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選べる自由がビジネスを劇的に変えられる

読み手(買い手)と書き手(売り手)の関係を通し、
僕の中で「自由と支配」の関係に気づいた。

自由とは買い手、読み手のように「自分で選べる」

一方支配は売り手のように「これしかやってはいけない。こうでなければならない」状態だ。

だからこそ「自分で選べる」ような生き方を送れば、自分で物事を決められるばかりか、新しい生き方(ビジネスなら稼ぎ方、人間関係なら新しいお付き合い、自分の趣味などに正直になるなど)にもつながる。

※新しい生き方を送るかどうかは自分自身。

さて本題。

※トップ画像はイラストやから。


選ぶ自由を意識してできるようになると、
ビジネスにおいて大きく変わったと実感
できた。

※実感が大切。数字上で変化が起きても「何も変わってないよなあ」捉えると、文字通り「何も変わっていない」。現実を突きつけられても「いや、そんなはずはない」って頑固な性格を持っているよ。

選ぶ自由を駆使した結果「作業をしない時間」を創れるようになった。作業をしない時間であって仕事をしない時間ではない。仕事をしているが、プログラミングなどの作業でなく「紙とペン」を使って、日々自問し続ける時間が増えた。

現実を基に言葉を集め、調査を行い、自問し続ける。気づいた何かをすぐさま書き取り、仕組みとして計画や狙いを立て、実行していく。

考える時間が増えたから、負担は減ったかというと違う。むしろ「避けない苦痛」時間が増えた

苦痛ならやめればいいのでは……苦痛の中にこそ本当に求める価値観、次にしたい展開が眠っている
時々逃げているが、本当に求める言葉・価値観、自分がやりたい次への道が出てこないため、自分から避けずに自問という苦痛を味わっている。

避けない苦痛と向き合う(=選ぶ自由に従った結果)と、ビジネスモデルというより人生もがらりと変わる。一つ実例を出そう。


お客をたくさん集めるかvsセールスの方法を変えるか

今から一つ聞きたい。あなたは1と2のどちらをやりたい?

  1. 1000人集めて成約50人

  2. 5人集めて成約1人

成約50人だと利益額も大きい。1番目に目がくらむ。全くかまわない。どっちをとっても正解だから。

僕は2番目を選んでいる。集客にあまり比重を置いておらず、セールスに比重を置いている。セールス……厄介な言葉だ。


売り込みしたくないが、売り込まねばならない…

僕は売り込みが好きでない。あなたはどうだろう?
僕の知人が怪しいビジネスを僕に売り込んできたとき、僕は「嫌だ」いった。が、ことあるごとに彼は僕を勧誘してきた。

どれだけ儲かろうとも、お互いおいしい想いをしようとも「嫌なものは嫌」だ。

売り手になったら話は変わる。売り手にとって、モノを売り込まなければ買ってくれないから。たとえ嫌であっても売り込まなければならない。

僕も「売り込まれるのが嫌なのに、儲かるために売らなければならない。売れるためのセールス文を作らねばならない」と嫌々ながらセールス文を書いていた。セールス文に楽しさすら抱かなかった。

ここに「自由vs支配」が眠っている。


売り込まなければならない→売り込んでも、こまなくてもいいよ


売り込まなければならないという言葉。
義務であり強制でもあり自主的な言葉でない。

自分から進んで「売り込むぞ」でなく
「ああ、人から言われてやらなければならないんだ」

目の前に上司がいなくても「心の中にいる鬼上司」に逆らえず、従わなければならない。「嫌だ」声を上げて反対したいのにできない…。

あるとき僕は自由の本質「選ぶ」に気づき、僕の中にいる鬼上司「お前はやらなければならない」に対し、あえて鬼上司が激怒する選択を強引に作ってみた。

売り込んでもいいよ、売り込まなくてもいいよ
どっちを自分から進んでやりたい?

