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若い世代(Z世代)とのコミュニケーションの方法お伝えします。プレゼンテーション力向上、教えるときの心の立ち位置❶

どうもどうも、吉良です。

4月に入り、大学の講義が始まりました。
オンライン講義は原則なくなり対面講義となったことで、やる気にあふれた学生たちが大学に戻ってきました。希望に満ちた学生たちと目を合わせて講義をする、まさに僕の理想とする講義のあり方の復活です。

今回は講義をするうえで大切にしている「教学相長也(きょうがくあいちょうなり)」という言葉や、講義を通して若い世代(Z世代)とコミュニケーションをとる方法について2回に分けてお話ししていきます。皆様のプレゼンテーション力アップにもつながります。

【1】僕と大学講義

正直に言うと、大学時代の僕は、講義には出席していたものの優等生とは程遠い存在でした。つまり、講義はサッカーの朝練等で疲れた身体を講義終了後の練習のために回復させるもの、快適な温度に保たれた教室でゆっくりと休養するためのものだと認識していました。

こう思うようになってしまったのは、サッカー中心の生活をしていたこともありますが、2年の浪人生活を経て、一応、胸ときめかせて新鮮な気持ちで臨んだ大学の講義が僕にとってあまりにもつまらないと感じたことが何よりも大きな要因だったように思います。

先生は椅子に座ったまま僕に目を合わせることもなく、何年も使っているのであろうボロボロになったノートばかりを見ていました。先生のほうが立場が上で、下にいる学生たちに相手の都合を考えることなく、ただそこに書いてある内容を伝達しているだけにしか思えませんでした。つまり全くコミュニケーションが存在しない場だったわけです。

有名な先生も多くいらっしゃいましたが、有名であればあるほど学者色が濃くて説明に工夫がなく、眠くなるような講義をしている傾向にあったように思います。

あまりの退屈さに僕は先生、特に大学の先生には絶対になりたくないと心に決めていました(友人からは、不真面目すぎる僕がなりたいと思ったとしても絶対に先生になれることはない、と言われていましたが)。

【2】初めての先生と「教学相長也」

そんな僕が初めて「先生」として講義をしたのは、1997年。
北京にある中国人民大学での電通広告講座でした。このメンバーに選ばれたときも、大学で教えることへの大学時代のネガティブな記憶と自分で築き上げた広告・メディアビジネスのノウハウを伝達することへのかなりの抵抗感がありました。

オリエンテーション時に辞退して他の人に代わっていただこうと、闇の思考が頭の中を占めていました。しかし、オリエンに突如現れた社長の存在はその思考を停止させるばかりか、僕の人生の分岐点を創り出しました。

そのオリエンで当時の電通の社長だった成田豊氏から、たった一言、お言葉をいただきました。

「教学相長也」の気持ちで、講義に臨め

この言葉は、今では僕の「座右の銘」となっていますが、当時はその意味をまったく理解していませんでした。

「先生」として人に教える立場は、自分の知識やノウハウを一方的に他人に与えるものであると考えており、自分がこれまで培ってきたものをばらまいて本当に良いものか、と中国人民大学の講義の途中までずっと思っていました。非常に独りよがりな考え方ですね。

しかし、大きな心の変化は講義中に起こっていました。
超満員の大きな階段教室は学生たちで溢れかえっており、後ろ、両サイドに立ち見をする学生もたくさんいました。大学は寝るところだと思っていた僕にとって、1人として寝る学生のいない、ましてや絶対寝ることができない立ち見をしてまで講義を聞くその空間は、本当に心地よい環境でした。

まさに学生が創り上げてくれたクリエイティブ空間でした。通訳を通しての講義だったにも関わらず、何かを伝えるたびにすぐに反応する学生の熱心な気持ちは、ビンビン僕の心に響き渡りました。まさにこの瞬間、少しだけ成田社長の言葉の意味に近づけた感じがしました。

