見出し画像

街を作ってみよう(意味不明な思い付き)

現在、自由と支配に関していろいろ内容をまとめている。
全てのきっかけはこちら。

「自分で選ぶ自由」であり「やらなければならないが、本心はやりたくない」に対し「やってもいい、やらなくてもいい。どっちを選ぶ? なぜそっちを選んだ?」自分に問い、やりたいほうを選ぶ。結果「自分でその道を決めた」のだから、根を詰めてやる。

「選ぶ自由」に沿って生きていると、大きな悩みというより自分の心理状態に気づかされた。

人から命令されないと、自分で何をしたらいいかわからない「指示待ち」君

人から頼まれる状態と、人からの指示を常に待っている状態は全く違う。人から頼まれる状態は「実際に頼まれている」出来事である。
一方「人からの指示待ち」は「誰かが自分に命令してくれないと、自分は何もできない。自分は何をしたらいいんだろう。誰かが自分に何かを与えてくれないと、自分は何もできない」精神不安の一つでしかない。

不安があるから支配を自然と受け入れ「こうでなければならない、これをしてはいけない、これをするなんて許されない!(ただし犯罪を除く)」自分の選択肢をとことん狭め、冒険心を失い、周りを呪い、不自由なまま一生を終える。

見えない鎖を自分にかけているからこそ、自分に選択を与え、見えない鎖を見える化し、一つずつ自由を与えていこうぜ!
「選ぶ自由」を自分にやった結果、一つずつ自分がいかに「縛られ、支配を喜んで受け入れているか」が見えた。

支配を喜んで受け入れるからこそ「誰かから指示されないと、自分の価値はない(=人はもちろん、高圧的な自分自身から支配を通して、初めて自分の価値が上がる、出てくる)」根本的な不安に気づいてしまった(おそらく潜在意識)

見えてきたからこそ「なら自分からいろいろ仕掛けていいよ、自分から指示をしていいよ。人からの指示なんていらないよ。指示なんてもらわなくていいよ。もらってもいいよ。自分から指示を出すなら、何を作っていく?

すると出てきた一言が


街を作ってみよう

何を言っているか、さっぱりわからないと思う。僕自身も「どういうこと?」自分に問いかけたほどだ。もちろん自分に問いかけても、言葉なんぞ出てこない。でもやってみた。出てきた一言に「何かしらの道」があると感じたからだ。

出てきた一言に何かしらの道があるという気持ち、次の応用だ。
商売というか過去にブログ記事で大きくアクセスを集める法則が一つ合った。

自分の好き嫌いはいったん脇に置こう。多くの人が今、この話題で盛り上がっているから、その話題に関する情報を書いてみよう

例えばワールドカップ、なんと日本がスペインを破って決勝リーグにあがった! うれしいいいいいい。で、ワールドカップに興味ない人から見れば「何を盛り上がっているんだか、ばっかみたい」であり、僕も興味がなければ、冷淡な目で見ていただろう。
しかし僕の気持ちは関心がなくても、世間は関心があり、みんなで騒いでいる。なら自分の気持ちを脇において、ワールドカップに関する情報を載せていこう。

すると自分の気持ちとは裏腹に、ブログのアクセスが大きく伸びると。

この原理を応用して、とっさに出てきた「町作り」を真剣に自問しながら考えてみた。すると街づくりは「芸術×政治×経済」であり、商売や文化の応用など、今やっていることよりも一段階上の視点から物事を観れている状態に気づいた。

とりあえず浮かんだ状態をガンガンノートに書きだした。街を創る一つをとっても「観光客」としてくるのか「住民(=町に住む)」としてくるのか。
観光客と住民では収入(=税)の取り方も変わってくる。
住民が「この町」に住む理由は何か。仕事による転勤か、町の何かにほれ込んだからか。
街の収入源は何か。どんな技術があるのか。この町にしかできないことは何か。どんなかゆいところに手が届くのか。
どんなルールがあるのか。
観光なら何に惹かれてくるのか。観光だけでなく住むならどんな追加理由があるのか……

などなど「街を創る」となると、自分が主体的にあれこれ考えた挙句、今自分にできることは何か。このnoteやブログ、twitterなど媒体手段は何を示すのか。いろいろ見直すきっかけになった。

何より街を創ると考えると、自分が主体的になって指示を出す側になり、指示待ち状態でいられなくなった

現時点で街を創る行為は「脳内遊び」の一環だ。実際に街を創る設定なら「我が町の強み」を認識し、強みはどんな人たちの助けとなっているのか。とりあえずのゴールは何なのか。

理想をいろいろ追求したけど、何一つ出てこなかった。たとえば「若い人ばかり集まる、活気のいい街」を理想にしたとする。inばかり増えて万歳かと思ったら、今度は面積や土地の問題が出てくる。理想を考えているのに必ず現実の問題を想定してしまう。

どんな理想も必ずデメリットが存在する。デメリットを自覚したうえで理想を追求するのか、デメリットを見ないことにして追求するかで、理想を追求中に生じる問題への対応が大きく変わる

デメリットを大雑把につかんだうえで、それでもやるかやらないか。やるならなぜやろうと決めたのか。

まさに「選ぶ自由」が生かされている。

「この道しかない」でなく「この道を歩んでもいい、歩まなくていい(違う路でいい)。どっちにする? なんでそっちを選ぶ?」と自分に問いかけ、一つずつ街を創っていく。

街を創る思考は「今している作業~ビジネス、芸術、生活その他」の応用であり、裏を返すとビジネスや芸術、生活はすべて「街づくりの土台・基本」ともいえる。

僕の師匠が「一段階、高いところから物事を観なさい」おっしゃった。ほかにも苫米地英人さんは本で「抽象的に物事を見る」方法や考えを述べていた(上記動画参照)。

図にすると、こんな感じだろうか?
街一つを創るにも、様々なノウハウや考え、問題が詰まっている。芸術一つをとっても町の文化に行きつく。どういう町だから住みたいと思ったのか。反対にどういう町だからこそ「今いる街を出て、ここに引っ越す」と決めたのか。仕事なんかもろ「引っ越しの理由」上位にあたる。「この場ででしかできない仕事がある」ため、都会に引っ越する人が多い。

また地元あるあるとして、今まである大企業が地元の収入を支えていたが、社会の波にのまれて倒産して姉妹、地方税を大幅に失ってしまった。結果、今よりも借り入れ(国など)が多くなり、赤字の街となっている。赤字を少しでも減らす……いや、町の収入を増やすには。
反対に赤字をもっと増やしていいなら、どんなバカな企画を立てて挑むか(イーロンマスク買収後のツイッター状態)? 今赤字でも、だんだん黒字へつなげていけばいいのだ。

街一つを創るにも、色々検討すべき項目があり、頭が痛くなり、そして楽しさすらある。

「今の生活に物足りない」思っているなら、一緒に街づくりを考えてみてはいかがだろうか。


支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます