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猿から紐解く心理学シリーズ1ゴリラの漢らしさと人間のザコさ


猿・ゴリラ・チンパンジー♪

私達は人間……。ヒト科のホモサピエンスです。

突然ですが、ヒト科にはどんな種類の動物がいるのかを知っていますか?
ヒト科の猿は以下です。

・ゴリラ
・チンパンジー
・ボノボ
・オラウータン

そして私達人間です。

それぞれの種族がほぼ似たような遺伝子を持ち、オラウータン以外は生命と人類発祥の地とも言われているアフリカ大陸にある、コンゴ共和国周辺の地域から発生しています。

現在、これらの猿が交雑する事はコンゴ川という巨大な川によって物理的に遮られているため、ほとんどありません。
しかし過去にはこの川が干上がったり、水をあまり恐れない猿が移動する事によって僅かに交雑をしている事や、このような遺伝子を私達の先祖であるヒト上科の下位分類と呼ばれる猿から少し進化をした人類や原人やにも交雑を示す痕跡が近年DNA解析によって解ってきました。


それぞれ見た目や性格が違いますが、先に挙げたヒト科の猿達は全て進化の過程で枝分かれをした兄弟のようなものでもあり、かなり遠い先祖でもある訳です。
私達と共通のDNAを多く持つという事は、私達人間にもその性質がほんの少しではありますが、受け継がれているという事です。

人間とのDNAの一致率はそれぞれ
チンパンジー99%
ボノボ99%
ゴリラ98.25%

※オラウータンは研究が進んでおらず、人間とのDNA一致率にあたる資料を見つける事が出来ませんでした。
また、チンパンジー・ボノボに関しては近しい数値であるのは確かですが最大で1.5%程数値のゆらぎがあります。

DNA検査は比較的新しい技術ですし、日々目覚ましく進化をしている分野ですので、これから先データが変わってゆく事もあるでしょう。

しかし、ヒト科の猿達は総じて、DNAゲノムが人間と近いのです。
これ程までにDNAが近いと、当然これらの猿と人間は交配できるのか?
という疑問が生じますが、結論から言えば馬とシマウマくらいの近さであり人間とこれらヒト科の猿達は十分に交配が可能だと言われています。
(染色体数が違う場合でも交配ができるため、チンパンジーとの染色体数の違いは問題にはならない。)
しかし、現在このような研究は倫理観の問題から公には行われてはいません。
旧ソビエト(現在のロシア)でヒト科の猿のメスに対して研究者自身の精子を注ぎ続けたり、アフリカ人女性を妊娠させようとする、マッド過ぎる実験をしていたイリヤ・イワノビッチ・イワノフ(1870〜1932)という人物がいましたが、そのあまりにも倫理観に反した研究がバレた結果かなのか成果が出なかったからかは分かりませんが、いずれにせよ政治的な理由でカザフスタン送りとなりヒューマンジーを作るという実験は打ち切られました。

イリヤ・イワノビッチ・イワノフの実験内容についての詳しい記事はこちらをご覧ください。

遺伝子の違いもわからない100年前に人間とチンパンジーの交配実験を行った人物がいます。おそろしい出来事ですが、最近の中国では近い実験も行われていると言われています。
人と猿のキメラ「ヒューマンジー」を作ろうとしたマッドサイエンティスト。常軌を逸した天才科学者のことを言います。 利己的な欲望・目的を遂げるために科学を悪用したり、研究に没頭するあまり倫理を逸脱したりして、奇想天外な発明を行い、恐怖や混乱を引き起こします。
ロシア・ソ連の生物学者イリヤ・イワノビッチ・イワノフ(1870〜1932)もマッドサイエンティストの一人です。ヒトとチンパンジーを融合させた「ヒューマンジー(humanzee)計画」により後世に名を残しました。

イリヤ・イワノフ 人とチンパンジーの異種間交雑 | KANTAKE Blog

まだDNAというものが理解されていなかった時代であったために失敗していますが、このような実験が過去には行われていた事、また初期の人類であればより遺伝子が近いため交雑はより現代よりも容易であった事でしょう。

今回はヒト科の動物の中でおそらくチンパンジーやボノボの次にDNAの近い今回はゴリラの特徴を掘り下げながら、
どうして人間はザコであるのかをご紹介します。

ゴリラの特徴

完全なる父系社会であり、ハーレム制です。
オスは基本的に群れの外に追い出し、ボスとその息子達だけのハーレムを形成しています。
ボスの子分や幼馴染のゴリラなど、ボスのお気に入りが群れの中に存在している事もありますが、基本的には強いボスが群れを守りコントロールをしています。

※ただしゴリラはとても社会性と知能の高い動物ですので群れ同士が出会ったときに吸収して大きなユニットとなったり、ボス同士が兄弟である場合も同じ群れとして合流する事があるので、野生下であっても一つの群れにオスが複数いるという場合があります。

多少の例外はあれど、ハーレムに入れないオス。
すなわちボスになれなかったオス達はと言うと……。

・完全に孤立したソロ生活を送る
・男性集団を作り出し、ガチホモ生活で慰め合います。

また、ハーレム生活とはいえ振られてしまったメス同士が慰め合ったり、弱いオス同士の同性愛がごく普通に見られます。
(この場合、より弱いオスがオスの欲情を受け止めます。)

ゴリラの世界と言うのは非常にパワーが全て、フィジカル一辺倒の社会なので弱いオスは性処理までもカースト下位となるのですが
しかしゴリラはなんと……。

弱い者いじめや小さい子供をいじめる事がありません。

また、マッシブ至上主義でありながらも漢を極める、ゴリラという動物自体がそんな生き方を目指しているため、オス同士の喧嘩であっても、命の取り合いになるような喧嘩を避けるために威嚇し合ったり
(ボコボコと胸を叩いて強さを示すドラミングが有名です。)
メンチの切り合い(見つめ合って目で語る)で勝敗を決めたりと、ゴリラは強いからこそお互いが怪我をしないように戦闘を避けるような高い知性と社会性を持ち合わせています。

