Mayumi Ohashi

どうして人は仲良くできないのだろう?子どもの頃の疑問の答え探しが今や趣味♪探求は東洋哲…

Mayumi Ohashi

どうして人は仲良くできないのだろう?子どもの頃の疑問の答え探しが今や趣味♪探求は東洋哲学から始まり…色々学びつつNVCやインド哲学も少々…からの目下インド5000年深淵なる叡智からなるジョーティッシュ(インド占星術)を焦らず鋭意勉強中♪徒然ない思いつきを書き留めますฅ^•ω•^ฅ

最近の記事

過去の情報は『混ぜるな危険』だなぁ…と思う件

長らく同じ業界にいるとわかりきっている話でも それが誰にでも簡単にわかるか?といえば、そうとは限らない 一度わかってしまうと忘れがちだけど 過去に色々わかりにくかったコトもそりゃあった 人間誰にでも得手不得手がある 故に世の中の仕事とか役割が意味を成すわけだから、皆同じ様に出来る必要もない とはいえ、だ 時としてなんとか理解しないといけない時もあり 仕事がらその説明を求められる時もよくある そんな時によく思うのだ『混ぜるな危険』だと バームクーヘンみたいに層に出来てれ

    • とりあえずやってみてから考えても遅くないと思うよ

      変なコトを言ってるように思うかもしれないが 色々混ぜて考えすぎてるよな…と思うのだ 苦しいから『手放す』一つとってもそうだ 考え方を手放すのと モノを手放すのは違う 今までの思い込みを手放したら 現実は変わらなくても現実に対する意識は楽な気持ちに変わり得るかもしれない 逆に思い込みを手放さなければ 現実に何かを手放して楽になったと思っても、結局こんなはずでは…と同じ轍を踏む可能性だってあり得ると思う でもさぁ…モノを手放せば解決すると考えるなら、やってみたら良いと思う

      • 与えられる愛の前に、自分の中にある愛を感じた方がいいよね

        実はこの世は愛に溢れている…と思えるかどうかってのは 何より自分自身に愛を感じられているか否か? ってだけの話しで割とシンプルだなと思うのだ 自分自身の身体の一つ一つが自分を生かすために休むことなく働いてくれている…のも無償の大いなる愛だ 自分自身に愛を感じていれば 目の前のすべてに愛を感じることはできよう 自分の目に見えるカタチのある愛…だけでなく 『誰に何かしてもらった』なんて現象を伴う与えられるという愛でもない あれもコレも愛でできている を感じるためにはや

        • 相手を許す前に、自分を許した方が手っ取り早い件

          絶対許せない!ってのを持ったまま棺桶に入りたくないなぁ…と常々思う 幸い特に許せないモノは今はもうないのだが いずれにせよダメだとか許せないモノがある状態は苦しい…が、そうやっていつも心に刃があると、周りからも刃を向けられるか、なんらかの強靭な盾をくらう そりゃそうだ、目の前に大上段に刀を振りかざして向かってきたら、戦うか身を守るかってことを反射的にするよね 流石に実物の刀や刃物を使いはしないが、そんな攻撃的な感情が心の中で動いたまま言動をすることはアルアルだろう

        過去の情報は『混ぜるな危険』だなぁ…と思う件

          自分が自分の良き理解者であるか?

          自分の理解者ってのは誰か? 自分のことをわかってくれない…と日々色々憤ったり怒ったり落ち込んだりとドラマチックな脚本を設えては忙しいわけだが だいたい…他人様に自分のことなどわかるわけはないと思った方が賢明な気がするのだ だって、自分も他人様のことなどわからないもの 自分に同意して欲しい…ってことを求められても できることも できないこもとある 本当は同意して欲しいわけではなく、思いや願いニーズをただ受け取って欲しいだけなんだと思うが そんなスキルを持ち得ている

          自分が自分の良き理解者であるか?

          『自分で自分にOKを出だす…そのOK度合いによって幸福度が変わる』件

          自分で自分にNGを出すことを長らくしてきた 絶対認めねー的にダメダメと自己肯定感も地を這って長らく生きていたわけだが 最近は『まいっか』『しょうがねぇ』『いいんじゃね』などと、ダメでもなんでも無問題と自分にOKを出すことに随分免疫がついた…というかダメ出しがどうでもいいことだらけってことに気付いた ようやく丸ごと自分を信用できるようになった…ってことだろう※高望みを諦めた笑笑 『自分で自分にOKを出だす… そのOK度合いによって幸福度が変わる』 そんな話を日中聴きな

          『自分で自分にOKを出だす…そのOK度合いによって幸福度が変わる』件

          頭の中を変えるだけーってのが結構ムズイ苦行って話

          ここ数日色んなアーカイブを聞くのにハマっている…すげーリフレクションして言葉を丁寧に受けとめながら会話するって、こういう感じなのね…とか色々新たに気づきながら聴く中で 知らない 知ってる できる 身につく は、違う…という話があった 人様にお話をするのも仕事の一つだけれど、話す時その情報を『知ってる』状態なら話はできても、それが『身につく』状態で話しているのとは伝わるモノが全く違うよね…と個人的には思う まぁ…その話の延長ではないが 幼いころから、言わなきゃバレない

          頭の中を変えるだけーってのが結構ムズイ苦行って話

          ネガティブな言葉の奥深くにあるポジティブな願いに気がつけるか否か

          色んな問題があるとされた人がいて その人を何とかしたいと相談って結構ある その内容はそれぞれ違うけれど 色んな問題…と言われる言動の奥深くには 実はポジティブな願いや望みがあって そう…実は自分はそれを望んでいるんだ、と それが自分の中で明確に浮き上がった時 どうもその色んな問題は色褪せていき 違う世界が広がるものなのかもしれないと ふと以前にあった出来事のカラクリが紐解けた そんな理論だてて何か学んでるわけではないし その時はよくわかっていなかったが 時を経て

          ネガティブな言葉の奥深くにあるポジティブな願いに気がつけるか否か

          『手放す』って何を手放すのか?

