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補習校の卒業式――12年間やり切った息子

今日は息子の補習校(土曜日だけ開校される日本語だけで1週間分の授業が行われる学校で日本語学校とも呼ばれています。)の卒業式でした。

幼稚部に入園してから、小学校6年間、中学校3年間、そして高校は2年間(アメリカは9月が新学期なので、高校3年間にしてしまうと、大学生になっちゃう生徒もいるので)の12年間、息子は毎週土曜日に補習校に通い、そして今日、卒業をしました。

コロナ禍により、初めての「オンライン卒業式」となりました。それでも息子はスーツを着て、式に臨みました。名前を一人一人読み上げて頂き「はい」と返事をして、オンラインながらも厳かに式は滞りなく進みました。

思えば、娘(こちらも12年間修了をしています。そして今はトリリンガルの大学生。)とは違って、漢字もなかなか覚えられないし、従って音読も苦手だったし、かと言って文章を書くのも下手で、いつも「何をどう書けばいいのかわからない。」と言っていた息子でした。

息子が小学生の頃は、漢字や言葉を何度も何度も教えても教えてもすぐに忘れるので、こっちも自分の子供の事になるとつい必死になって怒ってしまい、息子が泣いたらはっと気が付いて謝ったり、自分も一緒に泣いたり、後から自己嫌悪になったり、そしてある時はあまりにも出来が悪いので、何か色々な問題があるのでは、と思って色んな専門家に連れていったり、と本当に試行錯誤、誰にも言えない悩みを持ちながら日本語学習を行ってきました。

アメリカの現地校でも成績は良くなくって、小4くらいまでは担任から成績の事でメールが来ることもあったので、この子にはバイリンガル教育どころではないのではないか、と思ったことも正直あります。

後から思うと、最初にバイリンガル教育で育てた娘が優秀過ぎただけなのですが、その時は娘が普通だ、って思っていたのでどうしても息子が足りなく見える。人と比べてはいけない、と人に言いつつも、自分の子供をついつい比べたりして、私自身も母親としてやはりまだ未熟な所が多かったんだと今なら思います。

しかし、そんな息子も小5?小6位からやっと「明日は学校でテストがあるから勉強しなきゃ。」とか言い出す様になり、中学に入ると宿題の提出忘れ等も無くなり、高校に入ると成績も普通になりました。それに比例する様に、最初は必死で日本語での勉強を教えても全く手ごたえがなくて、私も心折れそうに何度もなったのですが、私自身がバイリンガル教育をどうしても諦めきれなくて、とにかく息子の隣に座って毎日続けて頑張っていたら、少しずつ補習校でも何とかやって行けるような感じになっていました。そんな「息子自体の成長」を感じることが出来れば、他人の事は関係ないのだ、と思うことが出来てからは私も心が随分楽になったと感じています。いろいろ振り返って思えば、心配しながらの育児、長い長い道のりでした。

『(二人の子供の)バイリンガル育児の補習校編』は今日で終わりました。でもまだまだ親としての仕事はいっぱいあります。大学受験、就職、その他の新しい局面に向かって、今度は勉強を教えるという形ではなく、違う形、違う方法で子供達の応援をしていかねば!と達成感を感じつつ、次なるステージに向かう息子を更に応援する気合が湧いて来ている私です!



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