「オゥコラ……、今回の件はワイに譲ってくれんかいのぅ?」
「お前の顔を立ててやるけぇ、今回は引いてやるわ。」
「恩に着るでぇ。」
「貸1じゃけえ、覚えとけや。」

オスのゴリラ同士は言葉は無くとも、まるで任侠上層部のようなやり取りをしている訳です。

一方ハーレムのメス達はと言うと、発情をするとオスの顔をじっと見つめ、目で語ります。

(ゴリラの生理周期は人間とほぼ同じ28日で、通常出産から少なくとも3-4年で生理が再開するそうです。
また、人間以外の猿は発情期が見た目や匂いでオスにもわかる場合が多いのですが、オラウータン、ゴリラ、人間には発情期がオスにはわからないようになっています。
ゴリラの場合、メスだけが自分の発情を知って交尾に誘うのです。)

「抱いて……。」
「あぁ、来いよ。」

溢れるハードボイルド感!

据え膳食わぬは男の恥とは言いますが、それを地で行くボス。
さいとうたかを味すらも感じますね。
まるで、ゴルゴ13のベットシーンの様に
事後、女性を腕枕をしながらタバコを吹かしていそうな雰囲気です。

そしてゴリラの性的特徴として
人間を含めた他のヒト科の動物たちよりも圧倒的にレイプなどの性加害が少ないと言われています。
(※完全に無い訳ではないが、他の猿と比べた場合性欲や性に対する執着が薄く、またオスのペニスは極小です。)

産後セックスを強要せずきちんと待つ事が出来、メスが抱いてとアピールするまで待てる。
そこだけを見ても、人間のダメ男を凌駕する漢らしさと器のデカさを持っているのです。

東山動物園の人気者、イケメンゴリラとして一世を風靡したシャバーニがゴリラなのにイケメンに見えてしまうのも、なんとなく頷けるよう気がします。

そして、これはゴリラにとってはイメージダウンな情報でしょうが、強いオス程腋のアポクリン腺からフェロモンを出します。

つまり、強烈なワキガです。

匂いも人間のそれと同じで、湿度の高い日にはムンッと香り立つほど強く
オスのフェロモン臭は動物園の飼育員さんが遠くからでも判るほどに強烈だそうです。
ですが、メスはそんなオスの男臭さも愛しており時折ボスの脇臭をすんすんと嗅いではうっとりとしているようです。

人間の女性にも一定数匂いフェチの方々が存在しますし、人間も(特に男性は)脇や陰部からフェロモンを出していると言われています。
ほぼ同じ成分ですから、女性には湿度の高い日の動物園でゴリラの香りに魅了される可能性があるのかもしれません。
(筆者もとても気になっているので、一度嗅いでみたいと思っています。)

ゴリラのオスと子育て

こんなにもマッシブ至上主義であり、フィジカルの強い漢が頂点に立つゴリラのオス達ですから、子育てに参加をしなそうですが……。

なんと、ボスは出産直後の新生児期の子を持つメスには一切構いませんが、少し育ってきて母親の許可を得た場合
子供と積極的に遊びながら、ゴリラ界隈の常識をしっかりと教えたり群れの子供たちに危険がないか等を優しく見守ります。
ゴリラのオスとメスは、およそ倍の体重差があり力では圧倒的にオスの方が有利ですが、ボスであってもメスの意見や態度を最優先し守ります。
どんなに力があろうとも、無理強いはしません。

その上、母親や父親を亡くした血縁関係の無い孤児はボスが直々に育てるという、イクメンなんていう軽い言葉では表現できない程の深い愛情を子供達に注ぐのです。

人間でも聖人レベルの愛と漢らしさを持ち心も体も強いゴリラ……。
人間に置き換えた時、女性にとって好みの問題はありますがゴリラってペニスが小さい事とワキガである事以外はパーフェクトな結婚相手だと思いませんか?

そう、ゴリラのボスは男がなりたい漢の象徴のような存在でもあり、女性が結婚した時に幸せにしてくれる条件をほぼ全て持っているという
漢としてパーフェクトな存在なのです。

人間視点で見た時、ゴリラがいかに漢らしく魅力的な存在であるのかは伝わりましたでしょうか?

なぜ、人間の男性がゴリラのような勇敢さを持ち合わせていないのか?という疑問。


ゴリラはハーレム制ですが、そもそもメスと交尾をできるオスが圧倒的に少ないのです。

基本的な哺乳類の男女出生率は、動物によって少しだけ男女差がある場合もありますが基本的には1:1で、オスもメスも同じ数だけ産まれます。

しかしゴリラはハーレム制であるため、より強く賢く勇敢で優しい……。
そういう非の打ちどころが無いボスだけが代々生き残って来たのです。

その比率は最大で約1:30

つまり、だいたい2クラス(男女比率は同じなため60人)の中から選ばれし
男の中の漢を代々選抜したスーパーエリートなのです。
1人のボスに対して29人のオスの犠牲の上でハーレムは成り立っており、ほとんどのオスは子孫を残せないという事です。

大多数のゴリラがはぐれゴリラとして生きるのか、ガチホモとして生きるのかを選択せざるを得ません。

ボスになれなかったオス達は、男としてあまりにも悲惨です。
なので、そうならないようにオス達は死に物狂いで漢らしさに磨きをかけますが、ボスになれないという悲惨ささえもオスは受け入れるのです。