          『手放す』っていう言葉をよく聴くが 『手放す』ことが出来ているところをお見かけすることはあまりないように思う 何を『手放す』って言われると、物質的なモノと考えがちだろう 『手放す』ために今ある環境ごと手放そうとか、やり方を変えよう手放そうとか、この仕事してたら手放せないから転職しようとか…色々あるが全部物質的なモノの話だ 今世メシを食っていく必要があるのだから、それなりの収入は必要ではあるだろうし 緊急身の危険があるときは逃げる事は重要ではあるから別としても そんな

          『手放す』って何を手放すのか?

          変化するモノ、しないモノ

          執着しないといっても 何にもとわれることなく泰然自若に軽やかなのと ただ元気な軽いノリ とは違うし 誰にでも心を開き関心を持とうといっても 相手の関心に関心や興味を素直に寄せるのと 実はそんなに関心がなくても興味をもつことが良いからと思って積極的に興味を持つようなパフォーマンスを見せること とは違うし 素直に正直が良いと言っても わからないことを素直にわからないと言えるのと 考えることなくスグわからないということ とは違うしなぁ… こうありたい、こあるべきだ

          変化するモノ、しないモノ

          他の誰でもない自分が自分を信じることを『自信がある』というのかも

          『自信があるひと』というと 何らか実績があるとか、地位があるとか、特筆できるようらモノがあるとか…そんな人をふと思い浮かべる パッと見、スゴイ人というか…そういうやつね でもそういうものって、何か自分に課した条件をクリアできて誇れるモノを手に入れた結果、自信がついた…ということも一つ言えるんだろうが それだと、その条件をクリアできなければ、永遠に自信なんて持てないよーな気もするのだ ということで、自分にはそんな条件付きで得たような自信はどこにもないのだが できる自

          他の誰でもない自分が自分を信じることを『自信がある』というのかも

          神様は…遠くにいるのか?近くにいるのか?

          まぁ…その神様は何なのか?いるいないは個人の自由だから、ココではひとまずいると仮定して 以前、その神様とどういう関係性でありたいか?というのがインド哲学の勉強会であった…それは以下の通り ①中立的関係 ②主従関係 ③友人関係 ④親子関係 ⑤恋愛関係 ちなみに ①は芸能人にただ憧れるだけー的なヤツ ②は崇め奉る的なヤツ…確かそんな感じだった 当時どの関係が良いですか?と聞かれて よくわからないけどどれが良いだろうなぁ…と聞いていた話だったけど、先日の対話会で丁度そんな

          神様は…遠くにいるのか?近くにいるのか?

          伝わらない時は伝わらない…何事もタイミングよね♪

          大切だなぁ…と思うことを言葉で伝えるのは なかなか難しい 言葉の上っ面を聞いて表面的な意味はわかっても 面白い等と興味を示せど自分ごととしてわかっていないとか、それの指し示す本質的な意味はわかっていない…なんてことは自分を筆頭によくある話だ 相手がわかってないなぁ…ってのはわかっても 自分がわかっていないというコトをわかるのは、なかなか難しいことだ 伝える側とて、相手に受け取れるキャパがどれくらいか?もあるし 受け取ってもらう…を期待しても意味はない 何回言葉を発

          伝わらない時は伝わらない…何事もタイミングよね♪

          思考はシンプルなのが楽よね♪

          もういいかな…と思うことが最近色々多い そんなにアレもコレもたくさん持ってはいないが 今あるモノですら持っていてもなぁ…と むしろ全部ポイっと要らないのではないか? と思うくらいの感じがしている今日この頃 とはいえ自分的に必要だろうという予測の範囲内にいるし、そこに違和感はないし 成り行きで余計なことモノに取込まれてる感覚も今は特にない じゃ持ってるモノを全部捨てたら私に何が残るのか?って言われりゃ、まぁ何も残らないけれど 何もなくても不安でも不幸でもないなと思う

          思考はシンプルなのが楽よね♪

          『自分は腹黒い』から始めたい

          何らか活躍しているひとを『輝いている』と表現すしたりするけれど その人がどう輝いているか? なんてことには正直あまり興味がない スゴイことをしてるとか、注目を浴びているとか、評価されているとか、キラキラしてるとか…色々あろうが大差はない その人がどうシンプルであるか? 純粋な欲でやってるか?自分に素直か?の方に 感動もするし、興味もある 表面的な輝きの裏に作為的な戦略とか欲とかエゴを感じた途端に色褪せ興味も消え失せる そういう所には同じ欲を刺激された人が集ってたりす

          『自分は腹黒い』から始めたい

          自分と向き合わないための巧妙な知恵?

          な〜んかいつも決まった場面で 妙に心地悪い違和感に遭遇する時がある…すると なぜ私はここで違和感を感じるのだろうか? そんなコトをよく考える そこには大切なメッセージがあって それを受け取らない手はないからだ 今回もその一つ いつも相手に息をするようにスグ興味を示す風景があって 私にも同様に興味を示していたのだが…それもせいぜい二言三言話したくらいのタイミングという感覚で相当早い段階なのだ そこにいつも妙な違和感を感じていた それってのは多分いわゆる普通一般には

          自分と向き合わないための巧妙な知恵?