(続)保険外交員

会社に行きたくないと思い始めると、寝ても寝ても、眠気がおさまらなくなりました。
10時間以上寝ても、まだまだ眠いのです。
もともと得意ではない家のことも、何もやる気がなくなりました。
生活や、なにより子育てに支障をきたしてしまうくらいなら、もう保険会社を辞めよう、と決めました。

会社には、大好きな上司がいました。
おばさま方の中にひとり、私とは年が10才ほどしか違わない若さで、シングルマザーでした。
かわいらしい顔で、かわいらしい声、けらけらとよく笑い、一緒にいるのがとても楽しい人でした。
辞めたい気持ちを伝えると、彼女の顔はみるみる般若のようになり、その顔はその後、私に対しては、もとの可愛らしい顔に戻ることはありませんでした。

大好きなその人が般若になってしまい、私はますます眠い毎日になり、もう会社へ行っても、彼女の顔さえ見られなくなりました。

私は思い切って、心療内科に行ってみました。

健康そうに見える私に受付の人は
「うちがどのような病院かご存じですか?」
と聞いてきました。
ただの内科と間違えたのだと思ったようです。
「はい、わかっています。会社に行くのが嫌になり、来てみました」
と、私は答えました。

待合室のテレビ画面では『内観療法』というものについての説明が幾度も流れて、壁にはポスターなども貼ってありました。
何日も、何時間も、静かなところで、親から受けた恩などについて考えるというようなことでした。
私には必要なことかもしれないと思いましたが、料金も高く、子供達のことなど考えると、とても無理なことでした。

私の名前が呼ばれ、診察室に入ると、私より少し年上くらいかと思う男の先生がいました。
会社に行きたくなくてただただ眠いということを告げたのに、先生は、家族のことや生い立ちについて質問してきました。

子供の頃の母との生活を話しているうちに、勝手に涙が出て来て、止まらなくなり、私は嗚咽しながら話しました。
鼻水も出て来て、ティッシュをいただき、とても長い時間(に感じました)、今まで深く誰かに話すことがなかった話をしました。
私が泣きながら話していたので、看護師さんが様子を伺いに何度も行ったり来たりしていましたが、先生は静かに、動くこともなく、話を聞いてくれました。
私が一通り話し終わると、先生は言いました。
「お母さんがあなたにしてきたことは、精神的虐待です」

私は驚きました。
『精神的虐待』という言葉は、その頃にはまだ世間で知られるようなことではなく、もちろん私も初めて聞いたのですが、しっくりと、当てはまることだと思ったのです。

先生は、私はその育った環境のせいで、夫との関係も、仕事でのストレスもうまく受け流せないのだと言ってくれました。
そして、待合室で目にしたあの内観療法をすすめられました。
ただ、内観療法を受けるためには、まずあなたは今日ここへ来たことや、
自分の気持ちをご主人に伝えなければいけない、と。
まずはその勇気が必要だと、言いました。

でも、
夫にそんなことが話せるくらいなら、こんなことにはならないのだ、と思いました。
母ともそうでしたが、夫にも、自然に話しかけることなど出来ませんでした。
他の人にとっては多分なんてことのない会話でも、いつも話しかけるタイミングを見計らって、いまだ!と声を出すのですが、そんな声の出し方なので最初の発声はかすれて低く、言いたいことを最後まで言えないことがほとんどでした。
恋愛結婚だったのですが…
付き合っている時期には、なんでも話せたのですが…

でも、先生が最後まで静かに話を聞いてくれたことで、私は少しすっきりしました。

夫には話せないまま、ベリーショートの宝塚に、辞めたいと伝えました。
もちろん、般若から聞いてはいたでしょう。
私が毎日、暗い顔をして、とりあえず出社はして朝礼に出ても、その後は家に帰って何もしていなかったことに気付いていた宝塚は、仕方がない、と判断してくれました。でも、
「辞めてもいいけど。最後に2件、必ずあげなさい」
仁王様のような顔で言ってきました。
家族を2人被保険者にしろ、ということなのだと理解しました。
家族を2人も保険に加入させてしまうと、辞めた後に月々払っていく保険料が大変なことになってしまいます…

その頃に住んでいたマンションのお隣さんも、別の保険会社の外交員をしていました。
あちらから「もしかして?」と声をかけられました。
保険外交員は、必ず分厚くて重い約款を持って歩かなければならなかったので、スーツを着て重そうな大きなバッグを持ち歩いていることですぐにわかったようでした。
お隣さんと言っても、それまで特に付き合いもなく、話したことはありませんでしたが、その後は顔を合わせると、お互いの苦労話や愚痴をこぼしたりしていました。

