まつもと
料理は誰かと食べたいからつくる。ひとりだったらわざわざつくりたくなんかない。そうは思っても、だんだんとひとりで食べるために台所に立つことが増えてきた。ひとり食卓に向かって思うこと、思い出すことなど
実家のパントリーを整理にかかったら、出てくる出てくる、賞味期限切れの食品の山。捨てるにはもったいないし、食中毒にはなりたくないし。さて、どうしたものか……
自分で自分の料理をつくることについて、思い出を交えて
実家に帰ると、茄子、ししとう、胡瓜があふれかえっている。トマトもいろづきはじめた。ほんの10日ほどまえに「ようやく夏野菜がとれはじめた」とおもったばかりなのに、気がついたらたべきれないほどになっている。毎年、こんなぐあいだ。夏野菜はいつも突然にやってくる。 母の菜園からもらう野菜、母のたべるぶんがなくならないようにと気をつかうときもあるのだけれど、いま、この夏野菜の大波のまえでは、もらえるだけもらってかえったほうが母のためだ。なにせ、毎日収穫しなければならない。根こそぎもらっ
5月に母の菜園にうえた唐辛子類がはやくも実をつけはじめた。たぶん、甘長唐辛子と獅子唐辛子とパプリカとあと1種類ぐらい、ぜんぶ1株ずつあるとおもう。母はいろいろと変わったものが好きなので、苗を買うときには「あれもこれも」となって種類がふえる。おもしろいのは、ここ数年、いろいろな種類があることに頓着せず、収穫のときにはぜんぶおなじものとしてあつかうことだ。数種類あったことを収穫時にはわすれているからなのだろうが、若いころには重要だった品種ごとのちいさなちがいがもう気にならなくなっ
母のパントリーから回収したものの中に、パエリアをつくるための調味料があった。私のレパートリーにパエリアはない。母のふだんのレパートリーにもないが、母はもともといろいろと目新しいことに手を出すのが好きなので、スーパーで見かけて買ったのだろう。だが、よる年波とともに、日常に冒険はすくなくなった。スーパーの売り場で「ちょっとやってみよう」とおもっても、いざ台所にたつとそれが行動にうつらない。だから10年ほどまえに買ったこのパエリアの素も、その後、つかわれることなくパントリーにおきざ
母のパントリーをかたづけていたら、「塩トマト甘納豆」なる謎の製品が出てきた。賞味期限は2016年に切れているから、製造から10年近くたっていると推定される。それよりなにより、なぜこの製品が母のパントリーにやってきたのか、謎だ。 というのは、母は信仰に近いほどの「減塩」主義者だからだ。これは高齢になって健康を気にするようになったから、というのではない。もっと若いころから、「塩は身体によくない」といいつづけてきた。おもしろいのは、それが必ずしも現実の行動とかみあっていないことだ
以前に書いたサンザシのジャム、実はすべて使い切ったのではなかった。なにせ、食べられるかどうかわからないものだから、むだにすてることになるかもしれない。だったら、燃料を多量に消費するまでもないとおもって、半分しか加工しなかったのだ。そして、そのジャムは一昨日に食べきった。となると、のこりもジャムにするのがよかろうということになる。 前回は、冷蔵庫のなかで何年も古びていた「塩レモン」なるものを入れた。それがおもいがけずいい味つけになった。なんでもまぜればいいというもんでもなかろう
いまそだてている野菜のなかでもっとも古くからつないでいるのは、韮だろう。この韮は、もともと結婚前に田舎の家にすんだとき、庭のかたすみに雑草のようにはえていたのがスタートだったとおもう。ただ、自生していた韮はやたらとかたかったので、たねをかってきてまきなおしたような記憶もある。そのあたりはけっこうぼんやりしている。結婚して古民家から地方都市のアパートにひっこしたあと、韮はアパートのちかくの河川敷の畑に移植した。そのアパートからいまの家にいたるまでに途中、いったん畑がとぎれている
実家の冷蔵庫にかぎらない、パン粉のような乾物は、どこの台所でもふるびてしまう傾向がある。たとえば青のりなんか、私の台所でも気がついたら賞味期限が切れている。毎日つかうものではないからだ。パン粉もその代表で、ハンバーグやとんかつをつくるときにはなくてならないものだけれど、ハンバーグやとんかつをそうそうしょっちゅうつくるものでもない。結果としていつのまにかふるびている。母の冷蔵庫にもパン粉がずっとあることは知っていたのだけれど、今回、整理しはじめてから「ひょっとしたら」とおもった
実家の冷蔵庫を検分していたら、冷凍庫から半端につかったちりめんじゃこが出てきた。これにはおぼえがある。1年すこしまえ、私がかったものだからだ。 コロナの時期、母にはなるべくひとのおおい場所には出ないように気をつけてもらっていた。実家の近所にイオンがあるのだけれど、なるべくそこにもいかない。基本的にかいものは私がやっていた。スーパーのすいている時間をみはからって、必要なものをかけあしでかう。母にリストをつくってもらうこともおおかったがだいたいかうものはきまっていた。ちりめんじゃ