そしてハーレムを築く動物の特徴として、オスがメスよりも大きいという特徴があります。

身長がそれぞれ、オスが170-180㎝ メスが150-160㎝と人間とさほど変わりはありませんが

体重差は
オスが150-180㎏ メスが80-100㎏
と、男女の筋肉量が倍以上あるのです。

よく一般論として、人間も猿だったのだからハーレムを作りたいのは当たり前だという説を唱える方が居ますが
これは、ほんの一部の特徴が当てはまるだけであり
基本的には大間違いです。

というのも、我々人間にはそこまでの体重差がありません。
初期の人類が少数のメスを引き連れてはいるものの、基本的には婚姻性をとっています。
我々人間の体(特に人間の男性)が女性倍ほど大きくないというのが、大規模なハーレム制を選択していなかったという事を証明しています。

そしてゲノム解析の結果パーセンテージに多少のゆらぎはあるものの、ゴリラは私たちの遠い兄弟のようでもあり、かなり遠い先祖達の生き残りである事に間違いはないのですが
チンパンジーやボノボ程我々人類とゴリラの血は近くないという事です。

人類とゴリラは遠い昔に分岐をした兄弟ではありますが、残念な事に私達は確実に

負け組ゴリラの末裔

なのです。

私達人間が強いものには惹かれても
そうは簡単に男の中の漢やハードボイルドにはなれない
理由がここにあります。

負け組ゴリラの末裔達はそれから、チンパンジーやボノボといった猿へと分岐をして行きますが、結論から言えば
森を出て、2足歩行をするようになったとされる説は諸説ありますが、私達人類の祖先はチンパンジーやボノボになっても負け、ついには肥沃な土地を追い出されてしまったという説が一般的です。
今まで食べていた木の実やフルーツを食べられず、夜行性である猫科の大形肉食獣に怯えながら昼間に徘徊し、地面を掘って昆虫や木の根といった粗末な食事を食べ、なんとか生きながらえるようになりました。

まだ歩くのに適していないチンパンジーといった具合なので、猫科の肉食獣からすれば二足歩行で走るのも遅い初期人類は恰好の獲物だった事でしょう。
このような、ネコ科の大型肉食獣に襲われたであろう形跡のある類人猿や初期人類の化石が各地で発掘されています。

この頃の初期人類は動物としてあまりにも惨めです。

初期人類は、このように森を追い出された
負け組中の負け組
というのが一般的な説です。

そして、あまりの弱さを克服するために苦肉の策として産み出されたのが知恵や道具の利用なのです。

進化の過程を見ても、人間は猿の仲間としては長い間最弱であったというのが大前提です。
ゴリラのような勇敢さや漢らしさ、またパワーとは対極の進化を遂げているのですから、本質として猿として見た場合弱いのです。

人間が選んだ進化の方向性は最弱でも生き残る事。

ボノボと人間のメスは性的にかなり特徴的に進化をしている部分がありますが、メスの生き物としての役割や使命は明確で
自分の子供を育て上げたい
というのが一番の目的でもあり使命です。
授乳をし、離乳期を経て社会性や生き方を教え、猿ではあっても常にマルチタスクを要求されているのでお母さん業が忙しいのです。
また、ヒト科の猿は子供の育成期間が長いため何度かの子育てを終えた頃には寿命や病気といった理由で死んでしまいます。
そのため基本的にメスに関しての性質には、あまり違いがありません。
これは人間にも言える事で、子育てや育児には真面目な女性が多いというのは実例としてご存じだと思います。
(※もちろん、動物や人間にも例外的な個体は存在します。)

それぞれの特徴はまた個別でご紹介しますが、人間が属するヒト科の猿達の特徴の違いは主にオスの特徴の違いにあります。

外観はさておき、それぞれの性格や社会性が明確に違います。

・ゴリラ 漢らしさに全振りのパワー社会
・チンパンジー 無秩序な暴力が支配するなんでもアリの利己主義社会
・ボノボ ボスはオスだが、女性中心の平和主義社会
・オラウータン 万年ソロプレイ

ゴリラとしても負け、チンパンジーやボノボとしても負け最終的に追い出されたのが人類です。

つまり、ゴリラ・チンパンジー・ボノボ・オラウータンの特徴とは
真逆であり、あまり受け継がれなかった性質が人類にはあるという事です。

ゴリラのような力もなく、チンパンジーのように無秩序な暴力の世界では非道にはなり切れず、ボノボのように女性に主導権を握られた平和な社会では優しくしてくれた女に逆らってでもルールを破るという天邪鬼さを発揮し、オラウータンのような孤独には耐えられない。

これが人間の遺伝子の根底にある性質です。
書き出すとなかなかの酷さですが、私達人間の中に脈々と受け継がれて来た原始本能という古く強い記憶でもあり、こういった現代社会を生きるには不都合な、野蛮とも言える本能を持っているという事です。

心理学の大いなる矛盾

古来エジプトより、人間は自分たちの心の弱さを克服しようと心理学や宗教を発展させてきた歴史があります。
その歴史は我々人類が、動物よりも人間が優れている事を誇示するための証拠集めであり、
人類は動物よりも優れているという思想が根底にはあります。

仏教では人間のエゴイスティックな部分を煩悩とし、これらを消してゆく事で解脱(心の安寧)を得たり、神に近付こうと試みていますし、心理学的に言えばフロイトは芸術や文化を嗜む事で心を成長させ、超自我を獲る事で善良さを獲得できると唱えました。

あながち間違いでもない部分もありますが、人間の根底には少なからずボノボやゴリラから受け継いだ優しさや愛や勇気もありますし、知恵によって平和や豊かさを獲得してきた側面も確かにあります。

