「大手Jホラー疲れ」の話とそこから解き放ってくれたクセ強2023年Jホラーの話

いきなりこんな事を書いて良くないとは思うんだけど、ここ数年、“ホラー映画好き”としてはJホラーを追うのはほぼ惰性じゃないですか?

私はそうです。
日本のホラー映画のメインストリームが時代とともに変わったのを受け入れられず、その諦めの悪さで未練がましく『女優霊』から『呪怨』初期4作の頃の雰囲気をひたすら懐古して
「今年のJホラーも観てみよう、面白いかも知れないし」
とか
「この監督だからワンチャン昔みたいな雰囲気の作品かも!」
とか、(どれだけつまらねえか観てやるぜ、ではなくあくまでも希望的に)勝手に期待して観に行ってしまい、大体同じ“分かってたでしょうよ”と自分に言い聞かせるガッカリ感で帰路についている。

いい加減認めなければならない。
Jホラーはもう、真面目に作られていないのだと。
これは別に、必ずしも製作者や演者が手を抜いているという意味合いではない。
かつて大真面目に手法や描写や観客心理を研究して“恐怖”を作ろうとしていた時代の開拓精神が無くなった時代である、という事だと考えている。

恐怖描写が研究され提供し尽くされ、テンプレ化した怪談や幽霊のキャラクターがポップカルチャーとなる反面でテレビ地上波からのオカルト駆逐により大衆とホラー(心から怖がる、という習慣が無くなってきている)との距離が遠くなった時代において、クソ真面目に
「どうやったら怖いものが出来るか」
を研究する必要性や、その受け皿が無くなってしまっているのではないだろうか。

更に映画業界の不振が重なり、そうなると、全国で公開される規模のJホラーが今のような媒体になるのは必然的だと納得できる。

・若手の起用と低予算造形を名バイプレーヤー数人で補強
・観客動員の為、ホラーファンより演者ファン対象へ
・上記二つの為にアイドル的人気の演者を主演に据える(問われるのは、演技力<ファン動員力)
・若手人気アイドル目当ての層に合わせた「怖すぎなさ」への調整と事務所やファンへの配慮
・隙あらばライトノベル(的)、ネットミーム、過去のホラーアイコンを消費し敷居を下げる

現代の、全国のシネコンで公開されるようなJホラービジネスの骨格はおおむねこれで出来ていると言ってしまっていいのではないだろうか。
おそらくこれは産業としては正解なのだと思うが、こうなってくると、Jホラーを「ホラー映画(ビジネスでなく映画本来の娯楽)」として鑑賞しようとした時、或いは素直な気持ちで、冒頭で書いたように怖いもの・Jホラーが築いてきた恐怖芸術として楽しみたいなと思った時、演技やCGの質といった“粗”以前の問題として、明確な壁にぶち当たってしまう。

観方が分からない。

演者のファンなら演者を観るだろう。その主人公の活躍や、カッコいい横顔、逃げ惑う可愛い仕草を見守る。つまり“推し活”の楽しみ方だ。

では、演者のファンでなかったら?
これだけでもう、観方が分からない。本当にこういった作品が連続している。
ストーリーを楽しもうにも脚本が穴だらけであり、登場人物に感情移入しようにも演者ありきの駒にデザインされているので人物像が薄い。
じゃあもう純粋に目の前で巻き起こる“映像”を楽しもうとしても、事務所と演者への忖度で派手な殺戮シーンも無ければ、アイドル目当てのファン向けに怖さも無い。

・目当ての演者がいるから観る、観てポジティブな感想を発信(して世の中における推しと出演作の評価を上げる※1)、グッズを購入する等“推し活”というファンとしての行動原理
と、
・細かい事は考えず通りすぎていくものを使い捨て的に楽しんで、面白くてもつまらなくても「ふーん」と噛み終わったガムのように刹那的なもの・体験として流していける(鑑賞対象そのものより、流行りや推しのいるそれを観た事や、誰と観たかといった外付けの経験を重視する※2)“ファストフード的メディア消費の早さ”
のスキルがある今の若者でないと、昨今の大手Jホラーを楽しむ(ライトにプラスに消費する、と言ってもいい)のはかなり難しい。

捕捉
※1:ポジティブな感想を発信(して世の中における推しと出演作の評価を上げる)
ファンとして個人的に感想を語り、「推し」や作品を応援するだけにとどまらず、意図的に世間における「推し」の出演作への評判を(個々の抱いた感想以上に)盛り上げようという一部の有志による印象操作ギリギリの目的意識を有する呼びかけ・動きも存在する。2023年度は某男性アイドルの出演した漫画実写化映画公開に際しこれと思われる動きが見られた

