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バイリンガル育児ーーー育てた場所の方言がそのまま染みちゃうのね。。。(その2)

その1からの続きです。

私は関西出身で大学を出るまでずっと地元で育ちました。なので普段の言葉はコッテコテの関西弁です。と言うか、アメリカに住んでても、シンガポールに住んでても、歩いてる時や隣のテーブルから日本人の会話(関西弁)が聞こえて来たら一瞬で「あ、もしかして関西出身の方ですか?」って分かる位、関西弁には精通しています。

そんな私がアメリカ人夫(日本語レベルは大したことない。関西弁が強すぎたら通じない)と四半世紀以上前に結婚し、アメリカに住み始めてすぐに多くの日本人と知り合うことになるのですが、ほとんどの日本人は関東から来ている、もしくは他の地方から、の人達で関西弁では上手く会話が進まないことに気がつきました。なので、そういう場合はアメリカで、日本語は標準語で会話をするようになったのです。

そして、上の娘がアメリカで誕生します。バイリンガル育児を貫徹する気合い十分だった私は勿論関西弁で赤ちゃんの娘に話しかけていました。

しかし娘が生まれてすぐに夫の仕事の都合で東京に引っ越しすることになったのです。

引っ越した先は東京タワーのすぐ近くの『ザ・大都会東京』、芸能人やスポーツ選手、政治家や有名人も住んでいるとかいうアパートに引っ越しとなった私(東京に住むのも初めて)は洗練された人達とエレベーターで同乗する度、心の中で『アカン、この場で関西弁で娘に話しかけるなんて。。。出来ひん!田舎もん丸出しで恥ずかしい。。。』って感じたのです。。。(私も若かったよね。。。今だったらどこでも平気で大声出せるけど。。。まだ20代だったしね。。。)

ママ友もいっぱい出来ました。場所が場所なんですごいお金持ちの奥様ともいっぱい出会いました。皆さん見た目だけではなく、言葉遣いもお上品で。。。益々私は『わ〜〜こんなキレイな場所で、皆さんとは(一応)標準語で話してるのに、娘にだけ関西弁で話しかける勇気がない。。。』って思い、娘には標準語で育てよう、って方向転換をしたのです。(娘はその頃生後8ヶ月)

東京には娘が4才になるまで暮らしていました。なのでその頃の娘はキレイな標準語で友達とも遊んでたし、近所の幼稚園にも通ってたし、私も標準語を使って生活をしていました。たまに関西の実家に帰ると私の両親も娘に合わせて標準語っぽく話したりして。

そしてアメリカに戻る数ヶ月前に下の息子が誕生します。息子にはそのまま標準語でバイリンガル育児を行っていた私。

で、アメリカに戻った後もしばらく標準語でバイリンガル教育を行っていたのです。

しかし、毎年の里帰りで関西の実家に2ヶ月とか世話になる、という生活をし始めると、まず息子の言葉に変化が出てきました。言葉が出るのが遅かった息子ですが、日本に帰ると日本語で話すしかなく、普段は一緒にいるじじとばば(私の両親。バリバリの昔ながらの関西弁を使用)と話しコミュニケーションを取る必要が生じます。息子がようやく話し始めた2才位の時、実家にいたら息子の日本語が全て関西弁になっていることに気がついたんです。しかも完全にネイティブ関西人のアクセント、ブレもありません。

考えたら私も東京生活が終わり、息子も生まれて育児がもっと忙しくなり、勿論夫は更に忙しくて仕事のみ、とにかくイライラする時も多かったし、そんな時は関西弁でワーワーやってたし、自然と関西弁を家の中で使い始めていたのかも知れません。

で、更に考えると、私も心に余裕が出来て来たのか、「別に関西弁を話して何があかんの?って言うか、ええやん。」と思う様になり、堂々と子供達にも関西弁で話をする様になってきたのです。その頃息子は2才、娘は5才位だったと思います。

息子はそのまま何の訛りもない関西弁をネイティブの様に話せる様になりましたが、5才位まで標準語だった娘は関西弁がたまに変なアクセントで聞こえるんです。本人もそれは自覚していて「関西弁が好きやし、話したいけど、やっぱちょっと変な話し方してる、って自覚する時ある。」と今は言います。そして「なんでママは私が生まれた時から関西弁で話してくれなかったの?標準語は話すの簡単だけど、関西弁は生まれた時からじゃないと無理なのよ!」とか(ほぼ)八つ当たりされます。(そんな時は「ごめんね。。。ママも大都会東京、セレブな人達の中で関西弁が話せなかった。。。勇気がなかった。。。」って言ってます。)

だからやっぱ育った場所の言葉って染みつくんだな、って私は思っているんです。アメリカンスクールで学んだあの子もシンガポールで育った証がそこにある!