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「犬をもう一匹飼うことがあったら、スヌーピーがいいとおもう」スヌピというのはノルウェイ語で、愛情を示す言葉だ。母親が子供に呼びかけるときにも使われる。 2020/09/06

 思ったことを口にするかどうか悩む度合いというのがその人との関係性というか距離感なんだろうな、と思ったのは、この前相談されて、あぁだこうだと述べられた理由に関して、なるほどね、とは思いつつも、そんなことは1ミリも関係ない、というか、それはあなたのエゴというか自己満なだけでしょと思ったのだけど、まぁいいや、言わなくても、と思ったのと、言ったらなんか必要以上に重くとられても迷惑だし、という感じがしてしまったから黙ってへー、って聞いていたのだけど、これは明らかに、距離感というか、そんなに深く関わる気がないことのあらわれなんだろうな、と、なんか、ふと、日曜に思い出した。

 デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』を数日前から読み始めている。分厚いので少しずつ読んでいるのだけど、これがシュルツ万歳、みたいな礼賛本ではなくて、膨大な資料と証言からシュルツ本人の陰の部分も描きながら、それが作品にどう表現されているかを紐づけながら語る評伝で、まだまだ序盤なんだけど、読んでいて疲れる。

 目立たない、内気で陰気な少年スパーキー(シュルツ)、人との交流が苦手で、とにかくいつも絵を描いていて、母は癌で長い闘病生活の後にシュルツが出征中に亡くなって、戦後は初恋の相手にプロポーズするも振られる。新聞社にマンガを送っては不採用の通知を受け取る日々。要するに、めちゃくちゃ陰気なのだ。ついに「ピーナッツ」の連載が決まったときも、もともと自分でつけていた「リル・ボーイズ」というタイトルが、他の作家の作品名と酷似していたため使用できなくなり、通信社の担当がつけたタイトルが「ピーナッツ」だったのだけど、シュルツはこのタイトルがとにかく気に入らなかったらしく、ヒットした後も不満を口にしていたらしい。という訳で、なんとか3分の1ほど読んできたのだけど、ここまでのところとにかく陰気なので、読んでいて疲れるというかなんだかどよーんとした気分になってきた。

 スパーキーのいとこのパトリシアは、目の前で死につつある母親を見ていた彼の様子を鮮明に覚えている。ディナがどうしてこれほど苦しんでいるのか、なぜ助けられないのか、という問題が二度と蒸し返されることはなかった。今後のことについてディナが唯一語ったことをスパーキーは覚えている。「犬をもう一匹飼うことがあったら、スヌーピーがいいとおもう」という言葉を。
 スヌピというのはノルウェイ語で、愛情を示す言葉だ。母親が子供に呼びかけるときにも使われる。それがディナの考えていたことかどうかはわからないが、犬の名をスヌーピーにするという希望は、少なくともその瞬間は、これからもいっしょに生きていくことを意味した。もはやそれが叶わないように思えても。
デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』P.144 - P.145

 なんだかこのくだりも、スヌーピーという言葉の意味は愛情だとしても、エピソードとしてはあまり幸せではないわけで、何かと陰気なのだけど、そういう所をごまかさずに書く、という著者の信念もあるのだろうし、だからこそシュルツの子供たちはこの本に対してたいそう不満があるのだと、訳者あとがきには書いてあった。

 ただ、そういう読んでるこちらが陰鬱な気持ちになる生活というものがシュルツの人格形成に与えた影響は確かに大きいはずで、引用された作品を見ると、作者の体験と作品が結びついているというか、何気ないチャーリー・ブラウンの台詞の裏に作者の人生が透けて見えるような気がしてくる。まぁ作者研究=作品研究、みたいな世界での話なので、必ずしもそれに縛られる必要は無いというか、シュルツがどんな人だったかなんて知らなくても、その作品は面白いのだけど。

 それでも疲れてしまったので、大好きな阿久津隆『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』を読んで充実した日曜日にしようとしてみた。いや、なんというか、本当に好きなので、お口直しというか、最後にこれを少し読んだら、1日が充実した感じで終わるというか、なんかそんな感じで楽しんでいるので、遅々として進まないのだけど、今日はシュルツの負のエネルギーにやられていたからか、結構たくさん読んでしまった。

 エリック・ホッファーの『波止場日記』とか、『ピダハン』とか、自分も読んで楽しかった本が登場してきて、楽しく読まれている様子を楽しく読んでいる自分ということなのだけど、なんかこうメタ認知というか、メタな感じが楽しい。

 一人の時間なんてもう、必要とされていないのだろうか。あるいはただフヅクエが必要とされていないということか。なんて暗いことは思わなかった。思わなかった。
阿久津隆『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』P.91

 思わなかった。自分に言い聞かせるように繰り返される「思わなかった」に、唐突にRCサクセションの「スローバラード」が思い出されて、なぜか高校の現代文の授業でこの歌詞が取り上げられたことがあったこととかも含めてプルーストの紅茶にマドレーヌ状態な回想モードに入ってしまった。悪い予感のかけらもないさ。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。