見出し画像

保育園時代から繊細だったわたしが、同じような人にかけたい言葉


不安と恐れとずっと一緒に生きてきた


唐突ですが、わたしって、恐れや不安がすごく強い人間みたいです。


思い返すと、幼いころから恐れや不安が根底にあったんだと思います。人の目が必要以上に気になるし、注目されたり、少しでもミスすると呼吸が浅くなって、心臓が普段の倍以上のスピードで動き出す気がするんです。


どくどく どくどく

血が全身をぐーっとかけめぐる。

顔が熱を持って、紅くなっていく。

おでこや脇からは汗がでて熱いけど、手は小刻みに震えて冷たい。 

どうしてみんなは、そんなに平気そうな顔で、大声で話して、笑って、一緒に遊べるんだろう。どうして、そんな強い言葉で、相手と言い合いができるんだろう。

どうして、わたしの不安な気持ちは、「気にしすぎだよ、大丈夫」の言葉で済まされるんだろう。わたしが弱いからいつも不安で、自意識過剰になっちゃうのかな。もっと強くなれたら、この気持ちは減るのかな。



学生時代、道徳の授業でたった3分、自分の話をするのも嫌で、お腹が痛くて、理由をつけて保健室に行きました。人前で自分の話をするなんて、恐怖でしかなかったです。

両親にワガママを言って、高い学費を出して通わせてもらっていた学校を休みがちになりました。学校へ向かう電車に乗っていると、気分が悪くなってしまうからです。

無事に授業に出られても、途中で教室から抜け出してしまいました。しーんとした、あの生徒だらけの四角い、密室状態の教室に座っているのが怖くなったんです。


友だちは居たし、いじめられた記憶もなかった。でも授業に出られないしテスト中も気分が優れないから、成績は当然落ちて、卒業のための単位を取るだけで精一杯だった。

こんなわたしでも入れる大学はあったので無事進学できて、「ここから新しく始めよう!」と心を決めたはずだったけど、やっぱり、不安はそのままでした。

でも、お酒を飲んだら人の輪に入れること、なんとなく苦手だなと思っていた、男の子との会話も楽しくできることに気がついて、お酒を飲んで、人との境界線がどんどん曖昧になりました。社会人になってからは、それが悪化して、結局、結婚生活もボロボロでした。相手にも申し訳なかったなと思います。



NOと言うべきときに、NOと言えない。
自分の身体と心を大事にできない。



敏感で繊細すぎる自分から変わりたくて、色々やったつもりだったけど、結局、強くなろうとすればするほど、わたしは、自分の良いところも消し去ってしまっていたんです。


***

繊細すぎる自分をはやく認めて、はやく好きになってあげたかった


わたしって、生まれつき不安な人なのかな?
それとも、経験していく中で不安が増えていったのかな?

答えはわからないけれど、恐れや不安について、幼いころのエピソードがあります。

ある日、実家の荷物を整理していた母が、わたしが保育園に通っていたころの連絡帳を見つけ、写真を送ってきました。
そこには、保育園の先生からの綺麗な文字でこんなことが書いてありました。

『今日は、来月のお遊戯会のおけいこをしました。まゆさんぽちゃんは、ちいさいからだで大太鼓を一生懸命たたいて練習をがんばっていましたよ。』

『ただ、1度ミスしたあと固まって動けなくなってしまったので、大丈夫だよと何度も声かけをしました。おうちでも、おけいこの様子を聞いてみてくださいね。』


母はのん気に「カワイイよね〜」なんて言って電話の向こうで笑っていたけど、わたしは正直、笑えなかった。他人が聞けばカワイイエピソードなのかもしれないけど、こんなに幼いときから不安だったの……って、わたしはすこしゾッとしてしまいました。



「繊細すぎるとか、他の人より傷つきやすくて弱い自分は駄目だとか、思わなくて良いよ」

「自分を好きになっていけば、良いところはきっと見つかるよ。繊細だから気付けることがたくさんある。周りと比べず、自分なりの人生を歩んでいけば良いからね」

って、幼いころの自分に言ってあげたい。


わたしに必要だったのは、強くなろうとすることじゃなくて、自分の特性を知って、自分を好きになることだったんじゃないか。自分のケアをする必要があったんじゃないかと、いまとなっては強く思います。




大人になってからやっと、HSP(Highly Sensitive Person)という、【生まれつきとても感受性が強く敏感な気質】の人間が存在していることを知りました。そして、調べていくうちに、わたしもそのうちのひとりだと認識し始めました。


わたしの周りの人たちは、わたしのように頭の中が不安いっぱいになることもなく、常にアンテナがビンビン作動するわけでもないらしい。

ということは、本当に細かいことを「気にしない」で済んでいるし、本当に些細なことは気にせず人生を楽しめているのか!( ゚д゚)ハッ!


「気にしすぎだよ」と言われる度、「なんでそんなに気にせずにいられるんだ!」と思っていたんですが、いまとなっては、HSPのような気質を持たない、もしくはその程度が低い人たちとは、【世界の見え方そのものが違っていたんだ】と解釈できるようになりました。

わたしは強度のHSP気質を持っている、ただの【色々な物事に細部までよく気がつく人】で、わたしの家族のように「気にすんなよ」と言ってくれる人たちは、【細かい事は気にならず、いまを楽しんでる人】

なんだか大雑把なカテゴライズだけれど、ただそれだけのような気もします。

(あっ、もちろん、HSPさんが人生楽しめていないということではないですよ!あくまでわたしの話ね)


なーんだ、繊細って気質なんだ。
生まれつきなら、病気みたいに治るとかそんなことはないよね。
他のHSPさんのブログとかYou Tubeとか、参考にしてみよ〜っと。


このくらいゆるく考えて実行し始めてから、すこしずつ、自分を好きになっていくための準備が整ってきた気がします。不安や恐れも、すこしは減ってきたかな。



最後に


『HSPさんと非HSPさんの違い』というような内容に言及している記事や本を読むと、色々と違いがあって面白いなと思います。


ただ、個人的に思うのは、HSPであろうとなかろうと、わたしたち人間は皆ちがうから、自分を知って、自分をさらけ出して、それから相手の話も聞いて、お互いに歩み寄ろうとする姿勢が大切だということ


暴露大会をしろっていうわけじゃない。
もちろん、人間だから合う合わないがある。
自分を否定してくる人間を無理に受けいれる必要はないし、嫌なときはNOと言って良い。

でも、自分の正直な胸の内を明かすと、相手が共感してくれたり、「あなたのことが前よりわかるようになった。話してくれてありがとう」と言ってくれる場合もあるとわかったから。

だから、「繊細で不安や恐れが強い自分は、どうせ他人とはわかり合えないよ」って硬い殻に閉じこもって、出てこなくなっちゃうのは、すこしもったいないと思う。


自分を好きになることを諦めないでほしい。
自分が諦めなければ、繊細さをわかってくれる人がきっと現れるよ。

傷ついた心を、他人に話して、救われる日がきっと来る。

大丈夫、わたしたち生きていけるよ。


今日は、文章の構成も長さもなにも考えず、いま感じていることをつらつらと書き連ねてみました。

長いし、知識がこもっているわけでもないこんな文章でも、読んでくださる誰かの心に引っかかったらすごく嬉しいなぁ……と思う今日この頃です。



自分がもっと、広い心を持って、謙虚な姿勢で人と接することができるように。

また、皆さんが幸せな時間を過ごせるように、今日も祈っています(◡ ω ◡)


この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,870件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?