見出し画像

【316/1096】映画鑑賞記録「教育と愛国」

316日目。自分の考えていることとやっていることの微妙な不一致さに気づいたら、必ず修正しようと心に誓った日。


斉加 尚代監督の「教育と愛国」を観てきた。


『 ひとりの記者が見続けた“教育現場”に迫る危機
  教科書で”いま”何が起きているのか?

いま、政治と教育の距離がどんどん近くなっている。

軍国主義へと流れた戦前の反省から、戦後の教育は政治と常に一線を画してきたが、昨今この流れは大きく変わりつつある。2006年に第一次安倍政権下で教育基本法が改変され、「愛国心」条項が戦後初めて盛り込まれた。

2014年。その基準が見直されて以降、「教育改革」「教育再生」の名の下、目に見えない力を増していく教科書検定制度。政治介入ともいえる状況の中で繰り広げられる出版社と執筆者の攻防はいま現在も続く。

本作は、歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた大手教科書出版社の元編集者や、保守系の政治家が薦める教科書の執筆者などへのインタビュー、新しく採用が始まった教科書を使う学校や、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師・研究する大学教授へのバッシング、さらには日本学術会議任命拒否問題など、⼤阪・毎⽇放送(MBS)で20年以上にわたって教育現場を取材してきた斉加尚代ディレクターが、「教育と政治」の関係を見つめながら最新の教育事情を記録した。

教科書は、教育はいったい誰のものなのか……。』

映画「教育と愛国」公式WEBサイト「イントロダクション」より

映画の冒頭、「教科化」された道徳の授業風景。
「パン屋」さんに集まる街の人の話が、教科書検定により「和菓子屋」に差し替わっている。
あいさつをするときの正しいお辞儀の仕方の3択問題。正解がある。
どうでもよいような、些細なことのように思えるが、これはとても気味が悪い。

戦前のアメリカでつくられた古い映画がある。
敵(日本)を知るための国策映画だ。
モノクロの映像で映し出される日本の子どもたちの学校風景。そのナレーションは

日本の学校は心を育てるところではない。政府が選んだ事実や認められた思想のみが教えられる。教育の目的は、同じように考える子どもの大量生産である。

とある。
戦時中の教育は、国民を洗脳するための教育であり、異常な光景だと思っていた。
しかし、映画を観終わると、2022年の今、日本の教育は?と思わざるを得ない。

「教育と愛国」は、日本の教育に起きている政治介入の現実について、丁寧に取材し、可視化している。

安部晋三元内閣総理大臣が「」

2006年に教育基本法が改定された。
教育基本法とは、もともと、戦時教育のように教育が戦争に加担してしまったことを反省して作られた法律であったはずだ。
しかし、時の安倍晋三内閣総理大臣により、「愛国心条項」が追加され、国家権力による「愛国」の定義が教科書会社や教育現場で忖度する構造が生まれた。
「政府による統一見解」で、教科書の表記が一斉に反映される。
映画では特に、歴史の教科書で行われている現実を映し出す。

2021年、戦争時の「強制連行」が「動員」や「徴用」に
「従軍慰安婦」が「慰安婦」に訂正された。

それ以外の文言訂正も、文科省は「どの部分がダメか」については指摘するが、「どうしてダメなのか?」という理由については一切説明しない。そして、このように修正せよという指示もでない。どう書きなおすと検定に通るのかは教えないまま、教科書会社が忖度して修正する。

ものすごく気持ちが悪いのが、いったい誰が、何のために、どうしてそれをしているのか?が、明確にならないからだ。
誰に忖度して、なにをしたいのか。
なんの理由も意図もめいかくにならないまま、ただ、力に服従していくさまが薄ら寒い。

「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれてできた育鵬社で執筆をしている東大名誉教授で歴史学者の伊藤隆氏が
「歴史から学ぶことはない」と言い切ったときには、開いた口が塞がらなかった。
むしろ、「歴史から何を学ぶんですか?」と斉加監督に聞いていた。
斉加監督が「戦争で日本がなぜ負けたのか?」というと、
「それは弱かったからですよ」だそうだ。

歴史学者ってなんだ???????????