フロイトが提唱するように、芸術や文化にはかなり人間の心を豊かにし成長させる作用はありますが、一方でその頂点にいるいるであろう一流ミュージシャンや画家達が重大犯罪や人の道を外さないか?と言えばそうではありません。
こういった矛盾点を、フロイトは超自我を得る過程でダークサイドに堕ちる事があるという注釈を付けて回避しています。

しかし、ヒト科の猿の進化や分岐の過程を見れば暴力やルール違反や差別に満ちており社会問題の縮図のような、煩悩そのものとも言っていい性質も同時に備えている事は明白なのです。

ですから、そもそも人間には暴力性や人を蔑み支配しようとする粗野な心が大なり小なり備わっていると考える方が自然だと私は考えています。
こういった先祖から受け継いだ性質(つまりは本能であり業やカン)が強すぎる個体が人間には存在するとした方が、様々な社会問題を理解し回避するための糸口になるのではないか?
というのが私の提唱したい心理学的な主題でもあり、テーマです。

わかりやすく言えば、
ゴリラのように勇敢ではないから、弱い者いじめをして自分を強く見せようとしてしまう。
弱くて太刀打ちできないから、大型の肉食獣に仲間が襲われているのに見殺しにする。
弱い性質を持っているからこそ、いつ離れるかわからない女性を繋ぎとめるためにDVなどの暴力行為を行う。
長くいつ交尾ができるかわからない環境にあったため、レイプなどの性加害をしている者がいても自分も参加できるかもしれないので止めない。
長らく交尾できない環境であった事で、知恵を使い理解が及ばないレベルの変態行為や代用物に性的欲求をぶつける。
あまりにも未成熟な子供に手を出す。
ボノボのようにみんなで仲良くするという事が出来ず、法律やルールを破る事で抜駆けしようとする。

などなど、様々な理化しがたい行動や心理を紐解く鍵になるのです。
現在の心理学では、これらの悪行は生い立ちや過去が暗い影を落とした影響でしてしまうとされています。
確かに、そのような不幸な環境が人間を犯罪や倫理に反した行動に走らせるケースは多いです。

しかし、例え不幸な生い立ちにあり過去が暗いものであっても犯罪を犯さず立派に生活をしている人はごまんといますし
とても恵まれた環境にありながらこのような犯罪に手を染める人間が多いのも実情です。

これらは弱いからこそする悪行であり、私達人間の先祖であるヒト科の猿達も同じようにしてきた事です。

脳機能障害や生い立ちによる不幸以外の理解しがたい犯罪や、犯罪までとは言わずとも悪癖の数々が
元々原始本能が強い性質を持った人間がいる(遺伝)
強く刻まれた原始の本能が時限爆弾のように、一般的な人間を狂わせている
時々精神が先祖返りをし、強い原始本能を持った人間が産まれる

原始本能という性質が、生まれつきであったり危機的状況下で強く出たために間違いを犯してしまうと考えると
とても納得の行く結果になると思いませんか?

私達人間も親や学校からの教育を受けて社会性を身に着けますが、このような教育を必ず施されているのにも関わらず
現在定められている明確な人間界のルールを大なり小なり実に多くの人間が破ってしまうのです。

ヒト科の猿や人類の進化はルール違反を重ねて森を追い出されてしまった事が原因となっているはずですから、ルール違反をしない強い社会性を持つ動物たちが絶対にやってはいけない決まり事も簡単に破ってしまえるのです。

そして現在の人類は、ちょっと調子に乗っている

私達人間の世界は、現在比較的平和です。
上記したような犯罪行為や人権や倫理を踏みにじるような行為を全ての人間が行う訳ではありません。

先進国において先の例に挙げたような、犯罪に遭遇する確率も先進国である程低いです。
では、人間の残虐性という本能はなぜ薄れたのか?
という事に自然と繋がります。

まず初期人類は、初期人類として進化する以前から戦いに負けたりと、とても惨めな生活を送っていました。
私達人類の祖先はチンパンジーやボノボになっても負け、ついには肥沃な土地を追い出されてしまいます。
今まで食べていた木の実やフルーツを食べられず猫科の大形肉食獣に怯えながら、彼らが眠りについている昼間にサバンナを徘徊し、地面を掘って昆虫や木の根なんかを食べるようになりました。
まだ歩くのに適していないチンパンジーといった具合なので、猫科の肉食獣からすれば二足歩行で走るのも遅い初期人類は恰好の獲物だったでしょう。

このような惨めな生活の中で、

土を掘るのに枝を使い
肉食獣に襲われた際とっさに掴んで投げた石がたまたまクリーンヒットした事で投擲などの攻撃方法を覚え
土を掘るための枝は、やがて肉食獣の強靭な体を貫ける事に気が付き
やがては火を使い、夜には肉食獣が来ないように薪をくべ……。

※チンパンジーやボノボは道具を使い、これらを器用に使いこなします。
チンパンジーの方が道具を利用できますが、それは生活に必ず必要という訳ではありません。
細い枝でシロアリなどのアリを釣る、大きい石を持ち水に投げる事で強さを示すために使われますが、大きな石で攻撃する訳では無い事(それなりに力はあるため石が必要ない)基本的に投げるのが下手で、投擲力がない事などが挙げられます。アリ釣りに関しても、お気に入りの枝や棒がある訳ではなく毎回そこらへんの適当な枝を探し、無くなっても気にしません。

一方で人間が森へ置き去りにされた場合
道具を作り出さなければ死んでしまいます。サバイバル家や軍人のような特殊な人間でもない限り生存ができません。
現在の人間は動物としてここまで弱くなっており、道具ありきで生活をしているという事です。

