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海外生活と親心

先日「I love youとは」というnoteを書き、両親との関係性をちょっと振り返ったりした。

実は、先日、永住権についての審査が一つ進み、微かな光が見えた。おかげ様で。長かった沈黙の期間。およそ1年半待って、移民局からのメッセージ。引っ越しして住所変更があったり、あまりに長いので一度だけ「こんな時代で、とは承知していますが…まだですかね…?」とメッセージを送ったりもした。

嬉しい知らせの後すぐに「カナダ国外にいる人用に、当地に来てすぐに生活出来るようサービス」(pre-arrival services)の案内なんかも、送られて来た。私は既に国内にいるので、それらを利用する事は出来ないのだが、少し覗いてみたら「履歴書の作成手助け」(北米のそれはタイピング)など細やかな配慮がなされているようだった。この仕組みについては全く聞いたことが無かったので、とても興味深かった。

ちなみに、以前こちらでデンマーク、コペンハーゲン市のメンター制について学び、とてもいいな、と思っていてふと調べてみたら、当市でも同じような取り組みがあった。これもまた、3年以上こちらに住んでいる私は応募が出来ないようで残念だが、素晴らしい仕組みだと思う。(住民にはちゃんと地区雇用センターみたいな機関が履歴書制作や雇用についての手助けをしてくれたりする。私も以前、利用した)

その翌日今度は、永住権審査を待つ間に働けるように、と申請した就労ビザが受領された。数日後に郵便で送られて来たのち働くことが出来る。この就労ビザすらも出ていなかったので、本当に、全く移民局の仕事がストップしていたのだな…と思っている。これらはもう余程の事がない限り永住権を「却下」される事がない、という知らせでもあり少し心が落ち着いた。

とは言え、当地では再度ロックダウン(少し前から少し緩まっていたのだが&今回はシャットダウンと呼ばれるらしい)が始まり、面白いのが通常は3月の「March Break」と呼ばれる春休みが、今年は4月に。4月のマーチブレイク。とにかく、依然ステイホームが続く(最低4週間)

こんな感じなので、すぐに就職活動をするのか、はたまた、受講したいクラスがあったり予定は未定である。

と、突然やって来たこれらの一大ニュースを両親に伝えようと、日本時間の朝8時頃、とりあえず母に電話。→出ない。まあ、これはあるあるなので、気を取り直してラインでメッセージを送ろう。

そして、送ったメッセージたち。グループチャットは母、父、実家のパソコンで見られるようになっている。

既読が付いたが、一晩、…二晩明けた今、反応なし。

いや~、淡白!淡白過ぎて潔い。

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こんな感じの両親を持ってはいるが、よく「ワーホリや留学を両親に反対されるんです」という声を聞くと「ご心配されているんでしょうね…お子さんのこと…」と親になったことはないが、完全に全てを知り尽くした老婆の気持ちで頷いてしまう。

さて、私が初めて海外旅行に出掛けたのは短大時代。北欧+パリの最強研修旅行であった。その際に海外の魅力に取りつかれ、すぐにタイに一人旅に出た。それからはもう一人旅三昧。

そんな事もあって、また、両親は子どもの頃から我々に「18になったら、家を出て一人で暮らしなさい」と言い聞かせていた事もあって、一人で旅する事にあまり抵抗を持たない両親だったと思う。

(むしろ、働き始めてから同僚に「ひ!女性一人旅?!?!」「旅行先では知らない人とご飯食べちゃだめ」とか「スカートなんてもってのほか!」とか色々言われて驚いたりもした)

カナダにワーキングホリデーで1年渡航する、と宣言した時も「ふ~ん」という感じであった。嘘。全く覚えていない。多分、大したリアクションをされなかったと思う。資金は自分で調達したので、まあ何も言う事も無かったのだと思う。既にその頃、一人暮らしをしていたし。

母は友人などに「一人娘を海外に…心配じゃないの?」と言われるらしいが「心配した所で行くのは彼女なんでね、それにもう立派な大人なんで」と返しているらしい。

永住権を目指そうと思う、と宣言した時はさすがに狼狽えていた。一時帰国した時には、一度「どうして日本じゃダメなのか」「寂しい」という事を言われて、私も感情を揺さぶられて迷ったりもした。

申請に必要な書類を送って貰おうと頼んだら「これを送ったら、彼女はもうカナダの人になっちゃうんだわ…」と母が父に呟いた事もあったらしい。

色々あるけれど、決めたのは自分。これから責任をとっていくのも自分。人生をどう展開していくのか、決めていくのは自分。そう思っている。

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と…ここら辺までタイプして寝てしまったのだが、その夜、父から返信を貰った。「進展があって良かったね、仕事も決まるといいね。ところで台湾の列車の事故だけれど、彼のご家族やお知り合いはご無事でしょうか」という文だった。何とも、うちの両親らしい。

いつか自分の子どもが生まれたら、我が子に盲目になり過ぎず、世界を見つめることの出来る人でありたい、なんて思った。

そういえば、以前、トロントに住んでいる日本人の女性がご家族との同じようなエピソードを披露していて、とても共感した。「一時帰国したら、母親は友達と旅行中でいなかった」とのこと。つ、強い!すごい。

うちも、トロントから実家に帰ると「お帰り~、じゃあ私はもう寝るね~」と、ベッドに入った母から手を振られる感じである。

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ところで、最近、パートナーが日本にワーキングホリデーで滞在する事を友人となんとな~く計画している。ついこないだまで年齢制限があることを知らなかったくらいの「なんとな~く」さなので、まだ呑気でいいのだが「ワーキングホリデーで就職して、日本にそのまま移住」とか言っているので、私の中の老婆心が「ちょっと…夢見すぎじゃない?」と口を挟んでしまっている。

そして、気付く。ああ、この感じ。親心ってこんな感じかな、って。人の人生なのに勝手にあれこれ言ったりしちゃう。反省。

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