伊藤氏によれば、日本の今までの歴史教科書は、自虐史を採用していてそれでは「自己肯定感」を持つことや、日本という国に誇りを持てないと言うことらしい。

しかし、起きたことをなかったことにすることが、自己肯定感や誇りを持てることになるのであろうか?

政治の教育への介入で、教科書会社が倒産している。
日本書籍という会社で、社会の教科書で東京23区のすべての区が採用していたが、慰安婦問題や戦争加害の問題を取り上げたことで集中砲火を浴びてシェアが激減し、倒産した。
元編集者は「原爆とか空襲とか、被害の歴史だけでは戦争学習にならない」と映画で自分の信念を語った。

沖縄の集団自決についても、政治の介入により、「民間人の自決には軍による関与はなかった」ことにされ、その記述を削除された。
集団自決の現場にいた語り部の吉川さんが「胸が裂けそうな怒りを感じ出した」と語る。
胸が詰まる想いがした。実際の体験者の声よりも、「それは間違っている」という政府見解がまかりとおるのであれば、子どもたちは何を学ぶのか。

みながきちんと目を向けてこなかった、認識してこなかったことを、向き合うためにそれを知ることで次は同じ過ちを起こさないようにしようとする教育は間違っているというのが彼らの認識である。

そのために、そういう教育をしている中学教師や、研究者の大学教授をやり玉にして、バッシングを引き起こしたり、児童や生徒が「問いを持てる」ことを前提につくられた学び舎の歴史教科書を採用した学校に、脅迫のはがきを大量に送りつけたりしている。

しかし、それがなぜ間違っているのか?については多くは語られない。
とにかく、「それはダメなのであり、ダメな理由は説明しないが、ダメだから修正しろ」という。

脅迫はがきを送っていた人の中に、森友学園の籠池元理事長や、元防府市長の松浦正人氏がいた。
「学び舎」の教科書は、政府の公式見解に沿った内容で作成されており、それを採用することに問題はないはずであるが、「慰安婦」についての記述があり、それを生徒が考えるような内容になっていることを「間違った事実を教えている教科書」と断定し、抗議している。

松浦氏に斉加監督がインタビューして、学び舎の教科書を読んだか?と聞かれると「読んでない」と答えた。
松浦「読むというより、見たということですよ」
斉加「表紙を?」
・・・・
斉加「読んでないのに抗議のはがきを出したんですか?」
松浦「上の人から言われたからね」
というシーンを見て、思わず笑ってしまった。
(※記憶で書いているので、言葉は正確でないです)
笑いごとではないのだが。

安部チルドレンの杉田水脈議員ももちろん出てくる。
この人の言っていることがいつも本当にわからない。
何をしたいのかもさっぱりわからない。
でも、この人が国会議員なんだよなと思う。

安部元首相が2012年に、「教育再生タウンミーティング」で維新の松井氏とととも登壇したシーンがある。
「政治の力で教育を変えていく」
「育鵬社の教科書を推進するために、教育委員を変えるというやり方がある」
「実際にそれをしている地方都市がある」
と演壇したのに、戦慄した。
まさかこんなことを言っていたとは知らなかった。

理不尽で不可解で、それでいて明確な力学が働いている。
その力に忠実に従う人たちが政治の中枢にいて、顔の見えない圧力を行使している。
これが、とても気持ち悪く、居心地の悪さを感じる。

けれども、そこから目を背けて、こんなことは関係ないとみてみぬふりをしてはならないのだ。
子どもたちの未来を、誰が守るのか。
わたしたち一人一人が考え、行動するときだと映画は教えてくれる。

では、またね。




この記事が参加している募集

映画感想文

1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!