3 水になりたい。
「水と三日月☽をこの小さな胸に」という言葉を使うのには色んな想いが込められている。
水に触れていることで私が安らぐということもあるし、そもそも女性の性質としての“水”があり、大きく影響しているからだと思う。
この地球で全員に好かれることは不可能だというのは、世の常識だ。それはそうだと思う。
でも、私はいつも思う。
「好かれる」「嫌われる」という二元の観念を通り越したところに「水」は在る。
「空気が好きだから息しています」という人はいないのと同じだ。無いと生きられないし、わざわざ在ると意識しない。
「水」もある意味同じ次元に在る。
カラダの6〜7割が水であり地球上あらゆるものが相似象であることを含めると、すべてを繋ぎ、受容し、包み込む性質がある。水ならではの振る舞いだ。
私は「水」になりたい。
だからと言って液体になりたいわけじゃない。
例えば、
のどが渇いたら水を飲む。
手が汚れたら水で洗う。
フライパンが熱くなったら水の中に浸けてジュッと冷ます。
水に触れると直感が降りてくる。
空気が淀んだら雨を降らせてその場を浄化する。
水がすべてを包み込む。
私はそんな人間でありたい。
私の記事に触れ、ぽんこつな姿を想像して、プププと笑ってくれたらうれしい。すごく落ち込んでいても「このままでいいんだ」と中庸に戻ってくれればいい。“元気にしてあげる”とか“何処かに導いてあげる”とかそんなつもりは毛頭ない。それは傲慢というものだから。
でも「水」のように
熱くなったもの、淀んでしまったものを素に戻し、汚れた手を拭い、乾いた心を素の状態に潤す。
そんな無害な性質の人間でありたい。
意識せず、感情を刺激せず、なんなら忘れてしまってもいい。ふと思い出した時に、私という小さな愛のプールでちゃぷちゃぷ遊んでくれたらいい。いつでも水を張っているから。
そんなコトバを紡いでいきたい。
「水と三日月☽をこの小さな胸に」
Ayumi☽