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あと100日。

10年続いた20代が、あと100日で終わる。

あっという間だった。思い出せないことも、きっとあるんだろうと思えるくらい年月が過ぎた。日に日に薄れていく、わたしの記憶をここに記しておこうと思う。

この記事は前編・後編に分かれています。
後編はこちら☀︎

☀︎入学式のない春から始まった。

3.11で、入学式も新入生歓迎会もなかった。不安な春から、私の20代は始まった。成人式のことは遠い記憶のようだけど、この日のことはしっかりと覚えている。強烈な感情を生むような出来事は、簡単には忘れられない。

☀︎チェスばっかりやってた大学生

法学部なのにロシア文学とチェスの授業の記憶しかない。教授は面白い人で、小学生の息子さんとも会わせてくれた。彼は元気かなあ。

ずっと体育会系だった私は、ラクロス部に入るも、弱小で強くなる意思のないチームが合わず辞める。簡単に辞めさせてもらえず、魔女裁判。「わたし、留学するので!!!!」と言ってなんとか辞めた。(大嘘)

☀︎メキシコ放浪記

暇を持て余した私は、メキシコでのボランティアへ参加。チアパス州のサン・クリストバル・デ・ラス・カサスというカラフルな田舎町で、カーサ・ガンディという、子どもたちが集まる場所(日本でいう、児童館のようなものだったと思う)のお手伝いをした。ペットボトルに色を塗って、花瓶を作り、花を植えて、壁に飾ったり、子どもたちに折り紙を教えたり、約10ヶ国から集まった仲間が交互に母国の料理を披露したりした。

メキシコ壁

ペットボトルの花瓶を設置してる私

泊まっていた宿の食事がベジタリアンで、水にはパパイヤが浸かっていて(パパイヤはお腹がゆるくなるらしい)、みんな違う国から来たのに、みんなで仲良くお腹を下して、豆やとうもろこしだけの毎日に気が狂って夜中に肉を食べに行った。そのあとはバーに行き、テキーラを飲み、ダンスをして、宿でカードゲームをした。ああ、涙が出る。いつ思い出しても、最高の毎日だった。

帰国のフライトでは、気流に乗れず、酸素ボンベが降りてきて不時着した。夜中の1時。3時間遅れでサンフランシスコに着き、予約していたホテルの24時間シャトルバスを探したけどなくて、ホテルに「バスを出して!」と電話したらタクシーを捕まえてこいと言われた。結局タクシーなんかなくて、女子トイレでバックパックを抱えながら爆睡した。ちなみにその前に父親に電話して泣いている。スッキリ目覚めて、わたしはどこでも眠れるな、と自信がついた出来事だった。

☀︎インドと台湾

当時の親友と行った、憧れの国。きっともう会うことのない、この文章を読むこともないであろう彼女のことを思い出すと胸がキュッとする。でも、高校時代を一緒に過ごし「大学生になったら行こうね。」と約束していた国に降り立った時の気持ちは一生忘れたくない。特にインド。ガンガーで見た、目を背けたくなる死体への素直な恐怖も、目がギラついた犬に吠えられた怖さも、貧富の差を目の当たりにして如何しようもない想いも、彼女と一緒に感じた。

インドへ行くと、人生が変わる人がいるというけれど、私は特に変わらなかった。感受性が足りなかったのかもしれない、と帰国してから少し落ち込んだけど、なんだかどちらにせよ失礼な話だな。そこではただ、人が生きているだけだったのに。

北へ行くと、美しい街があるらしい。もう絶対に行かないと思っていたけど、今はその景色が見たいと思う。

☀︎宇宙との出逢い

どこかで書いたが、映画「宇宙兄弟」をきっかけに、私は宇宙を好きになる。約1年間、Facebookに宇宙飛行士の講演に行っただの、展示会に行っただの、あーだーこーだ書き込んでいた。それを見た高校時代の友人が、TELSTARを作ったばかりの城戸ちゃんと繋げてくれた。今一緒にsoranomeをやっているみんなは、半分以上がこの頃に会った人たちだ。soranomeにいないメンバーも今でも仲良し。きっとこれからもずっと、くだらないことを話せる大切な友だちだと思う。

大学時代の後半は、TELSTAR一色だった。自分の大学の学祭は一回も行ってないくせに、一橋祭、首都大のみやこ祭に出店して、夜な夜なクッキーを焼いて気が狂ったりした。(2年に1回は気が狂うのか?)

☀︎ああ、愛しのフィンランド

2015年の3月。夏には就活を無事に終え、授業も終え、卒業旅行は、北欧を選んだ。マリメッコにムーミン、アラビア、イッタラ。好みのデザインやファブリックがある街。それ以上の情報はなかったけれど、なぜか「北欧だ!」と思った。これが、当たりだった。

ヘルシンキに降り立った瞬間「わたし、ここで死にたいかも」と思った。広い空も、頬をなぞる風も、水の匂いも、淡い水色に見える街も、すべてを一瞬で好きになった。初日に乗ったトラムのおじさんは優しかったし、道で地図を広げていると3回中3人、現地の人が声をかけてくれた。綺麗な英語で「どこに行きたいの?」と聞いてくれた。シャイな人が多いらしいけど、みんな、本当に優しかった。

ひとり旅の醍醐味は、誰かと話をすること。友達になること。宿で会った、少し年下のれいなちゃんという女の子と意気投合して、一緒に買い物をしたり、吹雪の中オーロラを見に行ったり、サンタクロースに会いに行ったりした。英語で質問を考えていたのに、出迎えてくれたサンタクロースは流暢な日本語を発し、二人でめちゃくちゃがっかりして、めちゃくちゃ爆笑した。そのあとに食べたシナモンロールが美味しかった。

結局私はヘルシンキに惚れ込み、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク行きを諦めた。それでよかったと思う。丘の上で昼寝をしてたら日本人観光客の集まりがいて、照れながら起きたこと。入りにくいカフェに勇気を出して入ったら、ありえないほど可愛い空間でときめいたこと。そんな毎日は、あたたかい幸福に包まれていた。

23歳になっていた。夢中になれる宇宙に出会い、幾度も海を越えて、世界中に友だちができた。

後編へ続く。

10年のことをさらっと書いておこうと思ったけど、書けなかった。私の10年間は、自分で思っているよりも充実していたのかもしれない。てな訳で、就職をしてからのことは、後編で書こうと思う。残り7年を書ききれるかは・・・。

未来の自分に向けた、自己満足の文章だけど、ここまで読んでくれた方がいたらお礼申し上げます。ハートを押すと可愛いお礼のメッセージが出るので試してみてね。

後編はこちら☀︎


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