※2:鑑賞対象そのものの質や内容より、流行りや推しのいるそれを観た事や、誰と観たかといった外付けの経験を重視する
Instagram等における“行動報告系”の活動に顕著。食べたチーズハットクやタピオカミルクティーの「味」よりも、「流行りの食べ物を食べた事」や「彼氏や友達とその体験をした事」を写真やSNS記事として“報告し、形跡とする”所に満足感の大半がある昨今の文化傾向。

また、映画鑑賞においてもストーリーや内容に言及せず
「推しが映画館で見れたので★5です!」
というのがその映画体験の満足感の全てとなっており映画レビューサイトの作品評価数値をそれだけで投稿する客と、※1、※2ともに遠からず関係があると個人的に思っている。


例をあげる。
2022年の大ヒットJホラー映画に『カラダ探し』がある。
橋本環奈さん始め、人気のある若手美男美女が起用され、ライトノベル原作のストーリーで、高校生達が殺され続けるタイムループを描いた作品だ。
終わらない殺戮を繰り返される主人公達はやがて「死んでも生き返ってやり直しだから」と開き直り的に恐怖を克服していき、オバケ的なものに襲われる夜以外は好き放題し始めるのだが、結果要所要所に「青春グラビアPV」みたいなシーンがファンサービスとして挟まる。
これはまあ、ファン向けで良いのだけれど、肝心の殺戮シーンは極端に画面が暗くされ、肉体が引きちぎられているであろうなかなか攻めた残酷殺傷がなされつつも、暗さで殆ど見えない。若者の“怖いもの診たさ”に適度にフィットし、事務所的にNGであろう演者の血みどろ死シーンを回避している。
そこにAdoさんによる主題歌が流れてダイジェストでお送りされていくのだ。
「何かよく見えなかったけどグロかったよね?」
「◯◯君カッコよかったねー!てか途中の歌Adoじゃなかった?」
とか話しながら、映画館を出た10分後には推し活の思い出とインスタ報告展示用に友達とアクスタ掲げてスタバで記念写真撮ってる
みたいな若者のメディア消費力がない私にはキツかった。
「ホラー映画として」純粋に受け取って観てしまえばまるで何も残らない、何を見せられたのかまるで分からない映画だった。
演者に思い入れがないので、ホラー観に来た場で青春グラビア見せられても何も思わないし、ホラーシーンは暗くて見えない上ダイジェスト化されてるし。
橋本環奈さんの美貌で“周りから仲間外れにされてるキャラクター”というリアリティの無さに関しては、演者ありきの映画なので触れても仕方ないのはまあ、分かるしスルーできるけれど。

最近では過去の名作達も、『呪怨』は俊雄の群れを作り出し、『リング』の貞子は映画の外で面白キャラとしての営業をしまくる上、映画では幼稚園の頃見せられた『一休さん』の昔のアニメみてえなシンキングポーズとる「IQ200の女子大生」と狩野英孝さんのネタみてえな「寒いナルシスト」を主人公として大真面目キャラ(ギャグキャラではなく)に据えてくるし(勿論アイドル的な若手演者)。
怖くしないことや脚本の成立してなさを自己冷笑し、コメディですよ笑える映画ですよ、怖いものをガチでなんて作ってませんよ~とする映画側のポーズも正直好きじゃない。

もう多分大手Jホラーはノットフォーミーだな、と諦めをつけられない自分の性分のせいで、楽しめている若者達がいるだろうに勝手にションボリしてきたし、作風が好きな白石晃司監督作品以外に2000円払うのは辛いな、となってきた。
『“それ”がいる森』や、村シリーズを経て、過去のJホラー界を牽引した監督作品であれ2000円払う事に躊躇が生まれている。
(『それ森』に関しては、ホラーだと思ったら◯◯◯だったから嫌なのではなく単純に矛盾しかない脚本が嫌です)

そんな風に落ち込みつつ2023年も、
「これは面白いかも!」
とかまた懲りずにJホラーを観続けたわけなんだけど。
(有名監督による大規模公開作『ミンナのウタ』は本当に映画館で観て良かった。GENERATIONSさんの事は何一つ知らないし、メガネのメンバーが急に出てきた事とかもよく分からなかったのだけど、きちんと怖かったしシナリオも面白かった。
配信で観たが『忌怪島』は思った通り以下だったし、『禁じられた遊び』は逆に想像以上のエンタメ性で良かった)

