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高校中退してから約10年経った

2024/5/21 現在25歳

僕が高校中退してから約10年経った。
もし学校を辞めようと考えている人がいたら
「こんな人もいるんだな〜」と読んでいただければ幸いです。
あと初投稿なので読みづらかったらすいません、、、

2015年4月
高校2年生になったばかりの僕は高校に行かなくなった。
学年が変わって3日しか行かなかった。

大きな原因となったは以下の4つだろう。


1.電車に乗るのが怖い


中学生までは徒歩通学だったが
高校生になってから片道40分の電車通学になった。

高1の7月頃
電車に乗っている時「あれ、、体調でも悪いのかな?」と
呼吸が苦しくなった。
電車を降りたら治ったので「気のせいか」と思って学校へ向かった。

それ以降、たまに呼吸が苦しくなり
やがて電車に乗るたび「また呼吸が苦しくなったらどうしよう」と
電車に乗るのが怖くなっていった。

なんで呼吸が苦しくなるのか分からなかった。
「何も怖くない大丈夫」と心に何度も言い聞かせた。
今思えば正しくない解決策だったかもしれない。

時間が経つにつれて恐怖心はどんどん強くなり
体調が悪い日は
電車内で「はぁはぁ」と息が上がり逃げるように電車から降りた。

誰かに相談しようと思ったが
「こんな話を誰が理解してくれるか?ましてや俺はそんな変な人間じゃないし弱い人間でもない」と現状を受け入れられずにいた。

2014年では主観的な意見になるが「精神科に行くのは心の弱いやつ」
「甘えてる」みたいな風潮がまだあったと思う。
親にもこんなこと相談できないし
心配をかけたくないと思って誰にも言えずにいた。

2.人に見られる状況が怖い


電車で呼吸が苦しくなったと同時くらいに
人に見られることに強く恐怖を感じるようになった。

元々、人前に立つことは苦手であったが
小学校では学級委員をやったこともあったので
苦手なりにも全くできないというわけではなかった。

強く恐怖を覚えたのは高1夏休み後にあった理科の発表。
5分くらいの短い発表時間だったが、声と手足が制御不能になった。
自分の体なのに何も指示を聞かない。

声は震えて、手はプルプル、足はガクガクと
「どうなっちまったんだオレのカラダ」状態だ。
昔から調子が悪いと声や手足が震えることはあったが
誰から見ても震えてる状態になったは初めてだった。

それ以降では
英語でフレーズを丸覚えしてみんなの前で発表という機会があったのだが
いつものように緊張しすぎて、笑われたり、心配してくれる人もいたり
「あ〜やっぱり側から見ても緊張しているってバレてるんだな」と自分にガッカリした。(心配してくれた子には感謝しかない)

段々、人前だけでなく外に出るだけで
「自分って変じゃないかな?緊張がバレてないかな?」って気にするようになった。

歩き方一つとっても
「内股気味に歩くと女の子っぽくて変かな」と思ってガニ股を意識して歩いてみたり
人に顔を見られるの怖くなってマスクをつけるようになった。
普通を意識すればするほど不自然になっていた。

3.お腹が痛くなる


自分は緊張する場面になるとお腹が痛くなってしまう。
なのでトイレにすぐに行くことができない状況になるのが昔から辛かった。

特に中学校は治安が悪くて、男子トイレで個室(う◯こ)に入ると
ノックをされたり、上から覗かれたり、トイレットペーパーを投げられる
などがあった。
これは僕だけではなく、スクールカースト上位勢以外は誰でもされていた。

なので
僕は学校で「う◯こ」を緊急事態が発生するまで絶対にしなかった。
中学の出来事から「学校でう◯こは罪」だと思うようになった。
(学校の男子トイレは全部個室して欲しかった、、)

高校生になると毎朝お腹が痛くなった。
家では大丈夫なのだが学校に向かう途中で毎回痛くなるのだ。
なので家を早く出発し、駅のトイレに行くようになった。

そして段々トイレにいる時間も長くなった。
学校でできないからトイレを出るのが怖くなってしまったのだ。
トイレに篭る時間が段々長くなり、朝の出発時間が早くなった。

朝起きるたびに「なんでこんな早起きしてるんだろう?」と思い
授業中は「お腹痛くならないでくれ〜!」と考えるが苦痛でしょうがなかった。

4.勉強ができない


高校に入学する前に1つ決めていたことがあった。
「勉強」を頑張るということだ。

中学では全く勉強をしておらず
部活をテスト期間と年末年始以外はやっていた。
練習は辛いし、コーチは暴力してくるし
高校に入ったら「こんな厳しいこともうやりたくないな」と思った。

そこで何か将来に役立つことをやりたいと思った。
そこで選んだのが良い大学に入ることだった。

入学してからは毎日学校の自習室で勉強するようになった。
頑張った甲斐があったのか
偏差値50ちょっとの高校ではあったが初めての定期テストでは3位だった。

しかし模試成績は偏差値40台で全くダメだった。
それは当然の結果で
定期テストの出題範囲は狭くて暗記で点数が稼げてしまう。
一方、模試は暗記ではなく理解ができていないと点数が取れない。
付け焼き刃ではどうにもならなかった。

目標を持って結果が出なかったことが僕にはショックだった、、、
これまでの人生で自分なりに頑張った方だったから、、

それで成績を上げるために夏休みに1ヶ月体験の塾に申し込んだ。
しかし春から勉強ばかりやっていたせいか疲れてしまった。
勉強方法も効率を考えずに「勉強量を増やせばいける」という根性論のせいもあるだろう。
2週間後、塾に行かなくなり現実逃避の惰眠を繰り返す夏休みだった。

そこからは頑張りたくても頑張れない期間が多くなり
高校一年生、最後の定期テストの成績は後ろから数えた方が早くなった。

退学手続きへ


そんな4つの理由があって高校2年の2日目に限界がきた。
きっかけは今思えば些細なこと。

その日は英語の授業があったのだが、課題を忘れてしまったのだ。
そのことを先生に報告するとびっくりするぐらい怒られたし嫌味も言われた。

その瞬間「もう学校辞めよう」と強く思った。
なんでそのタイミングだったか分からないが
「毎日色んなことに緊張して過ごしたりするのは辛いし
こんなモチベーションで学校にきても勉強できるようにならないな」と。

次の日になっても気持ちが変わらなかったら
学校を辞めようと思って高校2年生の3日目の学校へ向かった。

気持ちは変わらなかった。

親や友達には勉強が理由とだけ伝えた。
精神的なところを伝えて受け入れてもらえるかが怖かった。

最初は何も言わなかった両親も
1ヶ月後くらいには進路について話しすようになり何度も喧嘩した。

家からは出なくなりYouTubeばかり見ていた。
よく見ていたのがシェーンコイザンという方の演説。
今でも内容を深く理解するのは難しいが心に刺さった内容だった。


そして6月上旬に担任の先生から
「そろそろこないと退学処分になる」と連絡がきた。

もう学校に戻るつもりはなかった。
6月下旬くらいに退学届を書きに母親と学校へ向かった。

担任の先生から
「もう少し視野を広げて物事を考えるといいと思う」的なことを言われた。
その言葉を聞いて
「そんな風に考えれる日が来るのかな?」と思いつつ
「今の自分には全く響かない言葉だな」と思った。

そして最後に「この書類に印鑑を押したら退学になる」と伝えられた。
印鑑を押すのに迷いはなく退学することになった。

終わり

ここまで読んで頂きありがとうございます。
本当はこの約10年間の出来事を書こうと思ったのですが
高校中退だけで3000字となってしまいました(笑)

ここからニート→大学進学→社会人→無職になるのですが
気が向いたら投稿します。


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