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帰る場所はいくつあったっていい。

「今度の年末年始はそっち(地元)に帰るね」

「新学期までにはあっち(今住んでいる地域)に帰らんと」

私は地元に帰省するときもそこから大学のある地域に戻るときも、どちらも「帰る」と言います。

もちろん、本来の家は生まれ育った実家の方。けれど私にとっては、今いる場所も充分に故郷の一つだと感じているのです。いわゆる第二の故郷です。

どちらにいても居心地がよくて、その場所を離れるときはいつだって心細くなる。帰省のたびに二度も寂しい思いをしなければならないのだから大変です。でも、帰りたくないと思うたびに、私はこの場所が好きなんだなと実感できます。

地元には大切な家族や親戚がいて、昔馴染みの友達もいます。何度も遊びに行ったショッピングモール、寂れた商店街、少しずつ変化していく思い出の街並み。そのどれもが懐かしくて、手放せないものたちです。

今いる場所にも、付き合って間もないながらに心を許せる大事な人たちがいてくれます。そして受験の日に初めて乗ってわくわくした路面電車や友達と集まったカラオケも、今や私の人生の1ページを彩るなくてはならないものです。

地元と今いる場所、そこには優劣なんてなくて、私にとってはどちらも大切な帰る場所です。


noteも同じだなあ、なんてこの頃はよく思います。始めた頃はまさかここまで付き合いができるとは思ってもみませんでしたが、ここにもいつだってあたたかく迎え入れてくれる人たちがいます。

先週何気ないことをつぶやいたときだって、私はあまりnoteを覗けていなかったのに優しい反応が返ってきて。あ、ここにならまた戻ってこられるな、とほっとしました。noteは私にとって第三の故郷なのかもしれません。

考えてみると、名前も顔も知らない誰かの日常をわざわざ見に来ている皆さんも、そして私も変だなあと思ってしまいます。みんな自分が思うほど他人のことには興味がないものだと思って生きてきましたが、そんな固定観念をあっさりひっくり返してくれたのがnoteでした。

誰かの日常や創作が絶えず流れていて、突然いなくなったと思って待っていたらいつの間にか戻ってきて、再び私に何かを見せてくれる。誰かが帰ってくるのを、いつも別の誰かが待っている。noteも、まちも、本質は同じなんじゃないかなあなんて思うのです。だからこそ、この空間を守りたい。

noteにしか居場所がない、という人もいれば、noteは数ある居場所の一部でしかない、という人もいるでしょう。どちらの人にとっても愛すべき場所であってほしいものです。


いつどんなときに帰ってきても、誰かが大きく手を広げて笑顔で迎え入れてくれる。私もそんな場所の一部になりたいと思います。都会と田舎、現実とネットの区別なしに、誰かがほっとできる居場所に暮らしたいと思います。

そこで待っていてくれる人たちがいる。いつ戻ってきても受け入れてもらえる。そんな場所が複数あっても、いいと思うのです。


お久しぶりです。
もうすぐ新学期が始まるので、noteのルーティンも復活させられるかなと思っています。
投稿が途切れがちな夏休みでしたが、これからもなんてことない日常や考えを書き残していきますね。


ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。