見出し画像

蝦夷錦 二. 戦国期の北海道 小説

前回の話。マキリを巡る諍いで一人の蝦夷が和人に殺された。怒りに燃える蝦夷の大軍が和人地を襲撃。渡島南岸に連なる十二の和人館のうち、十が陥落した。追い詰められた和人は館に籠り、そこへ蝦夷の大軍が迫っていた。


序章   二.   花沢館


「伝令!比石館、落ちまして御座いまする!館主の厚谷右近将様は討ち死!残りも皆討ち取られた様子!蝦夷共の数、さらに増え、およそ二五〇〇!」


雪が解けてすぐに、蝦夷たちは再び押し寄せてきた。

新たに禰保田、原口、比石の和人館が落ち、下ノ国で持ちこたえている茂別館のほかは、上ノ国の花沢館が和人最後の砦であった。

渡島各地から逃れてきた和人で館は溢れ、泥に塗れながら比石から落ち延びてきた者たちが、これに加わった。


「あとひと月、ひと月で館の兵糧がすべて無くなりまする。かくなる上は、城を枕に討ち死にしようぞ。」

「兵が足りぬのだ、兵が!蝦夷の数、我らの五倍ぞ、戦になどならぬわ!」

「ここは館を捨て、皆で落ち延びる他あるまい。山を越えて隠れておれば、陸奥よりの船が来るやも知れぬ。」


軍議の席は紛糾していた。

二年の間、散々な敗戦を喫した和人領主たちは、既に戦意を喪失していた。

比石館に攻め入って潔く散ると叫ぶ者、もはやこれまでと辞世の句をしたためる者、城に籠り自刃して果てるべしと語る者。隣に座る手負いの者を眺め、何も語らぬ者。


生きることを諦めた男たちを押しのけて、一人の若人が立ち上がった。


「皆々様。ここは、黄泉の国に御座いまするか? それがしの足は、まだ三途の川を渡った覚えはない。と、申しておりますぞ!」


数年前、陸奥から渡ってきた和人、武田信広は花沢館の館主、蠣崎季繁の娘婿であった。

清和源氏の名門、若狭武田家の出だという。

上方屈指の名門の出という真偽の程は不明であったが、恰幅の良さを持つ若武者である。

陸奥・出羽で権勢を奮った奥州十三湊日之本将軍、安藤康季の孫、安東師季と共に渡島へ渡ってきたこと。

その師季の娘を上ノ国の守護、蠣崎季繁の養子として娶り、上ノ国の後継者となった経緯もあって、和人領主たちからは一目置かれる存在であった。


「揃いも揃って皆々様、ここに居られるのは和人館の首領ばかりではありませぬか。これだけの皆さまが一同に会することなど、どなたかの葬式でもなければ、この先二度とありますまい。」


