子が生まれた日
それはある冬の日、けれど春のような陽光が差し込んできた日。
分娩室は暖房が効いて熱がこもっていて、だから窓を開いた。外は散歩日和だった。
振り向くと室内は、緊張感と穏やかさと配慮と、そして母親の勇気のようなものが混在した特別な空間だった。
午後だった。「ばあ」という初めての声が分娩室に響いて、無影灯に照らされて姿を現した子は、よぼよぼにふやけた皮膚に覆われていて、まぶたをぷっくりと膨らませ、大声で泣き始めた。僕は妻さんに声にならない声でお疲れ様、お疲れ様と言って、しか言えなくて、分娩室をでて助産師さんとともに生まれてきた子の身体をひとつひとつ確認した。
出生の衝撃。
僕は自分の子が生まれてくる実感をそれまで掴みきれなくて、本当に自分は父親になるのだろうかと呆然としてしまうときもあったわけだけれど、子がその日、「いないいないばあ」とおどけるように誕生してきたのだった。いないいないばあは「いない」という虚構状態を「ばあ」でおどけながら暴くことで相手の緊張を弛緩させる遊びだけれど、子の「ばあ」という産声はまさしく、僕が掴みきれなかった「自分の子」という存在が、非現実感を突き破って現実への境界を越えてくる言葉だった。
前回の記事に書いたように僕は、子という存在の非現実感と共に、生んでしまうことに罪悪感のようなものをずっと抱いていたわけだけれど、子の「おどけ」た登場にそんな感情は吹き飛ばされてしまうようだった。おどけた後に子は大声で泣き出して、僕は「生きたいんだ」と思った。親の罪悪感とは無関係に子は生きたいのだ。それは生への執着のような声だった。
僕は病院の待合ロビーに出て窓の外を見た。外はまだ穏やかな午後だった。
生まれたのだ、と思った。そこでふと、僕は自分が不完全な存在だとずっと感じていたことを思い出した。僕は一卵性の双子なのだけれど、生得的といっていいほど原初的な生の感覚として、双子である自分は一人で生まれてくる人よりもいろんなものが半分なのだと考えてきた。その半分の自分が、子をつくったのだ、と思った。僕はそのことに感動した。
2日後に名前を決めた。
人生はすばらしい。けれど人生はつらい。
名前が何らかの形で子の生きる力になるのだとしたら、それは子が、つらく、さびしく、悲しいときだ。人生にはそういう時が必ずある。つらくさびしいとき、立ち止まって思いを巡らせ、考えることで、自分や他者のさびしさやかなしさと深く向き合ってほしい。誰に見せられるものでも無く、自分の目に見える道を進んでほしい。そんな願いを込めて、有島武郎と宮沢賢治の言葉をもらって名前を付けた。
父は突然父になるのではなく、自らの意志と努力で父に成らないといけない。とはいえ今、一人めに生まれてきた子が僕と妻を親にしてくれたのはまぎれもない事実なので、これから父親としての人生をしっかり歩んでいきたい。そういう決意です。
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