そして、その意味に完全に気づかせてくれたのは、大学で長く教えるきっかけにもなった日本女子大学で講義を持ったこと、そしてその際にいただいたプラダジャパンの社長からのご助言でした。

【3】「教学相長也」の理解のきっかけ

電通雑誌局でファッションクライアントの担当を多く持っていた関係で、まず日本女子大学の被服学科から非常勤講師の依頼をいただきました。しかし、半期15回の講義回数と過去の大学へのネガティブなイメージのせいで先生になることには、相変わらず強い抵抗感をぬぐいきれずにいました。

そんなとき、当時の大切な担当クライアントの一つプラダジャパン(株)の社長から大学の先生を「絶対にやりなさい」と強く言われました。そして、僕の抵抗感を覆す十分に納得できる助言もいただきました。

教科書を読んだり、ストックしてずっと使うようなパワーポイントを使うのではなく、黒板を使ってその時のことを自分の言葉で、最高のプレゼンテーションをして伝えなさい。

先生だからと上から目線になるのではなく、自分ができないことはできないとさらけ出し、間違えたら学生に直してもらって一緒に成長していきなさい。

こうして、電通に在籍しながら日本女子大学で講義を持つこと(まさに産学協同講義)となりました。

上から目線で学生に何かを教えるのではなく、学生となるべく同じ目線に立って双方向のコミュニケーションを心がけた講義、言うまでもなくこの講義が僕のプレゼンテーションスタイル、スタンディングパフォーマンス型プレゼンテーションの原型になったわけです。

【4】大塚先生と「教学相長也」

日本女子大学では被服学科の講義を皮切りに教養特別講義の講師として単発で講義をすることはありましたが、基本的には全学科履修可能な「コミュニケーション」を中心とした講義を、前後期それぞれに担当しました。

2000年から現在に至るまで、全く縁がないと思っていたこの世界に僕をつなぎ続けてくださったのが日本女子大学の講義の入り口になった被服学科の大塚美智子教授でした。

恩人である大塚先生は2022年の3月でご退任されましたが、僕が良い環境で講義を実践できるよう常に前向きに支えてくださり、ずっと応援し続けてくださいました。自分が大学生の頃、学生のことすら見ることがないと思っていた大学の先生が被服学科の学生たちはもとより、先生経験のまったく無い僕のことにこれほどまでに目を向けてくださることに驚き、感謝したものです。

僕は、学生との双方向のコミュニケーションを実現するために、毎週「リアクションペーパー」と呼んでいる課題用紙で、日常で感じたことや疑問に思ったこと、ファッション情報、好きなもの等の情報を集め、翌々週の講義でその課題へコメントしたり紹介したりする方法を取りました。

これにより、学生ひとりひとりの想いや長所に向き合うことができましたし、僕も若い世代のトレンドを学生たちから教えてもらうことができました。

これは、時代が変わって若者の興味関心が変わっていっても効果的で、現在の若い世代(Z世代)とコミュニケーションを取りながら、学生やその時代に合わせた講義をするためにも非常に重要なツールとなっています。

このように学生との双方向コミュニケーションを継続していくうちに、「教学相長也」の精神である「教えることは学ぶこと、一緒に成長していくこと」を体感することができました。

この双方向コミュニケーション方式は単発の講義ではなし得ないことで、15回前後続く毎週のカリキュラムだからこそできたことです。このような機会をいただけたことで、僕のあらゆるスキル、特にプレゼンテーションスキルを大幅に増強させていただき、教える側の僕を成長させ続けていただいていると感じています。

そしてこの学生との双方向コミュニケーション講義スタイルは2006年からスタートした大阪芸術大学でも踏襲し「教学相長也」の精神は僕の大切な教育指針になっています。

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次回は、「大学での学び」についてひも解きながら、さらに詳しく僕が大学で教えるときに心がけていることをお伝えしていきます。

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