「いちりとせ ~ 石段の思い出」
2歳から12歳までの10年間、鹿児島市常盤町に住んだ。通った小学校は市立西田小学校。今みたいにゲーム機などもなかった当時、学校から帰った子供たちが外で遊ぶ姿があちこちに見られた。男の子と女の子の遊びははっきりと別れていて、男の子は、ボール遊びや陣取り、缶蹴り、ビー球、メンコなど、女の子は、ゴム飛びやあや取り、おはじきなどで遊んでいた。
3年生か4年生だったある日のこと、2人の同級の男の子が自宅にやって来て、男女数名のクラスメイトが一緒に遊んでいるから加わらないかと誘われた。わざわざ誘いに来るなんて珍しいこともあるもんだと思ったが、女の子と遊ぶなんて、さらに有りえないことだった。一瞬耳を疑い、訊き返した。
「女の子と遊んでる? ウソでしょ? そんなの恥ずかしいよ」
「いいから、とにかく来てごらん」
手を引っ張られるようにして、半信半疑のまま付いて行った先が、写真の石段だ った。
ー 珍しいこともあるもんだ! ―
誰が言い出したのか知らないが、男女数名が一緒になって、遊びに興じる姿が目に飛び込んできた。その遊びは、普通は女の子同士でやっていたものだった。
集団の中に、1人だけ鬼がいる。石段の上で4拍子のわらべ歌を歌いながら、2拍に1度、皆で同時にピョンと跳んで移動し、歌が終わったとき、鬼と同じ段にいた子が新たな鬼になる。
そのメロディーをホ短調で歌うとこんな感じになる(楽譜で示せないのが不便だなぁ)。
ソッソ シッシ ラ~ソ ラッソラッソ ミ
ミッミ ミッソ ラ~ソ ラッソラッソ ミ
歌詞はちょっと奇妙なものだった。
いっちりっとせ~ らっとらっとせ
ちんがらほっけきょ~は ゆめのくに
2番3番があったのかも知れないが、これだけしか覚えていない。
男の子だけでなく女の子も一緒になって遊ぶと、それだけでなぜか楽しく感じられたのを覚えている。この日を境に女子とも一緒に遊ぶようになるのか・・・、とその時は期待したが、それはたった1日だけの特殊な現象で、翌日にはまた、何もなかったかのように、男女別々に遊ぶ元の世界に戻っていた。
その石段があった家には、同じクラスの女の子が住んでいた。足が速くて見た目のカワイイ人気のある子だった。
ある日、その家の石塀にいたずらをしたことがあった。その付近に住む同級生の男の子3人、ちょっとした出来心から、学校からくすねてきたチョークで石塀に落書きをしてしまった。何を書いたかは思い出せないが、ロクでもないことだったことは確かだ。子どもにとっては、その女の子へのねじ曲がった愛情表現の一種だったが、自宅の壁を品のない言葉で汚された側にとっては堪ったもんじゃない。
犯行後数日経って、共犯の男の子から、その女の子のお母さんが怒っているということを知らされた。前の道路を歩いているときに取っ掴まって、こっぴどく叱られ、落書きを消すように命じられ、苦労して消したことを伝えられた。
「あ、ごめんね、2人だけに損をさせたね」
「大丈夫だって、心配しなくても君が書いた分は、ちゃんと残してあるから、ちゃんと自分で消して謝ってね。早く消したほうがいいよ」
「え? 消してくれなかったの?」
「何言ってるの? なかなか消えなくて大変だったんだよ。自分の分を消すだけで精一杯だって。泣きながら消したんだよ。」
「え~~~!」
いくら何でも、落書きを消すぐらいで男の子が泣くなんて大袈裟だと思った。実際、その二人はそんなに簡単に泣き出すような子じゃなかったから、面白がって自分を脅かしているんだろうと思った。
聞いた瞬間は、軽くいなそうと思ったが、その家のお母さんに自分の名前を教えたと言われ、逃げられないと悟った。
こうなったら、もう自分で消すしかない。一人でその場に足を運び、人目を気にしながら、縮こまってポケットからハンカチを取り出して拭き始めたが、たちまち擦り切れて穴があき、ちょっとやそっとじゃ消えないことを理解した。
ー こりゃあ、たっぷりの水とタワシかブラシがを無ければ手に負えないな・・・ ー
恥を忍んで、その家のドアを恐る恐るノックすると、女の子のお母さんが怖い顔をして現れた。
「どうしてあんなことをするの? 本当に迷惑してるんだからね。近所の人が見てると思うと本当に恥ずかしい。きれいに消すまで許さないからね」
そう言うと、奥からタワシだかブラシだかを持ってきて差し出した。
「これ使っていいから、きれいに消えたらまた呼びなさい」
たった1人で壁をこすり続けるのはたまらなく辛かった。せめてみんなと一緒に消したかった。たまに通る人の視線を背中に浴びる中、なかなか消えない落書きが恨めしく、「泣きながら消した」と友だちから言われた言葉が重くのしかかって来た。「穴があったり入りたい」とは、こういうことを言うのかと痛感しつつ今さら後悔しても後の祭り。自分で書いた文字が心の底から恨めしかった。いつまでたっても消えそうにない落書きと悪戦苦闘を続けているうちに、惨めさに押しつぶされそうになり、目には涙がじわじわと溢れてきた。
あれから40年近い歳月が過ぎ、長い間故郷から離れて暮らしているうちに、そんなことがあったことも忘れ、遥か昔のおとぎ話のように、意識の底に深く沈み込んでいった。
47歳でUターン後間もなく、その町を何十年ぶりかで訪ね、その石段が昔の姿のまま残っているのを見たとき、記憶が鮮やかに蘇ってきた。
かつて遊んだ友達は、もう誰もその町には住んでいなかったが、思い出の痕跡はあちこちに散らばっていて、それらをひとつひとつ拾い集め、立ち止まってはふるさとのぬくもりに浸りながら、夕闇が迫る頃までさ迷い続け、去りがたい気持ちを残したまま、その町を後にした。
ここに書いたのは、その時思い出したことの一つだ。人生も折り返し地点を過ぎた現在、親や先生から褒められたことよりも、こういったこっぴどく叱られた思い出のほうが宝物のように思える。
(2023年 9月)