どのような順番で道具を発見していったのかは明確にはわかりませんが、彼ら初期人類は様々な奇跡的偶然が重なり知恵を付けていった事でしょう。

こうして知恵の結晶でもある道具を使う事で、今までは狩られる立場にあった初期人類達が憎き肉食獣や大型の動物を集団で狩る事が出来るようになって来たのです。

元々我々ヒト族は雑食ではありますが、どちらかと言えば草食の傾向が強いです。
ゴリラもほとんど草やフルーツと少量の虫や極小型の動物を少量食べる位で、ほとんど草食です。
※ゴリラは巨大な体を維持するために毎日大量の草木(成人で約30㎏)を食べる必要があり、その強靭な顎の筋肉を支えるために頭の上が筋肉で膨らんでいるのです。
とても硬い草木を咀嚼し続ける必要があるため、一日のうちの大半を食事に費やしています。

チンパンジーは小動物や共食いや小規模な狩りをしますが、それでも食事の割合としてはやはり草木が中心です。
他の猿もほとんど同じように草食に偏った食性を示しています。

しかし、狩りを覚えた事で元々草食傾向の強かった初期人類の栄養バランスが急激に変化をします。
大量のプロテイン(タンパク質)や動物の内臓などから得られるビタミン類、そして血の元にもなる鉄分、脂肪など今までには無かった消化吸収に優れ栄養価の高い食事を一気に取り込む事が出来るようになったのです。

初期人類は、2足歩行をするという点を除いてほとんどチンパンジーやボノボのような見た目と体格をしていました。
ほとんど猿で、もしも初期人類が存在していた時代にタイムスリップをして実際に見る事が出来たとしても、それが私達の人類の仲間である事に気が付く事は専門家でもない限り出来ないでしょう。

しかし、初期人類達は狩りの方法を確立するにつれ、脳の容積が大きくなり知恵の付くスピードが急速に上がり始めたのです。

まず、完璧なゴリラになれなかった我々の先祖は、大量のタンパク質
(つまり、体を作るもと)が得られる状況下になっても
沢山の筋肉を付けるという事を選択しませんでした
狩りで得たタンパク質で脳を肥大化させる事を選び、知恵を付ける事を選択したのです。

自分達が今更沢山の筋肉を付けても、どうせゴリラには勝てない。
だったら、肉食獣にだって勝てた知恵を付けてやる!
今まで失敗し続けて来た事を選ばず、新しく見つけた強くなる方法に全てを賭けました。

失敗を繰り返すのではなく、全く別のアプローチで新しい事をやってみる。
人間のチャレンジ精神の根幹はこの辺りにあるのではないでしょうか?
そして、これも人間に備わった原始本能です。

チャレンジ精神や変わったことをしてみるというのは、人類が得た数少ない成功体験のひとつですから、この原始本能を我々人類はとても大切にする事になるのです。

ゴリラ~チンパンジー・ボノボの頃のようなパワーよりも強いものがあると気が付いた人類はその性的趣向にも変化が生じ始めます。
肉体が強いものは魅力的ですが、頭の賢い人をパワーのある人だとみなし性的魅力までをも感じるようになるのです。

現代においてはお金もパワーと見なされるようになりましたから、賢くお金が稼げる職業にある方々はとても人気があるのは、このような原始的欲求のひとつでもあるのです。
よく、これらを批判する人もいますが
我々人類は元々強いものに惹かれる性質がある以上当然の事です。

そして、メスの取り合いを回避しつつも狩りをする必要性が出て来た事で、オス同士の結束力も高まり社会性も産まれ、狩り以外で戦う必要が無くなりました。
知恵を付ける程に、食料は豊かになり戦いの頻度も下がりますし、人手が多い程狩りも楽になった事でしょう。

こうして、我々人間の祖先は
ただ立って歩く猿であった「猿人」から道具を使う「原人」へと進化を遂げたのです。

あれだけ弱く、襲われる仲間を見捨て逃げ回っていた猿人の姿はもうそこにはありません。
人類の祖先が原人となった頃、彼らはサバンナの王者となっていたのです。

こうして、長い時間をかけて戦い自体の頻度が下がる事で人類は残虐性や凶暴性が生活にあまり必要なものでは無くなってゆきますが、このような狩猟本能は人類にとって必要なものでもありますが、時に争いの元にもなる原始本能なのです。

サバンナの王者から略奪者へ

原人となった私達の先祖は「火」を扱えるようになりました。
この頃には完全なるサバンナの王として振舞うようになっていた事でしょう。
事故死等を除けば、原人が狩られる側になる事も極端に減ったため、死亡率も急激に下がりました。
サバンナにある動植物はすべて彼らの食料です。

食料が増えるという事は、すなわち人口が爆発するという事です。
そのため、この頃原人たちは沢山の亜種が生まれていきました。
ゴリラ、チンパンジー、ボノボなど多くの猿の中には、群れを行き来する者達がいました。

ゴリラのメスを例にすると、ゴリラのメスはボスが気に入らないとあっさりと群れから出て行って別の群れに合流してしまったり、他のオスを群れの中に招き入れようとします。
冒頭でゴリラのイケメンぶりを散々ご紹介しましたが、あれ程ボスが気を使っても、不満があればゴリラのメスは出て行ってしまう事があるという事です。
子育てという命題がある以上、メスの性質というのはほとんど変わりません。

メスが産んだ子供はどんな子供でも自分の子供です。
これは人類をはじめとした猿の世界よりも、
最も古くからある母性愛という原始本能のひとつでしょう。
産んだ子供に障害がある等であまりにも弱く受け入れられない
(過酷な自然下にあるため、明らかな疾患などがあれば明確に死んでしまう事がわかっているため、母親が食べてしまうなど、人間から見れば異常に見える行動を取る場合があります。)
メスが未熟すぎるため子供に愛情を持てない、育て方が一切わからず育児放棄をしてしまう
というレアケースを除いて、健康な子供であればどんな子供であっても育てたいというのがメスとしての本能です。
※これはヒト科の比較的高度な知能を持った動物以外にも言える事です。