反対の選択こそ自分の脳みそに隙間が生じる。隙間が生じるとは完璧の中に弱点が見つかる状態であり、弱点を責めると完璧が音を立てて壊れた壁に変わる。

僕は「売り込まなくてもいいよ」を選んだ。
ただ選ぶだけではいけない。理由を創らないといけない。理由があるから選ばないんだ。なんとなくでは通じない。

自分が「なんとなくこっちにした」も、自分で言語化できないだけで何かしらの理由が浮かんでいる。浮かんでいるが言葉で表現できない。だから「なんとなく選んだ」になる。

鬼上司からしたら「は、お前、何言っているの?」だが、僕は「売り込まなくていい」を選んだ。


売り込まないのに売れた


僕が売り込む→売り込まない道を選んだ結果、焦りが生まれた。

売り込まないを選んだけど、どうやったら「売り込まない」になるか、自分で全く見当がつかなかった。身近な教材もない。

検討がつかなければ「売り込まなければならない」へ戻るしかない……もう戻りたくない。身も心も拒んでいる


どうしたらいいんだよ、俺……

こういう時、僕は神社に行って参拝する。いうんだ。

「神様、いつも素晴らしいアイディアをありがとうございます。おかげで解決しました、本当にありがとう」

先に「売り込まなくても売れた」世界を作ってしまう。この時点でどうやったらいいかなんて、全くわからないよ。

神社参拝後、どういうわけか書店で求めていた情報に近い、ヒントにつながる本、あるいはネットだとnoteに出会い、購入した。

時間(2週間以上)をかけながら一つずつやり方を変えた。神社参拝での言葉と同じで、

「僕が売り込んでいないのに、購入した人がいる。
購入した人は何に惹かれて購入を決めたのか?
購入を決めるまでに、どんな言葉に惹かれたのか?
どういう悩みや不満があり、僕に一つの希望が見えたのか?」

模索した結果、僕にとって売り込みでないセールス文ができた。

買うも買わないも相手が決めるのであり、僕ではない。僕は欲する情報を伝える、コンサルタントのごとく同じ志を持つ仲間の解決ヒントを示す。「ここから先の深い情報はお金を必要としますよ」僕の方で自由に線引き(=キャッシュポイントを定める)しただけ。

※何事も無料は真理につながらない。
購入者の覚悟+真剣さが問われているんだから。

情報だけなら無料でもいい。
情報を利用して何を悟ったかが本質だ。

悟る=自分の言葉で言語化できない行動や仕組みを言葉で表現し、自力で再現できる力

悟りに至るまでが辛く大変であり、僕たち購入者は情報にお金を払っているのでなく、悟りへのヒント(近道)にお金を払っているんだと。

僕の予想を裏切る結果が出て「売り込まなくても売れる」を実感した。

すんなり変わったかというと、やはり拒みたい自分も出てくる。「売り込まなければ売れないのだ、これはたまたまだ」とね。何度か「売り込まなければ」に戻ったが売れなかった。


新しい展開が出てきた!


「売り込まなければならない」選択のない支配された状態では、絶対に違う展開など表れない。どれだけいいノウハウが僕たちの前にあっても「ここはやるが、これはやらない」選んでしまう。
※ここはやらないこそ、やるのが大切なのにね。

「売り込んでもいい、売り込まなくてもいい」と選択を与えるからこそ、別のやり方も取り入れていいかな…浮かぶ。

新しい考えをやるもいいし、やらなくてもいい
どっちをやるかは自分次第だが、理由は必要

強い理由があるからこそ「これをやる/やらない」がある。また人は理由があるから動く。

「~しなければならない」は強い理由でない。
本当に強い理由は義務でなく主体「~したい」だ。

選ぶ自由だからこそビジネスモデルを変えられた。いや、価値観がグラッと変わった。そして現実にも新しい価値観が反映された。

「まじかよ、これでいいのかよ……」
一番驚いているの、僕自身だ。

未知の先にある感動を一緒に分かち合いたい。

現在「選ぶ自由」についていろいろまとめている。
今回の話が面白いと思ったら、いいねを押してくれると嬉しい。

そしてお帰り頂く前に自由に気づいたきっかけを読み、実際に物は試しで実践してもらいたいなあ。


支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます