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【なんで?】英語教育ではないの?

幼児向けオンライン・アクティブラーニングのミーツ・ザ・ワールド🌏

子どもたちがオンライン上で出会う異なる国や文化の人とトモダチになるアクティビティです😄
https://meetstheworld.studio.site/

「ミーツによく質問いただくこと」を、【なんで?】シリーズと題してご紹介していきます!

今回は”英語教育”についてです!

英語教育ではありません

結論から言うと、ミーツは英語教育ではありません。

「じゃあ、英語を使ったアクティビティですか?」という問いに対しても、

いいえ。そうではありません。

ミーツは、”コミュニケーション・アクティビティ” です。

これは私の造語ですが、「人とのやりとりや触れ合いに、興味を持つこと、楽しむこと、学ぶこと」と定義しています。

ミーツが「英語教育」ではなく、「コミュニケーション・アクティビティ」である理由は、大きく次の3つです。

その1:コミュニケーションの発達という理由

私は中学、高校、大学と英語教育を受けてきましたが、

最初はアルファベットで始まり、単語と文法と例文を習って、

受験や海外旅行に困らない程度の語学力は身に付けました。

ただ、この過程の中で私が英語を使って、

「これで世界中の人と話がしてみたいなーーーっ!!!」と思ったことは、

これといってありませんでした。

頭(知識や理論)から入ってきたコミュニケーションの方法は、

心(意欲や姿勢)に結びつきにくいと思うのです。

もちろん、頭で理解されていて、心もある方がいらっしゃることは、重々承知しています!

しかし、考えてみてください。

あなたが日本出身であれば、最初に言葉は「ひらがな」から学んだでしょうか?

日本以外の国の出身の方は、母国語の文字と考えてください。

あなたは、おそらく平仮名から学んだのではないと思います。

最初に学んだ言葉は、「ママ」か「パパ」か、「わんわん」か「ブーブー」か、「みて!」か「ちょうだい!」であったはず。

目の前のあの人をここに呼びたい。初めて名前を知ったアレを言いたい。どうしても戸棚の中のグミが欲しい!

そのような「伝えたくてしょうがない!」という言葉から、学び始めたのではないでしょうか?

ミーツは、異なる国のゲストに加えて、多言語を話せる”コーディネーター”という人が、一種の通訳としてZoomに同席します。

そのため、お子さんはどれだけ日本語を話してもらっても、英語や他言語が聞き取れなくても構いません。コーディネーターがすべて訳します。

だって、そのお子さんが「それを言いたい!」のだし、ゲストからの「それを聴きたい!」からです。

お子さんに体験してほしいことは、異なる国や文化の人とも「やりとりが楽しくできた!」という感覚です。

それが英語であるかないかは、本質ではありません。

その2:本来ある多様性という理由

なぜ英語教育があるのでしょうか?

文部科学省が『小学校における英語教育について』と報告している資料には、こうありました。

経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し、人、物、情報、資本などの国境を越えた移動が活発となり、国際的な相互依存関係が深まるとともに、国際的な経済競争が激化し、果敢な挑戦が求められている。また、地球環境問題など人類が直面する地球的規模の課題の解決に向けて、人類の英知を結集することが求められている。こうした状況の下では、絶えず国際社会を生きるという広い視野とともに、国際的な理解と協調が不可欠になっている。(原典Webサイト)https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1379935.htm

ここでこの引用を、「英語教育」ということは一回忘れて、次の問いを考えてみてください。

ここにある「グローバル社会における果敢な挑戦」と「地球的規模の課題の解決」に、あなたが必要だと思うことは何ですか?

私は、「より広い世界への興味」と「多様な人とコミュニケーションする姿勢」であると考えます。

では、それを達成する方法は、「英語教育」でしょうか。

私は、それも必要であり、そしてそれでは足りないと考えています。

アルファベットを学んだ子が、それを使ってスリランカの人ともウルグアイの人とも話せることを体験するのは、いつなのでしょうか?

Hello!という言葉を知った子が、同じ意味の言葉をベトナムでは Xin chào! 、ロシアではЗдравствуйте! と言ったら相手が笑顔になってくれるのを知るのは、いつなのでしょうか?

ミーツは、「より広い世界への興味」と「多様な人とコミュニケーションする姿勢」に”全振り”しました。

お子さんがベトナム出身の方に Xin chào! と言ってくれたら、誰にとっても嬉しいことではないかと思っています。

その3:「もうできるから」という理由

『教育』という言葉には、時に恐ろしいイメージがつくと思っています。

それは、「相手がまだできない」という前提にある、ということです。

なぜ、子どもたちに英語を教育するのでしょうか。

それは、彼ら彼女らが「まだ英語ができないから」です。

たしかに、TOEICやTOEFLを受検したら、何点取れるか分かりません。

では、子どもたちは、「まだコミュニケーションができない」のでしょうか。

いいえ。できます。立派にできます。

5歳6歳にして、イタリア出身の人とパスタの話ができるし、インドネシア出身の人と伝統衣装の話ができます。

(言ってしまえば、1歳でだっこをせがめますし、3歳で「ねえ、これ見て!」と要求もできますね。立派なコミュニケーションです。)

「英語はまだできない」としても、「コミュニケーションはもうできる」のです。

これを読んでいただいているあなたは、

「まだできないことをゼロからやれ!」と言われることと、

「もうできることをどんどんやっていいよ!」と言われること、

どちらに興味と楽しみを想像できますか?

これを読んでいるあなたが、特に子どもと同じ立場なら、ということも考えてください。

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