自分が産んだ子供を独り立ちするまで育てる事が出来ない環境であれば、逃げてしまうし浮気もします。
一生のうち、子育てが出来る回数が限られているのですから当然です。

一生を完全なるつがいになる事を一夫一婦と言いますが、これらの特徴を持った動物は鳥類には多く見られますが、哺乳類で一夫一婦制をとる動物は少ないのです。

我々人類は元々一夫一婦ではありませんが、基本的に一夫多妻制でもありません。原始本能に照らし合わせるのならば、一夫多妻制に憧れる婚姻制というのが近しいのかと思います。

ゴリラ・チンパンジー・ボノボと、全ての猿にはボスがいます。
その歴史は長く、ボスに憧れ続けるもボスになれなかった者の子孫が私達人間です。
ですから、より強いものに憧れるにも関わらず、いざ強いものに付き従うと反発してしまいますし、自分がボスに守られている側だと実感できる要素があれば簡単に付き従います。

あまりにも強大なボスを作るという事は、我々人類が負け続けて来た要因のひとつでもあります。
人類が成功(大繁殖)した理由は、弱い者も生き延びられるようになったからに他なりません。

そのため、強いオスが少規模のメスを囲う事は許されますが、中途半端に力を持ち、メスを独占している場合には嫌悪感を抱きます。
一方であまりにも強大な力を持ち、支配している場合には逆らわぬようになるのです。

猿という生き物は、元々授乳や教育期間が長く生涯に産める子供の数は大体我々人類と同じくらいです。

少し昔の人達を例にとりましょう。江戸時代の生涯出生数は平均して4-5人だったそうです。母親の体が強く、妊娠出産を繰り返せる場合、多ければ10人くらいといったところでしょう。
(現代の大家族と呼ばれる人達も10人くらいですね。)
ここから、病気や怪我で大体半分が子供のうちに命を落とします。
成人できるのは平均で2人、大家族のような環境でも5人。
ゴリラやチンパンジーも風邪や麻疹といった人間と同じ病気に罹ります。犬や猫など他の多くの動物と比較して、出生数自体が少なくそもそもの繁殖率が悪いのです。

病気や怪我をしてしまえば命取りになるような厳しい自然環境の中で生活しているため、チンパンジーのように子供が殺されたり、ゴリラの様にあぶれたオスを放逐しているとあまり数が増えません。

メスは少し弱い位は多めに見ても良い程、子孫を残すために必要なものです。オスが減っても、他のオスが交尾をする事で補えますが、メスが極端に減ると種族の存続自体が危ぶまれます。
特に出生数の少ないヒト科にとって、子供が産めるメスの存命というのは絶対的な命題です。
ですから、女性庇護という欲求も強い原始本能のひとつなのです。

もちろん、強いメスの方が魅力的ですが隔世遺伝や何かのきっかけで強い子供が生まれる可能性があります。
これは人間でもよくある事で、一般家庭からアスリートが産まれたり、美男美女が産まれる、天才が産まれるなどの奇跡が起こるのです。

オスをどう生き残らせるのか
という事が、ヒト科の生き物を増やす上では重要事なのです。

人類は元々弱い最弱の猿達でしたから、完全なるボス制の環境ではその数を増やせません。
そして弱いオス達のとった行動は、隠れて性行為をしたり隠れてレイプをするという事です。

このメスを隠すというのも人間が進化をする上で非常に重要な原始本能のひとつです。

物事を隠す、嘘をつく、抜駆けをする、裏切る。
これも原始本能のひとつなのです。
そして人間の場合メスも本能を隠すようになりました。
それは、発情期を隠す事です。

これによって、同じメスとボスに見つからないように隠れて頻繁に交尾をする必要が出てきました。
いつ排卵しているのかが自分でもよくわからないので、年中交尾をしないと子供が出来ません。なのでメスと一緒に居る必要があります。

メスは動物として弱いです。チンパンジーに近しい猿になった頃、ゴリラ程の筋肉差は無くなったとはいえ、それでもオスの方が圧倒的に強く、発情しているオスに集団で襲われる、子供を殺されるなど、自分の身を守る必要がありますが出産・育児中は子供を連れているため特に弱いのです。
ですから、発情期を隠し特定のオスに守ってもらう事は非常に都合の良い事なのです。

その上、メスに酷い仕打ちをすればメスは群れから逃げますし浮気もします。簡単に他のオスに取られてしまうのです。

例外こそあれ、メスの愛は
母性 > 異性愛
であり、子供の方が優先です。

ゴリラやチンパンジー・ボノボといった猿のオス達に出来るのは、他のオスからメスを守る、子育てに協力するといった事位です。
オスに交尾以外の役割があまり無いため、チンパンジーのオスなどは餌でメスを釣って交尾を迫ろうとまでします。

発情期を隠した事で、母性愛、女性庇護、愛といった原始本能がより強くなり、お互いを助ける強力な絆となります。
そしてお互いが交尾という繁殖行動以外にも必要になった事で、恋愛など複雑な原始本能も発生していきます

そして豊かな森を追い出された結果
ここに狩りというオスが必要とされる重要な仕事が産まれたのです。
これによって、少し弱いオスにも明確な役割が出来るようになりました。
猿のように、不必要なオスはいなくなったのです。

