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幸せの定義

「幸せ」って何だろう?

フリーランスになって気がついたのは、幸せは「どこかにあるもの」ではなく、「感じることができれば、それが幸せ」だということ。

それまでは、どこかで読んだのか、誰かから聞いたのか、「幸せ」は、「自分は持っていないけれど、どこかにあるもの」と思っていた。

今はインスタグラムのようなSNSの時代だけれど、私が20代の頃はファッション雑誌の時代で、セレブリティの夢のような生活が取り上げられ、それと比べて自分には「○○がない」と、いつもその欠乏している「○○」を探していた。

けれど、メーテルリンクの童話「青い鳥」や、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」のストーリーのように、「幸せ」とは、「どこかにあるけれどまだ手にできていないもの」ではなく、「今ここにあると気づけばいいもの」という境地にやっと辿り着くことができたのだ。

それは、コロナ禍で変化したライフスタイルのおかげかもしれない。

私見だが、2019年までは、世界も人の意識も膨張し続けているような感覚があった。

インバウンドの観光客が増え、消費財のビジネスは新たなマーケットができたことにより、潤った。銀座の街は、外国人観光客であふれていた。

ショッピングだけではない。高級レストランから、立ち食い蕎麦まで外国人観光客が訪れるようになり、メニューには外国語が併記され、料理の値段も上がっていった。

私自身の生活に関しても、仕事が終わってから経営塾、ワインスクール、パーソナルトレーニング、整体、友人との食事など様々なスケジュールを詰め込んで、深夜まで活動していた。それでも、まだ何かが足りない気がして、いつも「もっと、もっと」と駆り立てられるように新しいものを探していた。

企業も個人も常に「今以上」を青天井で求め続け、限界なんて考える方がばかげているし、多くを望めば望んだだけ手に入れられるような気運に乗らないと、おいていかれる気がしていた。

私自身が就職した直後に経験した1980年代後半のバブルとは質が異なるが、それでもまさしく「バブル」と言える状況だったように思う。

そのバブルが、コロナウィルス「COVID-19」によって、一気にはじけたのだ。

友人と食事に出かけることがなくなり、パーソナルトレーニングにもいかなくなった。ワインスクールに通うこともやめ、経営塾などの講座の大半はオンラインとなった。

どこまで膨張しつづけるんだろうと、なんだか不思議な気持ちで眺めていた自意識も、そこで完全にはじけて、外への膨張ではなくて、内側へとベクトルの方向が変化した。

深く「内省」したことで、生活は大きく変わった。コロナ禍の2年の間に、転職、東京からの脱出、フリーランスとしての独立・起業を経験した。

そのプロセスを通して気づいたのは、次のようなことだ。

 ✔ 絶対的な幸せなどどこにもなくて、自分で決めればいいということ。

 ✔ それには個人の価値観と好みが深く関与していて、「好き」な人とものに囲まれて、「好き」なことをしていれば十分であること。

 ✔ 時に「燃え尽き症候群」になりながらも、パラノイア状態で求めていた仕事の「達成感」とは異なり、幸せという名の充足感は、「今日美味しいものを食べた」とか、「友達と会って楽しかった」など、日常の他愛のない風景の中に存在していること。

これは、私にとって大きな発見だった。

フリーランスになって、一番変わったのは「幸福度」がとても高くなったことだ。
オンラインで人と繋がる機会が多く、適度な距離感を保ちながらかえって人との繋がりの大切さを認識する、そんな働き方がもたらしてくれた恩恵なのだと思う。

大勢の人に囲まれ、見なくていいもの、聞かなくていいことを、意図的に避ける努力をしなくても、自分のフィルターで「好き」なものだけを選んできて、勝手に幸せになれるようになったのだ。

長いこと自立した生活を送ってきたつもりでいたが、私にとって真の自立ともいえる出来事だった。

This is it and I am satisfied.

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