自分の人生にいそがしい!

ある全国紙を読んでいたら、
小学校の頃にクラスでいじめっ子だった女の子が、世界で貧困などに苦しむ子を助けるプロジェクトに携わる一人として取材されていた。(万一、特定されないように一部事実と異なるようにしています)


わたしはその子にいじめられてはなかったけど、
一度、休み時間にお腹をたたかれたことがあった。
痛かったのか、そういうことを理由なくされることが理解できなかったのか、そのシーンをまざまざと覚えている。

一方で、他の子にひどいことをしているのも見たことがあって、そういうこともくっきりと覚えている。指摘できなかった自分の弱さも。

子どものころにされたことって、ほんと確かに、なかなか忘れない笑

当時今より未熟だったわたしは、自分が目を付けられないように、できるだけその子の機嫌を損ねないように、わりと意識して接していたように思う。

彼女の記事を見た時、特に心は揺さぶられず
「へえ~~彼女の人生で何があったんだろう」とだけ思った。いじめる側から、困っている人を助ける側になったなんて。ま、でもそのまま大人になっても危害を加える側になってなくてよかったね〜とひとごとみたいに思った。


でも、こういう考え方ができたのはわたしが30歳だったからだと思う。
もう少し幼かったら、とてもその彼女のギャップに心が付いていかなかった。なんだろう、お腹たたかれて痛かった時のこと思い出して、無駄に落ち込んで、今も痛みがよみがえってたかも…みたいな。

強がりでもなんでもなく、そういうのが一切ない。全然なんです。でも、それってなんでだろうと思って。

そうして考えてみたときに
30歳になって、良くも悪くも、「無関心」という感情をうまくコントロールできるようになった、と気付きました。

言い換えると「人は人、自分は自分」。
いや、ちょっと違うか。
「自分のことに集中していたい」。みたいな感じ。


いい意味で、自分の人生でいっぱいいっぱいにする、というのを意識的にできるようになった。
ま、人間暇だといろいろ考えちゃうっていうのはまさにその通りで。

意識的にいろいろ自分の人生を充実させていくと、ほんと、気にならなくなってくんですよねえ。

最近のわたしは
仕事、夫との時間(夕飯作りも笑)、不妊治療の通院、ユーキャンのペン字講座笑、note(最近さぼりがちでしたね)、読書、ドラマ(夫のネットフリックスを一緒に見る程度)と結構多忙。休日は夫や友人とご飯食べにいったり、カフェいったり、買い物いったり。

なんだろう、そういうのに集中してると、まじで自分の遠くにいる人のことに関心がいかなくなるのだ。
それなりに社会には関心もある。

脳のキャパってかぎられてるから、忙しいと自分なりに取捨選択して、あんまり無駄に「落ち込む」「怒る」みたいなのが本当になくなった。

これからも、そうやって生きていきたいと思う。

楽しいことや関心のあること、大事な人を大事にしてあげられる瞬間にたくさん時間を割いて、
いらない怒りや、いらない悲しみがこれからも減っていくように。
こういうのって、意識次第だと思うんだよな。

だから言い換えると、
例えばその彼女に「これからは多くの人を助けてね!」みたいな綺麗事も一切思わない笑
へー。そうか。じゃっ!みたいな笑

今日も明日も、
そうやって自分の人生と大切な人の人生を豊かに、心安らかに整えていたい。

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