子供を産み育てるという事は、ゴリラであっても3年間発情しない程途方もない労力を使う仕事です。
人間の子供はもっと長い期間育てる必要があります。

現在はお金で食べ物を買えるようになりましたから、原始本能に照らしあわせればお金を持っているという事は狩りの上手な強い男と同等の価値があるという事です。

メスへの強い愛と、オスへの信頼により愛はより強いものへと変化します。
信頼や尊敬といった感情も獲得してゆくのです。
この頃には、家族愛も産まれていた事でしょう。

定期的に交尾をし、食べ物を分け与える関係が出来た事で婚姻制がはじまり、男女の出生比率もほぼ1:1になりますが、いくら道具を使っているからとはいえ人間一人では野生動物には太刀打ちできません。
集団で狩をするために、少し強いボスは小規模な一夫多妻制をとり、少し弱いオスは婚姻制をとり協力をしながら狩りをするという生活を送ります。

日本でも少し前までは2号さんを作るというのは当たり前に行われていましたし、アラブ諸国やアフリカ、特定宗教などでは現在でも一夫多妻制が許されています。
宗教や倫理観が違えば、原始本能としてこれら小規模な一夫多妻制は普通の事であるという事です。
人間は、男女共に厳格な婚姻制のある動物ではありません。

こうして小さなムラ社会が誕生しますが、我々人類にはそもそもボスになれなかった歴史があります。
より強いものに憧れるにも関わらず、いざ強いものに付き従うと反発するという本能が放逐、裏切、しいては同族同士での略奪行為……。つまりは戦争を引き起こすのです。

そもそも、ボスという生活は長い間憧れの対象でもありました。
チンパンジーのオスは、子供を殺してでもメスと交尾したいという本能が強いのです。
性欲が比較的薄いゴリラの世界から追い出された人類の祖先達は、ずっと交尾を我慢してきた生き物です。
性欲を強くする事で繁殖をして来たチンパンジーやボノボといった猿の中でも満足に交尾が出来ませんでした。
つまり、オスの交尾がしたい欲求と言うのは子孫を残すための重要な命題でもあり、ずっと抑圧されていたエネルギーの強い原始本能であると言えるのです。

メスと交尾がしたい、メスを増やしたい、仲間を増やして群れを大きくしたい、強くなりたい、強いオスに従いたい
というのは、オスにとっての命題とも言うべき原始本能です。

サバンナの王として君臨し、食料に困らず平和な時間が長い程、人口は爆発します。
人口が爆発すれば、さらに大量の食糧や水が必要になり食料だらけのサバンナと言えど資源が枯渇してゆきます。
こうして、群れの分裂や合流を繰り返す中で飢えやメスをきっかけとした争いが自然的に発生した事でしょう。
すると当然のように、同族を狩る事も厭わない者が出現します。

自分がボスに守られている側だと実感できる要素があれば簡単に付き従うという原始本能で他の家族を襲撃し、成功すれば新たなメスを簡単に獲得できる。
同族狩りは、非常に効率の良い狩りとなります。
狩猟本能、性欲、メス、群れの拡大を一気に行える戦争には、オスの原始本能を満たす要素が全て詰まっているのです。

こうして人類は平和的な交流だけではなく、ある集団は侵略を、ある集団は逃げまどいながら世界中に散り、トラブルや人口爆発の度に新地開拓への冒険へと向かい、現在の人間へと進化をしたのです。

その歴史は、初期人類達の求めていたサバンナの王には留まらず、人間同士の戦いによって今日まで進化をしてきたという事です。

まとめ:人間は善良なのか性悪なのか

母性という強い愛と比較して、後から出て来た原始本能とも呼べる心理が私達人間の中には沢山内包されていて、かなり身近な感情としても存在いています。

今回はゴリラの生態を紹介しながら、なぜ人間は弱いのかというテーマを中心に考察も交えて解説をさせて頂きました。

愛をはじめとした素晴らしい感情だけではなく、性欲や略奪、物事を隠す、嘘をつく、抜駆けをする、裏切る、浮気をするなど人類の悪癖や煩悩のよう負の感情や心理が私達には最初から本能的な形質として備わっているという事をお伝えしたく、ゴリラを交えた心理的考察を執筆した次第です。

動物や人類、特に猿から類人猿の進化は私達の心の先祖でもあり、心理学においても密接な関係があると思いますが、このような分野はそれぞれが別のジャンルとして独自に研究をされており、それ程までには研究がされてはいません。
また、人間には知能があるため他の動物よりも優れているという思想が根底にはあるため、人間の性悪な性質がどこから来ているのかという事が少々誤魔化されているように感じるのです。

その最たる例が性善説と性悪説です。
「人間は生まれた時は善である」
「人間は生まれた時は悪である」
という、古代中国の儒家である孟子と荀子が提唱した儒教の考え方のひとつです。

世の中には悪人がいるのを前提とするが、基本的には天使のような純真無垢な状態で生まれ、教育次第で賢人になりる、
または、悪魔のような邪悪さを持った状態で生まれ、これが教育によって常識を持ち修正されているのではないか?という説で、どちらも教育の大切さを説いたものです。
『孟子』と『荀子』の対立した真逆の説ですが、この二つの説は合っている部分もあり、教育は性格を変える上で重要な要素ですが、それだけでは説明のつかない部分がどうしても出てきてしまいます。

古代中国では、基本的な道徳教育を施されていない民が多かった事でしょう。単純な貧困と無知による無秩序な犯罪が現代と比べれば格段に多かった事は容易に想像がつく事です。

それに比べて現代はどうでしょうか?
ある程度の文化がある国(特に先進国)であれば、古代中国よりも圧倒的に高い水準の教育をほとんど全ての人が施されているのです。
世の中の80-90%の仕事というのは、小学校5年生までの知能を有していれば出来るという研究結果があるそうです。
小学校を卒業していれば、十分に社会で働く事が出来、実際にはもっと高い水準の教育を先進国の人間は享受しています。

ここまで高い水準の教育がありながら、女性に対するセクハラやDV、性犯罪や凶悪犯罪など様々な問題が溢れています。
このような犯罪は決して低学歴の人間にだけ起こるような問題ではなく、高学歴である医者や教師などといった人間も犯すのです。
また身近なところで言えば不倫や略奪愛のような倫理に反した行為も少なくなく、学歴や知能レベルといった階層なく発生し無くなる事がありません。