男たちは、互いに顔を見合わせた。

個々に戦っていた領主たちは館が落ちてしまい、逃げ果せた者たちのほとんどが花沢館に集まっていた。

生きるている者、手負いの者、死にかけの者と様々ではあったが、館には渡島の武人、ほぼ全てが集っている。


「皆が一つとなって戦えば、勝ち戦に酔った蝦夷共の鼻を明かすことなど、朝飯前では御座らぬのか!」


信広の義父、花沢館主の蠣崎季繁が、居並ぶ他の和人領主たちを一喝した。


「このまま黙って三途の川を渡れば、一矢報いてから冥府に赴かねば、先に死んでいった者達に申し訳が立たぬ。我ら渡島武人の本懐、果たそうではないか!」


そうじゃ、そのとおりじゃと、領主たちから声が上がった。


「しかし敵方は二〇〇〇を超える大軍、こちらの手勢は五〇〇に足りませぬ。いかにして、戦いましょうや。」


覃部館主、今井季友の言葉を聞いて、男たちは再び黙ってしまった。

海のように押し寄せてくる大軍。これまで圧倒的な数で館を囲み、すべてを呑み込んできた蝦夷共。兵力差は歴然、討ち破るのは至難の業である。


「頭目の首。」


手にした扇子でポンポンと、蠣崎季繁は自分の首根っこを叩いてみせた。


「これだけを、刎ねればよいのではないか?」


今井季友は唖然とした。他の館主たちも唖然とした。それが出来れば誰も館など失わぬと怒号が上がった。


「蠣崎様。蝦夷の頭目の首だけを、どのようにして刎ねろと。」

「物見の船が戻って来おった。コシャマインはいま、宇須岸の館に居る。」


男たちは驚きの声を上げた。宇須岸は山を越えた下ノ国の館である。


「比石を落とした蝦夷の中に、確かに蝦夷の頭目は居なかった。」

「二〇〇〇を超える兵から一人の男を探すのは難儀だが、居場所が分かっているのならば、打ち取ることも無くはない。」


次々と上がる男たちの声。それらが落ち着くのを見計らって、季繁は己の策を語りはじめた。


「まずは、こうじゃ。比石に居る蝦夷共を上ノ国深くに誘い込み、この館に釘付けにする。花沢館は我ら和人最後の砦、蝦夷共も多くの兵を差し向けるであろう。」

「もし、花沢館が落ちてしまったら、どうするのです?」

「敵の数は我らの五倍。まともに戦をすれば、我らは負けよう。しかしこの花沢館、ちっとやそっとでは落ちぬ。目の前には天ノ川が流れておるし、すぐ先は海じゃ。蝦夷共もすべての兵を広げることは叶わぬ。                          

あらかじめ夷王山に兵を配しておき、蝦夷共の殿(しんがり)が麓の上国寺を越えたら、一気に山を降りる。天ノ河に蓋をしてしまえば、蝦夷共は山と海に挟まれ身動きが取れぬであろう。」


おお!と、男たちの声が上がり、花沢館の広間が揺れた。ニンマリと笑った季繁は、館主たちに "もう少し自分に寄るように" と言い、小くなった輪の中でさらに続けた。

「ここからが肝心じゃ。我らがこの館に蝦夷共を引き付けておる間、誰かがコシャマインの首を獲らねばならぬ。これは、我らだけでは無理じゃ。茂別館の式部大輔様のお力を借り、宇須岸の館よりコシャマインを誘い出さねばならぬ。」

安東式部大輔家政は下ノ国の守護であり、渡島屈指の実力者である。堅固で知られる茂別館は未だ蝦夷相手に持ち堪えており、配下は勇猛揃いと名高い武将であった。

「江差から茂辺地まで、馬で駈ければ茂別館はすぐじゃ。蝦夷共に出くわさねば、一日も掛からぬであろう。」


男たちは再び顔を見合わせた。北から蝦夷は迫っていない。とはいえ僅かな伴だけで蝦夷と出会せば、命でなく、必勝の策が破綻してしまう危険を孕んでいた。


「問題は、誰が行くかじゃが。」

「義父上、そのお役目、この信広にお任せくだされ!」


間髪入れずに信広が応えた。男たちがこぞって若武者の剛毅を讃える。


「蝦夷共の半数は比石の館、奪われた和人館に二〇〇ずつ兵を配したとすれば、茂別館を囲む蝦夷の数は、おおよそ五〇〇。外と内から呼応して打って出れば、勝機は十分にある。信広、そなたが要じゃ。頼んだぞ。」




僅かな騎馬を引き連れ、信広が茂別館に向かうことになった。

他の館主たちも兵を集め、花沢館と夷王山、二手に分かれ蝦夷を迎え撃つ戦支度をはじめた。

花沢館に残ることになった禰保田の館主、近藤季常は蠣崎季繁を見つけるやいなや、思わず声を荒げた。


「修理大夫殿!敵の大将の居所を掴んでおきながら、なぜ我らに知らせなんだ!」

不意を突かれた季繁は一瞬、驚いてみせたが、すぐ元の顔を見せて応えた。


「右衛門殿。儂も、昨日の夕べまでは知らなんだのじゃ。知っておればすぐ皆々に伝えて御座います。」

「それにしては話が出来すぎでは御座らぬか。婿殿の出陣も、上ノ国で蝦夷を迎え撃つ算段も、少々、整い過ぎではないかと思いまするが。」


この古狸め。

軍議の席でのやり取りを見る限り、この男と若武者が事前に通じてたことは違いなかった。さらに食ってかかろうとする季常に


「近藤殿。どちらにしてもこの戦、勝たねば終わりに御座いまする。我らは兵が足りませぬ。近藤殿がこの花沢の主であれば、如何がなさいましたか。敵の大将首を挙げるほかに、手立てはありますまい。」


