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隠していた想いに向き合い、伝える幸せ/『クィア・アイ in Japan!』

恥ずかしいから、柄にもないから、そういう文化じゃないから。いろんな言い訳をして口実をつくって、自分の本音や本心をごまかす、偽る、隠す。そういうことに慣れ過ぎてきてしまって、大切なはずの人・愛してるはずの人に何も伝えないまま何年も何十年も時が経ってしまっていました。

「真の愛は言わなくても伝わる」そういう意見もあるでしょう、否定はしません。でも、私は違ったんですよね。私はそれではさみしかった、悲しかったから。大切な人がいるのなら、その想いをちゃんと伝えなくちゃって。私は相手にちゃんと伝えたい。私は相手の想いを受けとめたい。

あなたはどう思いますか?あなたはどうしたいですか?

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『クィア・アイ in Japan!』

Netflexで配信されている『クィア・アイ』。ファビュラス〜な5人が相談者のお悩みに陽気にポジティブに、ときにはしっとりと寄り添い問題を解きほぐし解決していく。
JAPANから出たことがない私にとってはグイグイいき過ぎじゃね?部屋変え過ぎじゃね?などと抵抗感がけっこうあったんだけれど、次第にそれを超えるくらいの意味や価値を彼らが発しているように感じてきたんですよね、不思議なことに。

んで、舞台は移ってなんと日本版もリリース、それが『クィア・アイ in Japan!』。これがなんとまあその描写にえらくたまげたんすよね。特に見てほしいのが「エピソード4 妻のためにもセクシーに」
相談者は30代の夫婦マコトとヤスコ。当初は彼女をデートに誘えるようになりたいという依頼でした。けれど、徐々にその裏に真の問題が隠されていることが明らかになっていきます。

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マコトとヤスコに隠された問題とは?

ファッション担当のタンはマコトの服のコーディネイトを手伝いながら、夫婦でありながら何年もセックスレスであったり、妻を女性ではなく兄弟や友達のように見ていると語る様子にふたりの間の異変を察知。さらに話を深く聞いていくと、ふたりに会話がない、コミュニケーションがないことを知り、そして、タンはマコトにこう突きつけます。

「それは結婚じゃないと思う」
「これから一生幸せに生きていきたいなら、やるべきことはただひとつ。ヤスコと話すこと。自分を愛しているか、一緒にいたいか」
「ヤスコを愛してる?ヤスコを妻としてずっと一緒に過ごしたいと思ってるなら、その理由を彼女にちゃんと話さなくちゃ」

タンの言葉によって、マコトの内側で隠されていたなにかが刺激され、一気に感情が高まる様子が映し出されます。その呼び起こされた想いを表す言葉を必死に探すマコト。彼がやっとの思いで見つけたのは「向き合う」という言葉でした。何度も何度も「向き合う」を手繰り寄せ、自分の言葉にしていく。

「向き合わないといけないと思いました。思い…今…。うん。向き合わないといけないと思いました」

そして、最後に「彼女と話したいですね」と真剣なまなざしを向けながら自分の願いを語るマコトを、タンは抱擁で迎えるのでした。

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彼らの問題は私の問題でもあった

私はこのマコトとヤスコの夫婦関係のことを、自分ごととして受けとめました。私と両親・家族との間で会話がコミュニケーションがなかったのです。そして、それ以上に私と私自身の間でコミュニケーションが断絶していました。
かつての私はこの社会に過剰に適応することに必死で、私は私自身を無視し、全く関心がなく、存在にすら気づいていませんでした。だから、その果てに、生きるのが虚しさでいっぱいになり、無意味感に襲われ、これまでの生き方を見直さずにはいられなくなった経緯があったんですよね。

こんなに近くにいるのに、私は私自身に大切にしてるよと伝えたことがなかったのです。だから、マコトとヤスコの夫婦の問題は私と私自身の間の問題でもあったんですよ。大切にしているのなら、その想いを伝えなくちゃ。でないと、愛しているのかどうか分からなくなる、大切に思ってるのか不安になる、一緒にいたいのか疑わしくなる、見えなくなる、疎遠になる、、、その結果としての感情のマヒ、感覚不全、むなしさ、無意味感だったんだと今では思います。

それだけに、マコトがタンの指摘に激しく揺れながらも自分の大切な人を想いながら、内側の言葉を探して表していく過程がさも自分のことにように感じられて、とてもとても心に響いたんですよね。言葉にできたね、伝えられたね、表現できたね、受けとめてもらえたね、よかったねよかったね〜〜〜と、思わず泣きながら拍手喝采を贈っちゃってましたねえヽ(;▽;)ノ

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「隠す、無視する、否認する」日本社会の構造

マコトとヤスコが特別コミュニケーションが下手だったのか?と考えるとそうじゃないないなと。日本の社会に生きる誰もがそうなってしまうんだと思います。なぜなら、構造・システムがそうなっているから。

そこに絡め取られてしまうと「大切な人に想いを伝える」なんてことは忘れられてしまって、まわりからの期待、世間の常識、社会規範、立場を守ることにパラメータが全振りされてしまう。その結果として、会話もコミュニケーションもないんだけれど、俺イケてる感、仲睦まじい夫婦感、幸せな家族感、仕事に精出してる感、、、そういう取り繕うことでいっぱいで中身はまるでない「ハリボテ」を幸せや豊かさだと思い込むようになっちゃってるというか。

それで心から幸せで豊かさを感じられていれば万々歳。けれど、マコトとヤスコのようにそう思えない人が少なからずいるんですよね。私もそうでした。ここに日本の社会の閉塞感や息が詰まる感じの要因があるんじゃないかな〜。

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あなたはどうしたい?

『クィア・アイ in Japan!』を通して、私が気づかされたこと。それは隠していた想いに向き合い、伝えること、その過程を経験することを幸せや豊かさだと感じられる種族がいる(^O^)!ということでした。わ〜お。

問われているのは、なにをもってして幸せか豊かさかではなく、私、あなた、ひとりひとりがどう思うか、感じるか、どうしたいかなんだよなあと。

あなたはどう思いますか?あなたはどうしたいですか?


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