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ビジネス意識を手放したら”現金"に関して壮大な勘違いに気づいてしまった!

確定申告・簿記・会計そして心理(潜在意識)と生活につながるお話だ。

本当はやりたくないが、やらなければならない仕事・作業(支配)に対し「やってもいいし、やらなくてもいい。どっちにする?」自分に問いかけ、選んでもらう。

「なぜそっちを選んだのか」自分に尋ね、答えが出てきたら選んだ方向に突き進む。
結果、今までない「何か(人によって出会い、お金、新しい情報、意外な視点などそれぞれ)を得てしまう

自由vs支配について、僕は一つずつ自分の内側にある支配に気づき、選ぶ自由を与え、一つずつ手放している。

自分で気づく場合もあれば、他人と話をしていて気づかされる場合もある。この前チャット仲間から「ビジネスの意識を手放したほうがいい」と言われた。

僕は今一つ意味が分からず、何をどう手放せばいいかもわからないが「よし、ビジネス意識を手放した」宣言した。

※チャット相手曰く「何でもかんでもビジネス=商売=人の行動や物事の動きについて、売り買い思考で考えると、根が卑しくなるよ。
具体的に、人付き合いも「儲かるか・儲からないか」で考えたり、損することを避けるばかりにケチな人間になり、怪しい儲け話に乗ってしまうし、周りから見たらただの詐欺師に見なされ、避けたほうが賢明とみられる人間になってしまうよと。

結果、いくつか見えてきた流れがあった。
いくつかの一つ、壮大な勘違いを取り上げたい。

※トップ画像はいらすとや


知らぬうちに間違った見方を変えられた

先日まで自分が大きく見誤っていた大きな思い込み(恥)を書きたい。

赤字と債務超過の違いってわかるだろうか?
簿記・経理をやっている人にはなじみの言葉だ。

言葉では違いが分かっても、体ではわかっていなかった。
おかげで生活に悪影響を与えていた

生活レベルへの影響として、意識の話を一つ。

意識を手放すとは「もうそれ以上、そこについて考えなくていいよ、追及しなくていいよ、そのことについて苦しまなくていいよ。手放していいよ」自分にいって、一つずつ執着から離れる生き方だ。

一方で「いや、手放すのは危険だ」それまで抱いていた執着も、なかなか離れずにひっついてくる。ある意味、今までの自分の生き方を否定+決別するんだ。「今までの生き方は何だったのか」一つの絶望でもある。

ある種、無意識間で起きている戦争状態に見舞われている。
そのせいか、いつも通っている書店について一つの疑問を抱いた。

※お金の疑問は現在騒がれているcolaboと東京都の案件が、もう一つのきっかけとなった。年末は何かと忙しい時期だしね。


恥ずかしい勘違い

僕が通っている書店は本のほかに音楽や文具、最近は高額の土産グッズを売っている。

一日あたり平均120万円の売り上げを出したとしよう。
1か月で3600万円(120万×30日)の売上、そこから売上原価(仕入れなど)を差し引いて売上総利益(粗利益)を出す。
粗利益から営業費用(販売管理:人件費など)を差し引いて営業利益、そこから営業外を求めて経常利益、そこから特別……で当期利益/損失を出す。

当期利益を出したところで売上額からがっつりお金が減っているため、会社には現金が残っていないたいした残っていない現金で借り入れの返済を行わねばならず、会社ってどこも火の車状態でないか。黒字を出したところで、借金を返済しなければならないから、無借金経営以外はみな赤字企業でないか。

……壮大な勘違いをしていたわけだ。簿記を勉強していたにもかかわらず!