季繁は顔を近づけ、近藤季常の目を真っ直ぐに見据えた。

顎下に蓄えられた髭を揺らしながらどすの利いた低い声で語る様は、和人領主同士の会話とは思えぬ威圧感を漂わせていた。


「その策を練るために、我らの館が落ちるを、ただ黙って見ていたと。」


精一杯、張り合ったつもりであった。なんとか声を絞り出した季常を見つめて、季繁は語った。


「この館、上ノ国の一番奥に御座います。蝦夷共がこの館に押し寄せて来るときは、我らが生きるか、死ぬかのまさに瀬戸際、壇ノ浦に御座いまする。ここで我らが負ければ、渡島の和人は海にしか逃げ道が御座いませぬ。この地で生き残るための算段ならば、この修理大夫、何でも致しまする。」


勝っても負けても、この古狸は戦のあとを見据えているのだろう。負けたときの算段も有るのやもしれぬが、それを口にする度胸が季常にはなかった。


「たとえ信広が上手くやったとしても、館が持ち堪えねば戦に勝てませぬ。ここは三途の川の渡り船と思って、この季繁に、船頭をお任せ願えぬか。」


他に選べる道など季常には無かった。

禰保田の館は落ちてしまい、一族郎党落ち延びてきた身の上、これより先には逃げる土地もない。先のことを考えれば頭が痛くなる季常だったが、男の船に乗るほか道はなく、黙って頭を下げた。


「どちらにせよ、我らは手負いの寡兵、敵は大軍に御座いまする。近藤殿、この戦に我らの命運が懸かっておりまする。渡島の地で我ら和人が生き残るか、否か。渡島和人の行く末 、最後まで見届けようぞ。」




精鋭二〇〇を率い、蠣崎季繁は夷王山に布陣した。いまにも溢れそうなほどの雪解け水が麓の天ノ川を流れ、海へ注いでいる。

歩ける場所はどこも泥だらけの渡島の春。天ノ河の町からは人の気配が消え、遠く比石の館から黒煙が昇っていた。

比石の館から夷王山までおよそ四里、四里の道を蝦夷共が渡りきったとき、和人の命運も決まる。


死ぬまでの道か、生き残るための道か。


迫り来る蝦夷共の姿を思い浮かべ、季繁の心の臓は今にも飛び出そうなほど高鳴っていた。



「義父上。この戦に勝ったとして、義父上は渡島を如何がなさる腹づもりか。」

出立の直前、僅かばかりのときであったが、馬上の信広が声を掛けてきた。

目鼻立ち整い、隆々とした筋骨に具足を纏った義理の息子。季繁の思う以上に、出来た男であった。


「そなたを婿に迎えたは間違いではなかった。信広よ、蠣崎家中も渡島も、そなたが思うようにすればよい。儂はそう思うておる。」

それならばと、信広は、義父に向かって自分の胸の内を晒した。


「義父上、蝦夷共と戦うは、道理にかないましょうか。彼の者を仕留めたとて、蝦夷との戦、しばらくは続きましょう。」


敵の大将首を狙おうというときに、信広は義父に戦の本質を問うた。コシャマインを討ったとて、渡島に泰平が訪れるわけでは無い。

和人か、蝦夷か。

どちらか一方が死に絶えるまで戦は続き、さらに多くの血が流れる。


「そなたの言いたきことは分かる。分かるが信広、今我らが負ければ渡島の和人は一人残らず滅びようぞ。まずは、まずは生き残らねばならぬ。生なくしては、その道理を語ることも出来ぬのじゃ。その先のことは信広、そなたのような若い者たちが、しかと考えよ。」


義父の言葉を聞いた信広は馬の手綱を引き、そのまま振り返ることなく砂浜を駆けていった。慌てて五騎ばかりの騎馬武者があとを追う。

単騎、駆けていく息子の姿を、季繁は自分の脳裏に焼きつけて、しばし離れなかった。




「伝令!比石館の蝦夷共、動いて御座いまする!真っ直ぐこちらに向かって来る様子、その数およそ二〇〇〇!」


辺りにはまだ少し雪が残っている。土も泥濘んでおらず、震えるほどの寒さはない。


「我らは、ここで滅びる訳にはいかぬ。」


そう季繁は呟き、息を殺して下知を待てと、兵たちに命じた。



前話 蝦夷錦 1.   https://note.com/matterhorn/n/n2f23f4e743c4   (追記済み)

人物・用語説明   https://note.com/matterhorn/n/nf84e68941247

参考文献 :                                                                                                              諏方大明神画詞 諏方社縁起絵巻・下 (東京国立博物館デジタルライブラリ) 新羅之記録 上・下 (函館市中央図書館デジタル資料館)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?