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“お涙頂戴になったらだめだ”

ほんの些細な失敗を、何度も思い返しては引きずってしまう。あのとき放った一言を今からでも訂正したいと、布団に潜りながら悶々とする。そういう歯切れの悪い根の暗さが、私にはある。

でも、根暗な人が私は好きだ。私とおんなじ、変な方向に考えすぎでじめじめしていてちょっとめんどくさい思考の人。けれどそんな自分を隠しつつ、せめて周りには迷惑をかけないでいようとひっそり口角を上げて生きている人。
不思議と、根暗同士が一緒にいても場は暗くならないものだ。そして異様に安心できる。何よりお互いを理解しあえるから、私は好きだ。


長濱ねるちゃんのエッセイ集『たゆたう』を読んだ。そう、あの欅坂46(けやき坂46)で輝いていた、元アイドルのねるちゃん。今はタレントという肩書きで芸能活動を続けているらしい。まさか文章も書いているとは、私はこの本を手に取る瞬間まで知らなかった。

そこに綴られていたのは元アイドルのまばゆい都会生活、などではなく、東京で暮らす普通の女の子の密やかな日常だった。かと思えば突然目玉が飛び出るほどの大物作家さんたちと食事に行ったりしているのだけど、それでもねるちゃんの文章の中ではどんな大物も、素敵な普通の人として描かれる。

ねるちゃんは考えすぎちゃう人だ、ということも恥ずかしながら初めて知った。欅坂は唯一好きなアイドルグループだったのだけれどにわかなので、私はメンバーブログすら読んだことがなかった。でも考えてみればアイドルはステージで歌ったり踊ったり明るく喋ったりするのが主な姿なわけで、エッセイとして内面を知ることができるのはすごく貴重なことなのかもしれない。

考えすぎちゃうねるちゃんは、自称根暗だ。そしてたぶん他から見ても根暗だ。その日の自分の発言をうじうじと後悔し続けるところとか、大勢の場が苦手で自らそっと離れてしまうところとか、正直共感の頷きが止まらない。根暗シンパシーだ。

一人で銭湯に行くエッセイでは、番台でもらった札がロッカーの鍵だと気づかないまま、脱衣場の全てのロッカーに鍵がかかっていることに戸惑い右往左往してしまう。これ、そのまんま数ヶ月前の私だった。私も銭湯が混雑しすぎて服が仕舞えなくなったと思い込んでいた。こっちは銭湯のロッカーシンパシーだ。(?)


天下の元アイドル様でもこんなに普通に生きているんだ! という感激で読んでいたはずなのに、気がつけば私は長濱ねるという人の思考の渦にずるずると引きずられていた。
彼女も私と同じ人間だと思えたのはもちろん、そういう共感よりももっと深く、もっと近くにねるちゃんを感じられるようになっていった。

共感を呼ぶ、ありふれているけれどその人にしか書けないもの。ねるちゃんはそういうものを持っている。

ふとしたときに生まれ故郷の五島列島のエピソードも出てくるのだけれど、これもまたいい。かつてそこで暮らした人が書く田舎の風景って、その人にしか書けないリアルさがあると思う。そう、田舎生まれも私は好きだ。


私の言葉は超一般人のあっという間にネットの海に埋もれてしまう程度のもので、だからねるちゃんにはこれからも、何かを書き続けていてほしいなと思う。有名人だから、ではなく、ねるちゃんとしての文章を私は読みたい。

なんだか、寄り添ってもらえているような気がする。ねるちゃんの不安が、葛藤が、言葉が、私の支柱のひとつになっていく、だなんて、さすがにおこがましすぎるかな。


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2月はこの本も含めて14冊読みました。感想が長くなりすぎたので、Instagramの感想文投稿はふたつに分けています。
#文学フリマで買った本 も読めて大満足。今月ももりもり読もう。

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