私が躁うつとわかるまで⑦(終)〜療養への道〜
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正しい診断がされ、正しい投薬が始まったとはいえ、状態は劇的には回復しませんでした。
母の献身的な助けによって会社に通うことができていたものの、家では何をする気も起こらず、ただただ絶望感を感じながら過ごしていました。
夜になると次の日も出勤しなければならないことに大きな恐怖を感じ、朝も絶望感を抱きながら出勤していました。
しかし会社に出勤してしまうと、私はちゃんとできていました。
スタッフとも笑顔で話せるし、仕事もちゃんとできていました。
仕事が楽しいわけでも、絶望感を忘れているわけではないけれど、社会性や体裁を守ろうとする自分の理性に律しられていたのだと思います。
車で出勤する私を毎朝見送る母は、いつか一瞬の気の迷いで車ごとどこかに
突っ込むのではないかと不安だったと言います。
そして見かねた母は私に実家に帰ることを諭します。
きっと良くなるには休養が必要。母もずっと滋賀にいるわけにはいかない。
この母の言い分はごもっともだと思いましたが、やめるというのには抵抗がありました。
社会性を失うのが怖い。
そして、一回仕事や社会から離れれば、二度と戻ってこられない気がしました。
それでも一方で、母に仕事を休んでいい、行かなくていいと言われたことで
気持ちが楽になった気もしました。
誰かが私に働くことを強要したことはないけれど、正社員として働き続けることを義務だと思っていました。
親が無職になっていいと言っているのならいいか。と思ったのです。
私はとりあえず会社に病気の件を打ち明け、長期休暇や退職について考えていることを相談することにしました。
言い出すのには躊躇しました。
症状が辛い時でも仕事は欠かさず行っていたし、行ってしまえば通常通りに振舞えていたため、先方は私がそんな話を持ち出すなどという予想はしていないだろうと思いました。
また、入社してたった3ヶ月目で長期休暇か退職をするなんて、先方からしたらとんだ迷惑な話だろうと思いました。
社長室へは、双極性障害のパンフレットを握りしめて入りました。
今は家族のサポートが必要だから、しばらく実家に帰りたいと思っている。
ここまできちんと言うことができました。
社長は真摯に受け止めてくれて、私が実家に帰ることも苦い顔一つせず快諾してくれました。
人生色々あるよね。ゆっくり休んだらいいよ。
このように言ってくれました。
できる範囲でリモートワークをするということで、休養中もお給料を出してくれることにもなりました。
こうして私は一連の出来事を経て、躁うつであることがわかった私は一旦社会生活を休むことを決めました。
これが私が躁うつとわかるまでのお話です。
おわり
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