評論はコーチングではない 〜診断を治療だと思っている人たちへ〜
アスリートが誰しも経験すること
僕は、20年以上野球をしていて、
ピッチャーとして何十回とこういう指導を受けてきた。
下半身が使えていない
きっと、そうなのだろう。
186cm、90kgの僕の体躯からして、体を上手に使えたら、もっと素晴らしい球が投げられるはず。
下半身の動作がうまく機能してないことは僕も自覚している。その指摘は正しい。
ただ、下半身が使えていないことを指摘するだけで、
下半身のどの箇所のどの動きが悪くて、
どのように意識を変えて、
どのようなドリルを行えば、
それが改善できるか、
提言してくれる人はいなかった。
「右足の蹴りが甘い」
「腰の位置が高い」
「膝が折れている」
状況証拠のように、悪癖を指摘されても、
それを部分的に直したとしても、
根本的なメカニズムが改善されるわけではない。
それを行うことで投球フォーム全体のバランスが崩れることもあった。
(もちろん指摘をもらうことが全てマイナスに働くわけではないのだが)
自分なりに咀嚼し、考え、試行錯誤するのだが、
抜本的改善につながることはなかった。
こういった、全体像やゴールを描けてない、なんとなしの経験論や感覚だけの指導に苦しめられたアスリートは多いのではないだろうか。
それはビジネスの世界でも起こる
「君は残業が多すぎる、減らしなさい」
上司が部下に指示したとする。
その指示だけで改善できれば、そもそも残業していないと部下は思うだろう。
(中には、自分だけで解決策を見出す人もいるだろうが)
世の働き方改革の流れの中で、頭ごなしにこんなことを言われ、憤りを感じる人も多いはずだ。
残業の理由が、
部下の業務の効率面にあるのか、
与えている業務の量・質が過多なのか、
顧客や取引先との関係性が問題なのか、
原因まで分析できて指導、アドバイスができる管理職がどれほどいるのだろうか。
「効率的に業務をするためにOAスキルをもっとあげよう」
「この業務はアウトソーシングしよう」
「クライアントのAさんとの折衝で困ったらすぐに私に相談しなさい」
部下は、こういう具体的な指示、指導を求めているのだ。
根本治療ができる人でありたい
監督をさせてもらっている社会人チームでも、改善に導ける自信がないことは、極力口を出さないようにしている。
根治は出来ないものの、指摘してあげること自体がプラスだと思えば
「自分の引き出しには、それを改善する処方箋がなく申し訳ない。けど一緒に考えよう」というニュアンスをつけて、指摘するようにしている。
最近、僕の投球のクセを見抜き、改善後のビジョンを示した上で、
ドリルを課し、的確に指導してくれる外部コーチに出会った。
「これが俺が求めていたコーチングだ!」と感動してしまった。
自分自身が
「じゃあそれでどうすりゃいいのよ…」
というアドバイスに辟易しているので、
それを反面教師に行動するようにしている。
勉強、成長を続け、
仕事も野球もプライベートも、
診断ではなく治療ができる人になりたい、
と常に思っている。
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