簿記だと現金は資産に入り、借入金は負債に入る。二つは「貸借対照表」にて重要であり「損益計算書」には計上されない(入るのはその時生じた利息のみ)。
一方売り上げは損益計算書であり貸借対照表にはそのまま乗らない。当期利益/損失のみが純資産(貸借対照表)に計上される。

貸借対照表は「資産の運用と流れ」を見るのであり、資産には現金や手形など「流動資産」と土地や建物など「固定資産」にわかれる。お金の流れを見るなら貸借対照表だ。

損益計算書は「売上及び費用をもって会社の利益/損失」を示す書類であり、現金の流れを知る指標ではない

で、僕の大きな勘違いは脳内現金及び借入金という「貸借対照表」での勘定科目を、強引に損益計算書へ入れて「どの会社も金欠だ」見てしまったところだ。
(うまく説明できず、すまない)

もう一つ大きな勘違いとして、資産は「現金のみ」と捉えてしまった姿勢だ。商品や備品も資産に入るのに「頭で考えているときは、現金しか」見ていなかった

すると赤字と債務超過の違いも見えてくる。
赤字は損益計算書での話であり、債務超過は貸借対照表での話だ。
費用>収入、負債>資産
を示す。

持っている現金より借金が多い状態を赤字と定義しない
債務超過にあたるのだから。

が、僕は脳内で勝手に債務超過も赤字と定義していた。

二つは全く異なるモノであるのに、知らないうちに同一化してみていた。別の言葉で例えるなら、言葉はわかっているが、体で理解できていなかった

ただ「現金のみ」思考が僕にとって、お金及び経営(ビジネス)に対して大きく誤った思い込みを抱き、生活にも悪影響を与えていた。例えるなら以下の心理状態だ。

「何としてでも稼がなければならない、お金(現金のみ)を増やさなければならない、このやり方は受け入れられない、このやり方しか認めない。ああ、お金がない、どうしたらいいんだろう。そうだ、この儲け方は(たとえ怪しくても)使ったら……」

僕にとっての「ビジネス意識」であり、チャット仲間は僕の「ビジネス意識」を、僕の関心ごと(チャット情報のみ)を通して見ぬいた今までのnote記事にも存分にビジネス意識がにじみ出ているだろう。
彼は「手放しなさい、卑しくなってはいけないよ」忠告してくれた。

具体的にどんなビジネス意識を手放せばいいかわからなかったけど、とりあえず「すべてのビジネス意識を手放す」決意した。

今までの意識が執着となって「手放すものか」と「手放すvs執着する」争いが僕の潜在or顕在意識化で行われていた。僕は「意識して手放す」方向に舵をとった
「執着しなくていいよ」後押し、いや、潜在意識が顕在化した状態として、簿記の基本「現金の扱い方」という勘違いに現れた。


ビジネス意識を手放したら「町」に目が向いた

「ビジネス意識を手放すのはいいけど、手放した後、どうなるんだろう。何も考えが浮かばなかったら……」など色々焦りが見えた。
実際に手放して数日たつと、自分の壮大な勘違いが見えたばかりか、こんな発想も浮かんでしまった。

今も「町作り」企画のためにあれこれ資料を集めたり、自問したりと新しい企画に挑んでいるが、全容が見えてこないので、具体的に何をしたらいいか、はっきりとわかっていない

「僕にとって今までにない発想」だからこそ、一種のマンネリから脱却し、新しい道が見えている(手探り)。

手放す前の自分なら「こんな自分の仕事でもない、誰もやってないから参考資料もないものをやるの、時間の無駄でしかない」
やってすらいなかっただろう。


ここまで読んで「よし、よくわからないけど、自分もビジネス意識を手放してみようか」思ったら、あなたはかなりすごい。
たいてい「何がビジネス意識なのか……ってか、何を手放せばいいんだ。そもそも私に関係ない話だよな」だから。

僕がビジネス意識を捨てられた理由は「手放してみたほうが面白そう」思った。捨てた結果、どんな未来が来るかわからない。自分が考えている未来とは全く別の、意味不明な展開が来てしまったとしたら、大変だけど新たな刺激となって面白いと思ったんだ。

面白さの根本も、自分の中で「自由」を言語化し、支配意識を一つずつ手放していった結果と確信している。自由と意識についてはこちらをじっくり読んでほしい。

今日の記事、ここまで読んでいただきありがとう。

支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます