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今の時代に対する危機感

日本には死に関する話題をタブーとしている風潮がある。
安楽死に関して議論が進んでいないことにも違和感を感じる。生きる自由と共に死に方を選ぶ自由もあっていいはずなのではないかと思うが、
「無難」にことを進めてきて今に至るのではないだろうか。

岡本太郎さんの本にも、安楽死に関して議論されてもいいのではないかという話や、【死ぬのもよし、生きるのもよし、全て無目的、無条件で】という題目で死をおそれてひるむなといった内容が書かれていた。

今の高齢化社会において、話し合う項目として、
「安楽死」がないのが不思議に思う。死に方を選ぶ自由があっていいはずではないだろうかと思う。勿論、生を放棄していいというわけではないが、どんな生き様を遂げるか、多様化してもいいのではないだろうか。

今の社会は、はっきしいって「無難」に全てを片付けようとしている。面倒くさい、面倒ごとを嫌がっているのではないだろうか。リスクを極限までさげる。まるで、家畜のようだ。決められたレールを生かされている、はみ出るな、という暗黙のメッセージの元で、画一化された人間が量産されている。ある種のデストピアが現実になりつつある。このままでいいのだろうか。

様々な年代の音楽を聴いているとよくわかる。アンルイスやSHOW YA、ブルーハーツなどのロックバンドが活躍していた時代のあの熱い、生命みなぎる曲と、今の時代の音楽は違う。マーケティングされた音楽のように感じる。

芸術すらも、このコンプライアンスガチガチの社会の中に閉じ込められている。美術の世界でオークションで落札されるのは似たような絵ばかり。拝金主義。つまらない。

今こそ、芸術や哲学はこの現状を打開すべきではないだろうか。このまま、小説「素晴らしい新世界」のようなデストピアになっていいのだろうか。岡本太郎の本を読んで、今の時代に対する危機感を強く感じた。

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