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低賃金のエッセンシャルワーカー。高給取りは何を売る?

「なぜエッセンシャルワーカーは給与が低いのか?」

そんな疑問が、ふと頭に浮かんだことはありませんか?私たちの生活を支えている清掃員や介護福祉士保育士、いわゆる“エッセンシャルワーカー”と呼ばれる人たち。彼らは、確実になくてはならない存在です。

先ほどの疑問を、言い換えると以下になるかもしれません。
「給与が高いビジネスは、社会に必ずしも必要でない職業ではないのか?」

銀行員と清掃員がストライキをしたら?

書籍「ブルシットジョブ」では以下の面白い2つの事例がありました。


清掃員のストライキ
1968年ニューヨークにて、清掃員が賃金引き上げのストライキを起こしました。
わずか1週間でニューヨークは悪臭漂うゴミの街となり、ストライキを無視できなくなったニューヨーク市は彼らの要望を聞く交渉の場を設けました。

銀行員のストライキ
1970年アイルランドにて、複数の銀行で職員がストライキを起こしました。経済学者たちは、経済や金融システムの麻痺が発生すると騒いでいましたが、結果何も起こりませんでした

市民たちは手元の貨幣や、あるいは手形を用いることで、通常業務・通常生活を営んだのです。

*ちなみに私はコンサルタントですが、書籍ではコンサルも「ブルシットジョブ(クソみたいな仕事)」として挙げられています。批判が痛快で、コンサルの方は是非読むことを推奨します。

人類が進化したのは「虚構を信じる能力」

ユヴァル・ノア・ハラリは、著書「サピエンス全史」にて「人類が進化できたのは、虚構を信じる能力を備えたからだ」と述べています。

例えば、神(いや、実際にはどこかにいるかもしれませんが)
例えば、法律
例えば、信用取引
例えば、不動産の所有権
例えば、権力
例えば、紙幣の価値
例えば、事業戦略

これらはパンや洋服と違い、実際には存在せず、文字や紙ペラでもって、我々人類が共通認識を持っているに過ぎません。

新紙幣の発行原価は20円程度ですが、1,000円分の洋服と同等の価値があると、我々が存在しない概念(虚構)を信じているがゆえに、20円の紙が1,000円の洋服と交換されている訳です。

ベーカリーの新工場設立案の50ページに及ぶ資料は、資料代+人件費でせいぜい数十~数百万円程度の価値があるでしょう。
そこに「信用」や「投資価値」という虚構が介入することで、数十万円の紙をもって1億円を銀行から借りることができます(実際はもう少し複雑ですが)

実態を扱う職業、虚構を扱う職業

実際に給与が高い/低いビジネスと、彼らが扱う内容を独断と偏見で並べてみました。

実態でなく、虚構を扱うビジネスの方が給与が高い気がしています。

なぜ虚構は儲かるのか?

では、なぜ「虚構」を扱う職業は、高い報酬を得られるのでしょうか?

個人的には
・虚構ゆえの非対称性
・虚構ゆえの値付けの上限が見えにくい
というものがあると思っています。

虚構ゆえの非対称性
虚構ゆえ、扱う物たちの中にその具体的な内容は閉じられます。戦略設計の構築プロセスは、フランスパンの製造プロセスより暗黙知かしやすいのではないでしょうか?

値付けの上限がつけにくい
また、製造プロセスにおけるコストも明確な定義が難しく、パンを作る原価より信用を作る原価の方が、算定方法は難しそうです。コンサルは稼働時間での費用計算が多いので算定自体は複雑ではないのですが、「市場参入の検討軸を考える」のに何人必要なのかは、極論検討項目を増やすほどに稼働時間は膨張させることができるでしょう。

虚構と実態のバランス

虚構ビジネスと仮に呼ぶ場合、私はこれらを不要と断定しているわけではありません。私もその端くれでご飯を食べている人間でもありますし。

ただ、近頃思うのは、虚構ビジネスへ多額の給与を払い続け、エッセンシャルワーカーの給与を払い続けるこの経済構造は、その溝は、どこまで広がるのか?という不安です。

もちろん、複雑化する社会で、保育士の最適配置や、介護者の効率化を考える上で、虚構の能力は間違いなく必要です。

ただ、このままいくと多くの勉強をした人たちが目指すのは虚構ビジネスばかりになるのでは?という懸念です。今でも大学生の就職先は、先ほどのような職業が人気です。そしてコンサル職も増え続けています。

100人の農家が小麦を作り、1,000人の工場作業者がパンを作り市場に食べ物を提供してもらうにあたり、2,000人の証券マンと3,000人のコンサルタントは果たして必要なのでしょうか?

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