだろうか。
お客さんによっては、手を触れることを嫌ってか、黙ってトレーを指差し、ここに釣銭をおけと無言の圧力をかけてくる。
口があって声を発することができるのにも関わらずだ。そこまでコミュニケーションを拒絶するなら、来なきゃいいのにと思う。
『仕事本 私たちの緊急事態日記』P.18
例えばこれはスーパーの店員さんの日記なのだけど、悲しいかなこういう人間性を失ったようなやり取りというのが現実に起きていた訳で、なんというか人の醜さみたいなものも浮き彫りになるよなぁ、などと思いながら読む。この生っぽさがいいのだけど、それは色々なことを考えさせられるきっかけにもなっていて、これがフィクションであるか、ノンフィクションであるかはもはやあまり関係がないというか、なんかこの瞬間に文学的なものを感じてしまったりした。文学的なものってなんやねんって感じだけど、良くも悪くも人間ってそういうところあるよね、みたいなもんを感じさせるところは好きなんだろうな、と思う。
もちろん売り上げは下がってはいるが、元々お酒だけに頼った営業ではなかったし、そもそも、売上もさほど大きくなく、夫婦だけで小さな商売をしてきたわけで、水商売とは、そもそも天候や経済に左右される、収入が不安定な職種である。楽して稼げるお酒を扱うには、やはりそれ相当のリスクが生じる。お酒を伴う接客は、それなりに負担があるし、危険も伴う。
地味なことををコツコツと毎日続けてきた「惣菜屋」としての側面が、今の私たちの自信へと繋がっている気がする。
「地味なことは打たれ強い」
そんなことをしみじみ感じている。
『仕事本 私たちの緊急事態日記』P.24
これはお惣菜屋さんの日記なのだけど、この実感もまたとてもいい。浮ついたなんとなくこんな感じ〜みたいな話ではなくて、なんかこうやってきたことと、困難に直面した上でのリアルな実感としての「地味なことは打たれ強い」という言葉の芯のある強さみたいなもんにやられる。日記ってのは凄まじく面白いなと改めて思う今日この頃。
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