ふりかけ、近ごろはお弁当ぐらいでしかみかけないような気がする。あるいは外食をすると、紫蘇のゆかりが彩りにちらしてあったりする。いずれにせよ、それは主役ではない。ちょっと風景をひきたてるためのものであって、それでごはんをどんどんたべるためのものではないだろう。おかずはべつにある。ふりかけは、あくまでおあいそ。 子どものころには、ふりかけの地位はもうすこしたかかったような気がする。ちょうど「のりたま」がテレビコマーシャルをさかんにやっていた時期で、それをたっぷりかけてごはんをたべ
実家からもちかえったふるい食材、おそらくこれがきわめつけというのが、2006年1月に賞味期限がきれたトムヤムクンだ。さすがにこれはくえるのか? かなりのチャレンジだった。過去形でかいているということは、たべたのだけれど、はたしてそれがどの程度、劣化していたのかはわからない。というのも、私はトムヤムクンをたべたことがないからだ。 まあ、長く生きてるから、皆無ということはないのかもしれない。ひょっとしたらどこか、友だちの家とかでたべさせてもらったこともあるかもしれない。ただ、意識
実家からもちかえった賞味期限切れの食品シリーズ、今日は醤油麹に挑戦した。賞味期限は8年前の2015年。ちょっとしたチャレンジだ。 もっとも、発酵食品の賞味期限はあてにならない。たとえば納豆なんかは賞味期限が切れてからのほうがうまいようにおもう。味噌なんかは三年ものが薬とかいうぐらいらしく、ふるさに一定の価値があるぐらいだ。古酒についてはいうまい。ふるけりゃいいってもんでもないだろうから。 この醤油麹、まだ父親が生きていたころ、最初に肺癌がみつかるまえ、現在の菜園よりもひろい
実家のパントリーには、膨大な保存食品がある。むかしからそうだ。主婦として男の子を2人そだてていたころ、母親は、つねに食品の備蓄をかかさなかった。まだ畑がひろかったころにはジャムや瓶詰め類を大量につくっては保存していた。もう習い性のようなものだった。 息子たちが独立していったあとも、この保存食づくりはかわらなかった。なぜなら、ことあるごとに息子たちに作品をおくりつづけたからだ。実際、母のつくるピクルスにはずいぶんとたすけられた。一年中おかずにこまったときにはとりあえずすぐにたべ
庭に何種類かのハーブがはえている。たねをまいた記憶があるのはひとつだけで、それもほんとうにまいたのかどうか、かなりうすぼんやりとしている。すきなひとはいろいろためすのだろうが、私はそこまでハーブに興味はない。「ハーブ」というのは、西洋由来の香草のことだ。英語では紫蘇や葱はもちろん、うっかりすると菠薐草や菜っ葉までherbの範疇に入れられてしまいそうなので、そのことばはうっかりつかえない。カタカナでハーブといっておけば、ふつうは誤解されないだろう。 ハーブをはじめて自分の畑でそ
エンダイブを初めてたべたのは中学生のころだったとおもう。あのころ、私の母親は、家庭菜園をはじめて3年めか4年めぐらいだった。畑がいちばんおもしろくかんじるころだ。そのころですでに100種類ちかい作物をそだてていたのではなかっただろうか。タキイ種苗のカタログをみては、いろいろなたねを仕いれていた。そのなかに、サラダ用の野菜であるエンダイブもあったのだろう。 はじめてたべたときには、「これはなにかのまちがいだ」とおもった。とても人間のたべるものではないとおもったのだ。おそらく、な
むかし丹波で畑をやっていたときの感覚からすれば、豌豆は五月連休のころから二十日ほど、それといれかわるように蚕豆なのだけれど、大阪のほうはだいぶとはやい。母親の畑では、もう豌豆はおわったし、蚕豆も終盤だ。連作をさけるために今年は豆のあとに夏野菜ときめているのだけれど、苗をかうのに出おくれると売れ残りしかないから、なすびもトマトも一週間以上まえにかってきた。おおきめのポットにうつしかえて、出番をまっている。 母はそわそわして、顔をみるたびに「豆はもうぬこう」という。いや、まだ待て
はやいものでもう1ヶ月ちかくまえになるのだけれど、息子の友人が大挙してやってきた。全員はたちをこえているので、当然のように飲み会だ。実はこの面々、息子の保育園時代の同級生たちで、そのなかには小学校時代の同級生もいるにはいるけれど、何人かは私にとって卒園以来という懐かしい顔だった。けれど、たのしくもりあがった。 いえにつれてくるというのを直前に連絡してくるのもどうかとおもうのだけれど、その時点で既に自分用の晩飯の下準備をすませていた。だから、食材もちこみの宴会でこっちで準備する