私は、詳しく説明しなくてもわかってくれるであろうその人に、一時的な契約者になってくれるよう、頼みました。
すると、その人は、お互いそうしましょう、と、持ち掛けてきました。

私達は、お互いの会社の保険にそれぞれ入るために、向かい合って、
契約書に署名と捺印をしました。
悪魔の契約をしているような気分でした。

途中経過の報告を1度もしたことがない人から契約をとるなんてことは普通は無いのですが、上司たちは私の契約者について、どこの誰で、どんな関係かなどということは、一切聞いてはきませんでした。
2件の約束だったので、もう1件は、家族の中で1番保険料が安くなる次女を被保険者としました。

そして、晴れて私は保険会社を辞めることができたのです。

私のように、『絶対にやりなさい』などと脅されて、『一時的な契約』をする人は、よくいるようでした。
会社には契約をとったと報告して、すぐに解約してしまうのです。
または、すぐに最初の契約より保障額を下げるのです。
それを防ぐために、3ヶ月だったか、半年だったか忘れてしまいましたが、
その前に変更や解約をしてしまうと、後でお給料が減額になるようだと、聞いたことがありました。

私は辞める時に、仁王と般若に、それをしないように約束させられました。

会社を辞めてすぐ、違う保険の減額をしようと相談窓口へ行きました。
夫を被保険者にした保険にも入っていました。
夫は不健康な食生活をしていたので、いつか病気になるだろう、と、日頃から思っていました。
良いきっかけかもしれないと、契約していたのです。
ただ、例のごとく、高い保障額のものだったので、
解約しないまでも、できる限りぎりぎりまで保障額を下げ、保険料を安くしようと思ったのです。
また、付き合いで義理の妹が、その息子を被保険者にして契約してくれていたので、2人で出かけました。

窓口のおじさまは、
「内容を確認するので少々お待ちください」
と言って、2件の保険内容をプリントアウトしてきました。
内容を確認する前に、担当者の名前を見て、窓口に来ているこの私だとすぐに気付きました。
そして、きりっとした顔で、でも優しく
「もっとあるんじゃないの?」
と、言ってきました。
すべてを察してくれた様子でした。
「でも、しばらくは解約しない約束をしたので…」
正直に言うと、
「そんな約束は守らなくていいから、今解約していきなさい」
おじさまはそう言ってくれたのでした。

お言葉に甘えて解約したものの、
いただいてしまったお給料はどうなるんだろう?
後から返せと言ってくるんだろうか?
仁王か般若から
「よくも約束を破ったな!!」
などという電話がかかってきてしまったら、どうしよう…

数か月は、びくびく暮らしましたが、
どこからも、何の連絡もありませんでした。

直属の上司は仁王と般若でしたが(本当はどちらも怖いものではないんですけど)
支社長や副支社長は、仏様のような人達でした。

どのような理由で集まった会なのかは忘れましたが、
あるとき、たくさんの人が集まった会で支社長が話してくれたことで、
私は大きく変わりました。

『「ふつうは」とよく言う人がいますが、
そのふつうは、その人にとってのふつうでしかありません。
ひとりひとり「ふつう」は違っていて、
たとえ親子であっても、それは違うものなのです。
母親のお腹から生まれたこどもでも、母親とは全く別の人間です。』

その言葉は、私の心にぐっさりと突き刺さりました。


私と母の「ふつう」は違うんだ


母子家庭で、人付き合いも好きではなかった母と二人暮らしだった私は、
その狭い家の中で、本当によく母に
「ふつうは〇〇でしょ」とか
「〇〇がふつうでしょ」
と言われて育ちました。
疑うことなく、母が「ふつう」ということが常識だと思っていたのです。
たとえ違和感を感じることがあっても。

だから、友達が「ふつう」じゃなかったとき、私はそれを責めました。
そして、「ふつう」になることを強要しました。

何て嫌な人間だったのでしょう。

ぱっちりと目が覚めた私は、自分の子供達には決して「ふつうは」と言わないことに決めました。
私の考えを人に話すときには
「『私は』こう思う」
と、強調するようにしました。

考え方が違う人もたくさんいます。
私とは合わない人もたくさんいます。
でも、それは当たり前のことなのです。
その人との「ふつう」が違うから。

そう思うと、たいていのことは許せるようになりました。

支社長の名前さえ覚えていませんが、
大変感謝しています。

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