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峰町キリスト教会
2022年1月2日 12:50
先ごろ亡くなられた脚本家の橋田寿賀子さんは、ご自分の書く脚本の一字一句に心を込めておられたので、役者が「てにをは」を間違えただけでも注意されたそうです。 私たちの読んでいる聖書はヘブル語やギリシャ語の原典を日本語に訳したものですから、当然原語のニュアンスを表現することには限界があります。ですから原語で読むと、日本語には訳出されていない部分が垣間見えて楽しくなります。イエス様が山に登って一人父
2021年11月28日 16:57
「『なしてそがんびくびくすっとか。信仰があれば、恐ろしかこつはなかろうが』弟子たちは恐れいっちおたがいにいったと。『こん人はいったい誰じゃろうか。風も海を従えてしまわすとは』」(「奇蹟」風聞・天草四郎:立松和平著より) 「奇蹟」の著者・立松和平氏は、島原城キリシタン史料館の解説員に天草・島原地方の方言の指導を受けて、天草四郎に関するこの小説を書き上げたそうです。もしイエス・キリストがこんな風にあ
2021年8月17日 11:15
田舎に住んでいたからでしょうか、子どもの頃、季節を感じる匂いがありました。その匂いをかぐと「あっ、春が来たぞ!」とか「もう秋になったんだなあ」と季節の変化を感じたものです。ありきたりの匂いであったと思うのですが、私には特別な匂いに感じられたのでした。 10月になると我が家の庭先で芳香を漂わせる金木犀の香りもまた、私にとって特別な匂いです。愛娘の葬儀を済ませて戻った我が家の玄関先に爛漫と咲き乱れ
2021年6月3日 09:46
みなさんは「預言」をどう思われますか?聖書には確かに「預言」についての記述がありますが、これについての解釈はさまざまです。かつては確かにあったが、今ではもう存在しないという保守的な見解もあれば、細部に至るまで物事の判断を「預言」に頼ろうとする超革新的な立場まで千差万別です。 聖書が変わることのない普遍的なことばであるなら、時代や状況における濃淡はあるにせよ、「預言」がまったくなくなったとは
2021年5月30日 09:20
「確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています」(Ⅱコリント5:4) みなさんこんにちは。峰町キリスト教会牧師の大角健一です。今回より峰町キリスト教会noteでのコラム連載をスタートしました。日々の出来事を聖書を通して楽しく見ていければと思っています。 肉体派ではない私が体の中で誇れるものは多くありません。ただ視力だけは子どもの頃からずっと1.5。視力検査で、検査表の