モモイマユコ

1980年生まれ。『マジメに面白おかしく自由に生きる』がモットーなのに、ついつい仕事に…

モモイマユコ

1980年生まれ。『マジメに面白おかしく自由に生きる』がモットーなのに、ついつい仕事に命かけがち。人間なにごともホドホドが一番よ。 目指すは年齢不詳・桃井かおり。 歳を取るって面白く、そして難しい。

最近の記事

お酒が好きだ

長年「嗜む程度に…」と答えていたが、もう偽りようが無い。 好きである。 隠す必要も無くなったw ひっっさびさに、酒に関してほぼ同じ価値観・強度の人に出逢えてこの上なくしあわせだ、という話。 ・基本的に毎日呑む ・まずはビール500ml×2本呑む→そのあと何を呑むか…というスタンス ・晩酌に重きを置き、何なら昼食は抜く ・まずは呑んでみてその日の体調をはかる ・呑めばアレルギーや軽度の風邪症状、胃腸の不調は治る ・発泡酒も第3のナントカも知らん ・2軒目でも1杯目は生大を頼

    • 酔っ払うと誰かと話したくなるのは親父のサガ。

      タイトルの通りである。 気持ちよく酔っ払った時、会いたいな、話したいなと思い出す人こそ本当に会いたいひとなんだよと、20代の頃ともだち(当時30代)が教えてくれた。 + うちの父は普段からよくしゃべる人で、酔うと尚更誰かに電話して長電話している人だった。(ん?酔って無くてもそうだったか?笑) わたしもそれを見事に受け継いでいて、酔うと一息つくことが出来、誰かを思い出し、会いたくなり、連絡しまくる(笑) 間が空きすぎていて普段なら少し気まずいような人へも、お酒の力を

      • 「一般的」を疑え

        (2022年の下書きメモをもとにupしてみる) 人それぞれほんとに違うのを見てきた。 理学療法士として患者さんに何かを説明する際、「一般的には…」って色々な場面で伝えてきたけれど、それ自体がまやかしなのでは?と時々考えていた。 薬 ダイエット方法 身体にいいとされる食事や養生の方法 逆に悪いとされるもの・習慣 姿勢 筋トレ 生き方 考え方 (※人に危害を加えたり不快感を与える非常識は論外) わたしは学生時代バスケ部かつPTという職業柄、『健康オタクの筋肉バカ』だった。

        • 酔っ払った時に口をついて出てくる言葉は本心なんだろうか?

          先日、久々に気持ちよく酔っ払った。 出てきた言葉は、 「私、元々勘はイイんですが、前職の経験上大体みんなどんな人か初対面で解るんですよ〜♪」 … … …なんだそら?! キモキモキーモ!! 恥ずかしい。。。穴があったら入りたい。 医療人の変なプライドが残存しておるようだ。 もう過去の栄光は忘れなさい!! 今付き合いのある人たちはこれまで出会った人たちとは全く別の人種なので、本当にわからない。 私が解るのは70代以上限定かもしれない。 あと、病気になる系統の考え方をする人た

          金曜の夜

          トマトソースと焼けたチーズの香りがただよって来る。 家族団欒が思い浮かんだ。 私にとって「洋食=しあわせのにおいなんだ」と初めて気づいた。 食を囲むということは人間の最大のコミュニケーション方法で、しあわせなことなのかもしれない。 (たぶん、踊りとか祭りもそうかもしれない) しあわせの記憶。 家族の記憶。 そんな記憶を残してもらえたことに感謝しつつ…

          なぜ急ぐ?私は時代に逆行したい

          速い会話とボケツッコミ。 本→ブログ→ミニブログ→Twitter 動画も今は短いものが流行っているし、カットを多用する。倍速再生したりもする。 結論を急ぐ。 なぜ急ぐんだろう? 世の中の情報量が速すぎ多すぎるのだろう。すべてを知りたいと思うと明らかに時間が足りない。 情報の質も悪い。量ばかり多くて内容は総じて端的で薄っぺらいものが多くなった。人間もどんどん劣化して来ているのだと思う。 …否、違うか。 [情報を得る→事実なのか確認する・まとめる・考察するetc…] このすべて

          なぜ急ぐ?私は時代に逆行したい

          忙しさにかまけて忘れてた。

          あ、わたし遊ぶために働いてるんだった。 忘れてた! あと、この世の悲しいことや終焉に向かうことのすべてを見届けるためにここに居るんだった。(そこからドースルのかはまた次の楽しみとして…) ライヴに行ったり、旅に出て自然と戯れたりしてよーやく思い出せる。 普段どんだけ自分から離れ出ちゃってるのか。 仕事が楽しくなるとつい、ね。 世間に順応するのと、自分自身の真ん中を生きるのと…どっちも大切。 揺らぎながら、その時時で丁度いい場所をさがす。 ゆらぎが心地良くなった。 若い頃は確

          忙しさにかまけて忘れてた。

          MTR&Yが大好きだ

          ここ数年の民生は、歌のピッチがちょっと嫌なずれ方をする。 ギターはまだ表現の範囲だが、走れなくはなっている。曲によっては誰かが走って欲しいのだが、湊さんもあまり走らなくなってしまっている。 今までゆるぎの無い天性の音感やリズム感を見てとれたけれど、どこか不調なのかもしれない。単に加齢によるものと思いたい。 そして、よもや自覚も有る上で表に立ち続けてくれているとすれば、やっぱり見続けなきゃならんな、と思う。 その程度には好きである。 愛じゃないと ないと ないと… べ、別に

          MTR&Yが大好きだ

          今しかできないこと

          この時にしか出来ないPerformance… それらを積み重ねてゆく。 人間、その時にしか見えないもの。 その時にしか気づけないこと。 その時にしか出せない声や音、動き、オーラがある。 アーティストは残してゆける。 それを受け取る側は、いつでも受け取れる。 いつの時点で刺さるかもわからない。 残してゆけるひとはうらやましいな。 ちなみに、民生はもうこの頃やっていた演奏や声も出ないけれど、また別なカッチョイーことが出来る。 すげーな。 (一生ついてゆきますwww)

          今しかできないこと

          ヘンタイな話をしよう。

          体感として感知してしまい、すべて身体に出る方である。 先週〜今週頭にかけて、久々に全身が痛すぎて死にたくなった。(特に頸〜胸椎に出る) おそらく原因はこれらであろう… 思い返せば東日本大震災の前後もかなり酷くて、重力に抗しているだけで辛かった。 実は、この3.11〜数年間「第六感を研ぎ澄ますため」様々な活動をしていた。 我ながらヘンタイすぎて誰にも話したことはない。(笑) 見えない世界を見たいが為でもあった。(そもそも勘が鋭いので、どーにかすれば視えるようになるのでは

          ヘンタイな話をしよう。

          掘り起こす。突き詰める。

          ダメな自分を完璧主義で封じ込めて来たけれど、もうむりだーー!(笑) という話。 年を重ねるごとにしっかりオトナになれるものだと思っていたけれど、思い返せば中学くらいが私の「しっかりピーク」だったわ。 若い方が本来の自分とは別なものも生きられるんだわ。 ずっと親の価値観で、みんなの求めるイイひとを演じて来た気がする。その皮を剥ぐのにかなりの時間を要した。 掘って掘って、ゆるめて自分を突き詰めたら何か内から湧き出るものがあるのでは?と思っていたが、出てきた本音は「なーんもした

          掘り起こす。突き詰める。

          映画好きが再燃している

          生きているうちに、ジブリの新作と北野武の新作を、しかも同じ年に観られる世界線が来ようとは!!嬉しすぎて震えている。 今年一番の楽しみだ。 北野作品にはおそらく男色シーンもあるんじゃないかと思うが、どうか延期とかしないで上映して欲しい。 このタブーも含めて日本なのだから。 ごったまぜ。何でもあり。 「多様性」「LGBT」とか言わずとも、日本は本来本当に多様だったはずだ。言語化すらされず意識もせずふつうに根付いて受け入れて皆でうまく生きていた。 全員一気に江戸時代くらいの感覚

          映画好きが再燃している

          なんのために生きているのか? ①美味い酒とメシを喰らうため ②美しいものに遭遇するため ③暇つぶしwww The・シンプル!😂

          なんのために生きているのか? ①美味い酒とメシを喰らうため ②美しいものに遭遇するため ③暇つぶしwww The・シンプル!😂

          あと何回、心から楽しいと思えることに遭遇出来るのだろう?

          あと何回、心から楽しいと思えることに遭遇出来るのだろう?

          負のループのようなもの(定番)

          それはそれは単純な、ごく些細なことで、ガラガラとメンタルが崩れてゆくことがある。 人の悪意を受けることがきっかけになることが多い。 例えば、列に割り込まれるとか、押される、舌打ちされる、理不尽な文句を言われる、などなど… まあ、スルースキルはあるし、通常なら「こんな些細なことでナゼ?!」と思うのだが、生命力が落ちてるときにこれをくらうと、いとも簡単に「墜ちる」。 墜ちるのを、まるで悪魔が待っていたかの如く、本当に細かい些細な嫌なことがモリモリ満載でやって来る。 これはなん

          負のループのようなもの(定番)

          急にふとわき立つ感情に名前をつけることなど出来ない。

          大人になれば簡単に出来るものだと思っていた。 感情を言語化することはいくつになっても難しい。 最近になって、ようやく上達が感じられる分野でもある。 むしろ子どもから学ぶことも多い。 すべてを伝えることも、解ることも不可能なのだろう。 だから人は、歌ったり踊ったりするのもしれない。 非言語のものの方が伝わることもある。 きっと、言語表現の能力は死ぬまでずっと向上できるはずだ。そのためには、あらゆるものを見て、色んな感情を味わいつくしたい。 また写真も撮りたい。

          急にふとわき立つ感情に名前をつけることなど出来ない。