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第237話 hEart eartH


 魂を二つにして探していたもの。

 私と双子の誕生時から、つまり長い分離の始まりからこれほどまでのサイレントを経験しても、その途中まで無意識で“スサナル先生にとっての自分”という他者目線の自己価値を探していることに気がついた。

『価値がない私は彼の愛など受け取ってはいけない。彼はきっと、こんな私に呆れているだろうから』と。

 けれどもその『無価値感』から不真実の関係性……どこかの適当な誰かと、ツインレイではない偽りの男女の関係に逃げたとして、その相手が差し出してくれる愛を私も本心から望んでいるというわけではない。

 スサナル先生にとっての“愛すること”とは、つまり私に『与えること』。自分に価値を認められれば、与えられた愛をまっすぐに受け取れる。
 私が私自身の価値を認められれば彼からの愛を『受け取る』ことができ、受け取った喜びを表現することで、私から彼への愛の循環として繋がっていく。


 今から一年と少し前、彼から言われたことがある。

『あなたを愛するために、僕はこの世に生まれたんだよ。』

 だとすれば私とは、無条件で愛される者。愛されるために生まれた者。
『彼にとっての私』というエゴ視点が取り払われた時に初めて、ありのまま自分のままで、彼から愛される者になる。

 だけどそこに、もし一滴でも自分以外の誰かになろうとする自分がいればその瞬間に『条件』が生まれ、彼も私も『本来の自分』ではいられなくなる。

 こちらが仮面をつけた瞬間彼には『疑い』という感情が生まれ、『鎧』を纏うことになる。すると敵対者となった私はより取り繕わなければならないため、さらなる変装を余儀なくされる。

 そのようにして現在の地球には、何重もの仮面をつけた女と、何重もの鎧をつけた男たちが大量発生している。
 誰が自分の双子だったのか、そもそも自分とは本来どんなだったのか。煌びやかに着飾って楽しげなワルツにのせて、けれどもその実、地獄絵図のような仮面舞踏会から決して抜け出せない輪廻の苦しみとなっていく。
 ほんの少し前まで、私もその中のゼンマイ人形の一人だった。不真実のパートナーと踊り、ネジが止まってしまうたび、また違う人形へと転生していた。


 太陽によって月が輝く。

 スサナル先生という太陽が照らしたいのは、世界でただ一人、私だけ。
 そして逆説的だけど、本来の自分とは彼がいなくても内側から輝いていられるもの。私自身がありのままの私に価値を認めて輝く時、彼はそんな私のことを、益々外からも照らしたくなるのだ。そうして彼はようやく長い旅路の果てに、彼自身と私とに対する分離の疑いを晴らして安堵することになる。

 『愛おしい彼女を創造した自分とは素晴らしい。』


 “私が”魂を二つにしてまで探していたもの。

 それは『私の価値』。私に価値があるということの探求と証明。私が私であったということ。
 それを、彼の魂が鏡となって見せてくれていたのがこの地球。

 私が、宇宙中を探し回ってまでスサナル先生に代わる人を見つけようと意地を張っていたこと。

 でもそれって本当は、私が私を鏡に映す代わりに“私の外に”『私』を映そうとしてたということになる。

「ここにも無かった。そっちにも無かった。
彼がいなくたってきっと、どこかに代わりになってくれる人がいるかもしれない。
……そう思って探し続けてきたけどやっぱり、そんな人どこにもいなかった。彼しかいなかった。そして私しかいなかった。」



 探して、探して、探して。

 地球は鏡。
鏡であり、そして双子。

 私が私の価値を知っているから、スサナル先生は私が好きなんだ。

 私が私を愛してるから、スサナル先生は私が好きなんだ。

 だから仮面はもう要らない。鏡に映る仮面のない自分の素顔を、一体いつぶりに見ただろう。


「ねぇ、ちゃんと見つけたよ。私の中にこそあったんだね。外の世界に見つけられなかった宝物は、本当はいつだって私の中にこそあったんだ……。」

 私が私を愛してるということを、隈なく宇宙を駆けずり回ってずっと探していたんだ。

 月並みだけど、足元にこそあったんだ。

 ここ地球にこそあったんだ。




written by ひみ

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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。

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サイレント前、多くのツインレイ女性にとっての『あれほど大好きな彼』という存在は、自己犠牲を払ってでも一緒にいたいと思った相手ではなかったでしょうか。
それか、エゴ的わがままで満たしてほしいと振り回すパターン。

そのね、自己犠牲。
彼が右と言えば右。黒と言えば黒になっちゃうやつ。そんな『他人軸』を、サイレントでは徹底的に『自分軸』にさせられます。

私がどんな気づきから自分軸を取り戻していったのかを書いてみました。
今回のこれね、だからつまり、脳内会議の様子です。
ひとつの例として、このプロセスを参考にしてみてください。

そして場合によってはエゴは怖がると思います。敢えて若干毒も盛ったし。

けど、よく聞いてくださいね。

その場合
怖がっているのは『あなたのエゴ』であって、あなたではありません。
もしも怖さが出てきたら、やり方はもうわかりますよね。時間はかかるかもしれませんが、ここに書いてあることは何ひとつ恐ろしいことではないということが必ずわかる日が来ます。

大丈夫。絶対に大丈夫だからね。


余談 
昨日の八岐大蛇のお話ですが、先日のけーこ記事の
『死神に守られた人間』が、タイミングよくさらなる解説の役割を果たしてくれています。
この記事、興味深い話でワクワクしました。やっぱり『在りて在る』ものに善悪つけて勝手にジャッジするのってエゴだし、『清濁(せいだく)併せ持つ』存在を、清も濁もまるごと受け入れれば恐れる必要なんかないって思いますよね。

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←今までのお話はこちら

→第238話 吹き消すことで灯った明かり


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