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観光客の顔をして地元を歩く

夕暮れ。昼間の暑さの尾を引いたまま、生ぬるく湿った風が裾を揺らす。湖独特の、ぬるっとしつつも爽やかに濡れた匂いが身体を包む。その匂いがなんだかよそよそしく感じられて、ああ、ここは私の「帰ってくる」場所になったんだなあ、と思った。だけどもう、「帰る」場所ではない。

湖岸の道は犬を散歩させる人、凧を揚げる人、湖を眺める人たちで案外賑わっている。きっとこの人たちのほとんどが地元民なのだろう。かつては彼らに仲間意識を感じていたはずなのに、今はなぜか近づきがたい。壁を感じる。決して分厚くていやな壁ではないのだけれど、やんわりと、穏やかに分断されている気がする。

だからだろうか。地元を離れて、地元の歩き方が変わった。見慣れた景色、歩き慣れた場所なのに、どこか別の視点から地元を眺めるようになった。私は地元民であり、同時に余所者よそものでもある、という感覚。ここにずっと暮らしていたらわからない感覚、なのかもしれない。


久しぶりに歩いた商店街は、顔つきががらりと変わっていた。感染症の波を乗り越え、ここ2,3年で店じまいをした店の代わりに、新しく今風の店が肩を並べるようになったらしい。人の往来も、かつての活気を取り戻してきたようだ。

一方で、昔から変わらない姿もちゃんと残してくれていた。ここは同級生のお店、ここは大好きだったオムライス屋さん、ここはクレープがすごく美味しい、後輩のおうちの喫茶店。小説に登場させたお店もまだそこにある。聞かれてもいないのに嬉しくなって、脈絡なく紹介しながら街を歩く。
けれどやっぱり、そのどれもが以前とは違う表情で私のことを見ている気がした。

そうか、今の私は道行く観光客たちと同じなんだ。
何年もこの地を離れていたから、見知った景色よりも、知らない景色の方が増えてきた。この変化をリアルタイムで共に感じられなかったということは、私はもう外の人間となんら変わらないのだ。

開き直ってみると、かえって新鮮な気持ちで街を眺めることができた。散々通ってきた道なのに観光客気分を味わえるのは、それはそれで面白い。
暮らしていた頃には見向きもしなかったお店で、ソフトクリームを買った。柚子と蜂蜜のとろりとした甘みと酸味が火照った身体を冷やし、たまらなく美味しい。この街と23年の付き合いにして、初めての発見だった。


高校時代、ひたすら家を出たかった。けれど地元のことは好きだった。進学してこの街を出るとき、車窓を流れ通り過ぎていく街並みに胸のあたりがきゅっと詰まったのを覚えている。
何百年もの伝統を受け継ぐ祭り、生活に不便するほどではない田舎ののどかな暮らし、変わりゆく景色。そのどれもが愛せる街だった。

それは今も変わらない。帰ってくるたびに、地元の新たな表情をひとつ知り、地元のことがもっと愛おしくなる。やがて私の知らない表情の方が多くなっても、きっと私は寂しくならないだろう。生まれ育った街がそこにある、というだけで、私は無条件に好きでいられるはずだ。

むしろ、これからも地元がどんな風に変化を遂げていくのか、私は楽しみでならない。地元を離れ、地元が「帰ってくる」場所になったからこそなのかもしれないけれど、私はこうして外から地元を眺めるのも悪くないな、と思える。ある意味他人事、だけど心は身内のままだ。

帰る場所がいくつになっても、私はまたここに帰ってこよう。今度出会える久しぶりとはじめましてを、私はわくわくと待っている。


彼に食べさせたらひどい顔をされた。
私はけっこう好きなんだけどな。

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