これらの大規模宣伝・大規模公開のJホラーとは全く別に、2023年、宣伝が少ない・ミニシアター公開系のJホラーの中に、個人的に圧倒的存在感の残った映画が三本あった。

これら全ての作品の出演者に関しても、私はジャンル的に存じ上げない方が多かったりファンというわけでもなかったが
「演者知らないだけでもう観方分からないじゃん」
等という悩みを一切与えられなかった。
それどころか熱演やインパクトでぐいぐい作品に引き込む役どころの人ばかりだ。

三作全て共通して“凄まじい怖さ”の面で印象に残ったわけではない。むしろ意図的に恐怖を抑え、別の方向へ展開していく、言ってしまえば“ホラーとしてはクセのある”作品だが、
「日本のホラー映画って、まだこんな見せ方があるのか!!」
と新鮮な感触で、娯楽として、またアートとして素直に良い映画体験となった三本である。
簡単に言うと、ジャンルは鮫・怪談・吸血鬼。

2023年のJホラー体験の振り返りとして、この三つの映画をネタバレ無しで記しておく。
全て人によりかなり好き嫌いや評価は分かれる独特な作風のものだとは思うが、
“演者推しでなくても楽しめる”
“一風変わったJホラー”
である事は確かだ。
(全てYouTubeより公式予告編をリンクにて引用)


■妖獣奇譚ニンジャvsシャーク

日本のサメ映画、というだけで存在として目を引く個性がある。
更に特撮分野で活躍してきた作り手が“へんてこサメ映画”を彩る“へんてこ忍者活劇”で作品の面白さをパワーアップ。
時代考証を捨て、スタイリッシュとハッタリでオモシロを徹底追及した純度120%の娯楽作。


■リゾートバイト

ネット掲示板の有名怪談をモチーフにし脚色要素を加えた映画。三本の中ではこれは比較的上映館が全国区だった。
『学校の怪談』で育ち『コワすぎ!』に熱狂した全ての大人と、怖くもなんともない役者PVなJホラーに慣れてしまった若者達に観て欲しい娯楽作パワーホラー。

低予算を言い訳にせず、怖く・楽しく・面白いものを作ろうという気迫が伝わってくる。
“先の読めなさ”と“ネット怪談の持ち味”に全振りした展開に頭ごなしに引き込まれる勢い任せの強さと心地よさ、そして最後に残る恐怖は忘れられない……


■Polar Night

血液を求める妖しく美しい女性・黒川衣良と、思春期に絵画教室で彼女に心奪われた少女・結城真琴。
美大に進んだ真琴は、友人に誘われて訪れた画廊で作品を見つけ、6年ぶりに衣良との再開を果たすーー
日常の裏側に痛々しく潜むダークファンタジー。
やや舞台的であり荒削りだが、Jホラーとしてこれを……という珍しさと、女性の作り手+(鶴田・小中時代から継承・拡張した)Jホラー開拓者の一人である高橋洋脚本ならではの色が印象的。
劇中、“化け物とされてきたのは特異体質の人間”という仮説が語られ、並行して目の当たりにする衣良の人間性と魔性は、人として哀しくも恐ろしくもありつつ、もはや生態とも捉えられるほどに人々を狂わせる。
多様性意識ポリコレ重視の同性愛映画にも、レズビアンポルノにも無い空虚で残酷で無惨な耽美性がしっとり哀しく妖しく漂う。
個人的な話で本当に申し訳ないが、紫外線アレルギーのレズである私が喉元を押さえつけられるような諸々の感情を飲み込むまでに密かな時間と感覚を要した。
それは単なる自己憐憫や特別意識や勝手な自己投影シンパシーといった耽溺やナルシシズムといった醜いものではない。グラスの冷水を飲んでいたら、入っていた大きめの氷をそのまま飲み込んだ時によく似ていた。


……三作ともメインストリーム外のJホラーでありながら、メインストリームの作品群を凌ぐ個性を持ったホラー映画だった。
無条件に★5!的な明朗快活な作品ではないが、2023年に、出会えて良かったと心から思った映画達だ。
2024年も何だかんだでJホラーを追いかけてしまうのだろうが、現時点でこの感情が“惰性”か?と言われると、少し違う気もしてくる。
久々に大スクリーンで恐怖した経験をくれた『ミンナのウタ』や、前情報無しや、ミニシアターで出会った三本の映画達を経て、私は明らかに、2024年のそしてこれからのJホラーを“楽しみにしている”。



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