現代人は子供の頃から高い教育を受け、社会のルールを知っています。
「悪い事をしたら逮捕されて牢屋に入れられる」
見つからなければいい、不倫で逮捕をされる事は無いからなど、
「やってはいけない」という倫理的なルールさえも大した罰則が無ければ簡単に破る人達も沢山いるのです。

つまり高い水準の教育を受けても性善説と性悪説のように、教育によって人間の醜い部分はそれ程抑えられてはいないという事です。

個人的なエピソードですが、私は子供の頃から犬や猫を沢山飼ってきました。
家の近所に捨てられた猫が妊娠していたのがわからない状態で保護したり、ゴールデンレトリーバーは交配をして出産に立ち会いました。
また、後に飼っていた2頭のパピヨンは動物病院で体格差があるため、去勢手術は必要が無いと言われたにも拘らず妊娠してしまい、その子達も取り上げました。
その子犬の1頭はもう20歳近くになりますが、今でも家で大切に飼っています。

さておき、数々の子犬や子猫を見る中で、同腹の兄弟姉妹であっても気が強く他の子を押しのけておっぱいを飲む子や、逆にめっぽう気が弱いもの、食べる事にやや無関心な性質を持ったもの、無邪気すぎるもの、優しいもの、勇敢なもの、明らかな弱い者いじめをしてしまうものなど様々な性質を持つ子供が産まれるのを何度も見ました。

見た目も様々ですが、体が大きければ強くて優しいのかと言えばそうでもありませんし、性格もバラバラです。
ペットの子供達を見て、この性格の違いが私はどうしても気になって仕方が無かったのです。
簡単に言えば「生まれながらに良い奴と悪い奴」がいて、見た目は全部かわいい子犬や子猫で、動物好きであるにも関わらず
「かわいい子と、いまいちそう思えない子」
がなぜか存在するという事です。

しかし、ゴールデンリトリバーのような賢い犬種で母親としても母性が強く優秀であったその子供たちは、譲渡まで約半年の育成期間にその性質を修正していきました。
やや凶暴である子も少しだけおとなしくなり、臆病な子も遊びや親の教育の中で臆病さを克服します。
しかし、教育だけで完全に修正をする事は出来ず、少し凶暴さの片鱗が残る子や少し臆病な傾向のある子へとなるのです。

ですから、譲渡の際には
「この子はヤンチャなので、よく上下関係を叩き込んで遊んでください」
「この子は少し臆病なので、あまりさみしい想いをさせないであげてください」
など、その性格と注意して欲しい事柄を必ず伝えていました。

孟子と荀子の性善説と性悪説には、確かに合っている部分もあるけれど、それだけでは説明の付かない部分がどうしても出て来てしまいます。

このような事例を何度も見るに、性格の違いが「持って生まれた性格」としか思えず、その持って生まれた性格はどこから来るのか?というのが私の中で長年の疑問でした。

仕事で子供や動物が好きでその職業を選択したという方々に出会うと、私は自分がいかに動物や子供が好きかを説明した上で、よくこの質問をしていました。

「動物や赤ちゃんって、可愛いけれど、持って産まれた性格があって本当に性格が悪くてなぜか邪悪な子が時々いない?」

この質問の答えですが、今まで質問した全ての方が「その通り」だと賛同してくれるだけでなく、子供や動物が好きでその職業を選んだ方程そのジレンマに悩んでいました。

「子供が好きで保育士になったのに、赤ちゃんの段階でどうしても可愛く思えない、むしろ嫌いとさえ言える子供がいる。自分の子供が大好きだという気持ちは偽善なんじゃないかと、ずっと他人にも言えずに悩んでいた。」

そして、母性が強く子供好きで優秀な保育士さん程このジレンマに悩んでいるようでした。
すべての子供が好きになれない自分には、保育士としての資格がないのではないか?と辞めてしまう人も多くいますし、この話をする中でそう思うのが自分だけでは無かったのだと、共感をし泣いてしまう人も沢山いまいた。

単純に相性として片づけてしまえば簡単な問題ですが、これが親子であっても現れますから、自分は母親として失格なのではないか?
と悩み抜く方々も多いのです。

子供が好きが高じてNICUで働く看護師さん、多数の保育士さん、動物病院の看護師さんなど、検証や統計とするには少ないですが多くの方が同じ内容の感想や想いを伝えてくれました。

人間をはじめとした動物には、原始的本能があり良い部分と悪い部分が元々混在しており、性格が決定づけられる。
そして時として原始本能の悪い部分が多く持って生まれた個体が発生する。

と仮定すると、この問題の本質が見えて来ると思うのです。
そして、それが当たり前のことであると捉えられれば
「なぜか可愛いと思えない」という問題が当たり前の事として受け止める事が出来、少し心が楽になるのではないかと思います。

ヒト科の類人猿をはじめとした人間の進化は、心の進化の歴史でもあります。しかし心は石器や化石として残るものではないので、証明のしようもありません。
ですが、このような仮説が生き辛さや心の整理に少しでも役立てる事が出来れば幸いです。

最後に


ヒト科の猿の性行動はクロスオーバーをしている部分も多く、人間に至ってはその特徴や形質が少しずつ受け継がれたまま進化をしているので、その考察もかなり複雑なものになってゆきます。
考えや理解が及ばないまま、もしくは生態を完全には理解しないままに解釈をしてしまう事もあるかと思います。
もしも気になる点や疑問があれば、お気軽にコメントを頂ければ幸いです。


【参考資料・出典】

ゴリラ - Wikipedia

ゴリラ - Wikipedia


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