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サンザシのジャム(?)

実家のパントリーには、膨大な保存食品がある。むかしからそうだ。主婦として男の子を2人そだてていたころ、母親は、つねに食品の備蓄をかかさなかった。まだ畑がひろかったころにはジャムや瓶詰め類を大量につくっては保存していた。もう習い性のようなものだった。
息子たちが独立していったあとも、この保存食づくりはかわらなかった。なぜなら、ことあるごとに息子たちに作品をおくりつづけたからだ。実際、母のつくるピクルスにはずいぶんとたすけられた。一年中おかずにこまったときにはとりあえずすぐにたべられたし、だれかを訪問するときの手みやげにもずいぶんとよろこばれた。兄などは、「あのひとが世の中の役に立っている唯一のこと」とまで、このピクルスを評していた。ひどい言い方ではあるが、そのころあまり仲のよくなかった兄と母のあいだがらをおもえば、これは相当な高評価といえるだろう。
まるで野生動物かなにかのように、たべものをためこんでいく。たまに実家にかえる身としては、それは、「まあ、ようやるわ」とあきれる対象にすぎなかった。だが、やがてその大量の備蓄は、私にとってある種の恐怖にかわっていった。それは、両親が高齢になってたびたび私の手を必要とするようになったころからだ。現実問題、これ、どうするよ、と。
年をとると、どうしても食欲がおとろえる。以前とおなじようにおなじものをつくっていたのでは、当然のようにあまってくる。それだけではない。どうしても日々の調理が保守的になる。もともと母は冒険家で、あたらしいレシピにもつぎつぎ挑戦するひとだった。ものめずらしい野菜の種を注文するのもすきだったし、外国旅行にいくと(本当は法律違反なのだけれど)外国のたね屋で仕入れたたねを密輸してはまいていた。母がとついできた昭和のなかばにはまだ農村の色を濃くのこしていた大阪近郊の地域で、そんな母の斬新な感覚は若い親戚の娘たちのあいだで羨望の的になり、やがて彼女らがおとなになってからは、めずらしいものは「とりあえずあのひとのところ」みたいな感じで、母のもとにやってきた。本人の感覚も周囲の感覚もそのままに半世紀以上がすぎて、平成の世が終わろうとするそのころにも、珍奇なものが母の台所にやってくる。その一方で、料理は保守的になるから、おなじようなものしかつかわない。結果として、そういったあまりなじみのない食材はどんどんとパントリーにつみあがっていく。どうするよ?
そのうちに、つみあがる食材は、そういう「かわったもの」ばかりではなくなってきた。なにせ、消費量がへるし、食事パターンがますます保守的になる。マヨネーズやケチャップのような日常的な調味料さえ消費期限をこえてのこるようになる。そのうちに私の父が死ぬと、ますます食事のバリエーションがへって、つかいのこしがたまる。以前はまるでちょっとした食品加工場ぐらいの量でつくっていたピクルスやジャムが、生産規模をへらしてもあまるようになる。冷蔵庫がギュウギュウづめになり、おくのほうではわすれさられた食品がでる。
もちろん、母もそれなりに対策をする。兄は、たまにかえってくると、「冷蔵庫のなかのふるいの、知らん顔してすてといたで」と報告してくる。ただ、行ってみると賞味期限が切れたばかりのものだけすてて、3年前に切れたものとかは手つかずのままだったりする。しょせん、料理をしない人間にはそのあたりの手心がわからない。

結局、私がやるしかないかと心をきめたのが、ちょうど1年前、母親が入院したタイミングだった。入院した時点では長期戦になるような話だったので、退院までの期間にじっくりとパントリーの整理にとりくもうとおもった。ただ、実際には3泊4日で退院になった。それ自体はよろこぶべきことなのだけれど、整理はできなかった。そこにつづいた療養期にはそんなことに気をくばる余裕もなく、ようやくこの春あたりから、「これは本格的にかたづけにかからないとな」とふたたび意をかたくした。
きっかけは、私のいとこ、母からみれば甥の一家が大人数で来訪したことだった。そのときには、もう人数分の料理をつくるなんて体力は母にないから、スーパーで寿司をかってきた。その際にわさびをさがしたのだが、ひからびたようなものばかり出てくる。大量に出てくる。しかたないのでチューブわさびをあらたにかった。ただ、それをおいておいても、同様にひからびるのは目にみえている。なので、つかいのこしたわさびはもちかえった。そこで気がついた。なにも、整理は母の家でやる必要はない。少しずつもちかえって、自分でどうにかすればいいのだ。ということで、さらに母の冷蔵庫をさがすと、まだひからびてはいないものの、相当にふるいチューブわさびが発見された。7、8年もまえに賞味期限が切れている。これはすてるしかなかろうと、もちかえって、それでもおそるおそるなめてみたら、まだわさびの味がする。「え?」とおもったが、ならばと、納豆にすこしずついれて消費した。そんなふうにふるいものをすこしずつもちかえって、たべられそうなものはくふうしてたべるというのを2か月ほどまえからやっている。こんなわさびとからしは、まだかわいいものだ。

賞味期限が切れて1年や2年なら、余裕でたべられる。ちょうど葱が端境期にはいったので、豆腐にすこしずつつけてたべている。
そして、昨日、もちかえったのが、この難物だ。

サンザシのドライフルーツだというのだけれど、期限切れ5年はさすがにこわい。見たところカビがはえているようすもないから毒にはなっていないだろうが、安心はできない。やはり加熱すべきだろう。ということで、ジャムに煮ることにした。あまり母の悪口ばかりいえない。私の冷蔵庫にも、もう10年以上ほうったらかしになっている水飴がある。むかしいかなごの釘煮をつくったときにかったものだが、あんな手間のかかること、それ以来やっていないからずっとのこっている。賞味期限切れのサンザシにお似合いだろう。あと、やはり母親の手づくり保存食であるレモンの皮の加工品も、これも相当にふるい。なにせ、まだ畑にレモンの木があったころだから、3年よりふるいのはまちがいない。これらをぜんぶほうりこんで、ぐつぐつ煮る。わるいものはぜんぶとんでしまえ!そうやってジャムをつくった。

かなりガチガチに煮詰めてしまったが、やっぱりそれはそれなりに不安があったからだ。だが、味はそれほどわるくない。オーブントースターで焼くいつもの手抜きパンにつけてたべた。どうにかひとつクリア。でも、こういうのがまだまだ、いくらでも出てくるんだよなあ。


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