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手を入れたコートのポケットの奥、出てきたのは直感

自分でも簡単な女だと思う。「俺、君にのめり込みそう」なんて安い台詞に内心うれしがって。まだ何も起きていないのに。

身体だけの関係を望めたらどんなに楽だろうな、と息を吐くように零し、それを取り消すように煙の出ない煙草を吸っていた君の横顔がやけに脳裏に焼き付いて離れない。私は何も望んでないよと言いたかったのにそれは君をがっかりさせるような気がして言えなくて、聞こえないふりして何かを飲み込むように黙り込んだ。一人帰った部屋、眠れないベッドで午前三時、さっき飲み込んだ固形の言葉が頭の中で液状化して溶け出していた。既読にならないメッセージを見て、ちゃんと家に着いたのかななんて思って、心配するのは私の役目じゃないよなって自嘲した。君は私以外の誰かから愛されるべき人なんだし。

普段行かない街で待ち合わせするのは苦手なのに、君となら大丈夫な気がする。車、危ないよと肩を引き寄せられて立ち位置を左右変わるのは、他の誰かなら気にも留めないのに君にされると不安になる。そういうアンバランスさが君といる時間や空間を特別なもののように錯覚してしまっているのには気づいている。まだ使い古されていない、かと言って新品でもないサンローランの財布や、時々着るセットアップも、私が見慣れていないだけで君にとってのありきたりな日常ではあるのに。新鮮さの勘違いはただのスパイス。ただのスパイス…ただのスパイス…好きじゃない。スターアニスの香りを嗅ぐと学生時代に行った台湾を思い出すけれど、そんな風に君を思い出す香りはまだないし、これからも知りたくないな。

君の言葉をまた思い出してる。なんでも聞いていいよ。俺ってつまんない男でさ。浮気は一度だけしたことある、身体の浮気。今、心の浮気を俺の隣にいる女の子にしそうになってるところ。煙草吸っていい?煙は出ないから。一方的に投げかけられる言葉に私は毎回何か言いたい気持ちになるけれど、結局は何も言えないまま曖昧にへぇーとかそっか、などと間抜けな相槌を道端に捨てながら君の半歩後ろをついてゆく。君の流れるような声を聴きながら、私は本当は君になんて言いたいのかを考えていた。


冬が終わりそうで終わらない。なんだか寒くて手を突っ込んだコートのポケットの奥からキャンディが出てきた。数日前ランチに入ったお店で「サービスです」と半ば強引に渡されたものだ。君に言いたかったことに似ているような気もした。んー、でもちょっとニュアンスが違うかも。どうしても確かめたくなって、「来週会う?」とメッセージを送り、あ、私もう戻れないかもという直感と一緒にキャンディを口に放り込んだ。



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