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【あがくる】

数年前の出来事です。昼頃に出かける用事があり、玄関を出た時僕はふとあるものに気が付きました。当時住んでいた木造アパートの二階を出てすぐ下を覗くと我々アパート住人が使うゴミ捨て場が見えるのですが、ゴミ捨て場と駐輪場を隔てる塀になにか白いものが乗っているのです。

階段を降りて確認してみると、僕の肩ほどの高さの塀の上に乗っていたのはウエットティッシュの容器でした。スーパーに売っているようなごく普通の円柱型の容器、ラベルは剥がされ中は空のようです。
その日は「ビン・缶・ペットボトル」のゴミの日でしたから、おおかた他の住民が分別を間違って出したものを業者の方が避けて置いたものだろうと思いました。他の住民というと隣のお兄さんか下の階のおじいさんでしょうが、わざわざ訪ねる程のことでもないし、本人がそのうち気づいて回収するだろうと思い、その日はそのまま放置し用事に出かけました。

その翌日のことです。外に出た僕は、ウエットティッシュの容器が昨日と同じ場所にまだ置かれていることに気づきました。一日では捨てた本人も気づかぬこともあるだろうとその前を通り過ぎようとした時、ある違和感を感じました。ラベルが剥がされ真っ白だった容器の表面にマジックのようなもので落書きがされているのです。見るとそれは子供が描いたような人の顔でした。ひげをたくわえニッコリ笑ったそれを見てよく父の日などにスーパーに貼られているお父さんの絵を思い出したのを覚えています。近所の小学生が落書きしたのでしょう、少し微笑ましい気持ちになりながらその日も通り過ぎました。

翌日の昼頃にもまだそこにそれはありました。しかしまた、昨日とは違うところがひとつ。
顔の絵の上、余白に拙い筆跡でアルファベットが書かれています。
「agacol」、と。
知らない単語でした。なぜか急に目の前の物体が得体の知れないものに感じ、不気味に感じたのを覚えています。
気になりましたがその日は急いでいた為、のちに調べようとその場をあとにしました。

そして家路に着く頃それを思い出し、もう一度見てみようとしたらもう無くなっていました。捨てた人、あるいはアパートの管理人が片付けたのでしょうか。

帰ってからスマホで「agacol」と検索すると結果は0、でした。普通、英単語を打つとトップに和訳されたものが表示されます。それが無いばかりか、いくらスクロールしても似たスペルのサイトやお店HPが出てくるばかりで、「agacol」
なんて言葉はどこにもありません。スペースを入れてみたり色々試してみたのですが結果は同じ、モヤモヤした気分で床に就きました。

それから数ヶ月、そんなことはすっかり忘れた頃、前の職場で仲が良かった後輩と久し振りに飲みに行くことがありました。彼は少年期をアメリカで過ごした帰国子女です。バイリンガルの彼と話している時にふとあの謎の英単語のことを思い出し、なんとは無しに聞いてみました。
意外にもすぐ、知ってますよと彼は言いました。聞くと「agacol」とは最近若者がよく使うネットミーム、スラングであると。未だ連絡を取り続けているアメリカの友達がよくつかうそうです。
意味は「ダサい」「しょぼい」などが近いが、語源は知らないと言います。我々が「ダサい」の語源を知らないようなものでしょう。
スッキリすると同時に、だとしてもなぜそんな言葉を?と新たな疑問が生まれました。

次に僕が「agacol」を思い出すのはそれから数年後の事でした。
ある本を読んでいる時に出会った「tycoon」という単語がきっかけです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、「大物・富豪」などを意味する英単語で、その語源は日本語の「大君」から来ていると。
外交時に日本人が口にしていた「たいくん」という称号がその音のまま伝わり「タイクーン」という単語が生まれたのだそうです。
「agacol」も、もしかしたらその類ではないか、と推察しました。発音すると「あがくる」でしょうか。
「あがくる」 検索。
一件、ヒットしました。休日に神社仏閣を巡るのが趣味だという日本に住む外国人女性の方のブログの一項。とある神社にて、この言葉を耳にしたといいます。以下ブログの一部抜粋です。(転載許可を得ております)

“ すると、本尊の方からなにやら声が…
何かの祝詞かな???あまり聞き慣れない言葉の気がします。「あがくる〜あがくる〜」って何回も言ってる!What??勉強不足ですね(^O^;)”

僕はすぐにこのブログの執筆者さんとコンタクトを取り、神社の詳しい住所などをお聞きしました。いきさつを全て話しても怪しまれるだろうと、「あがくる、という言葉に心当たりがあり詳しく調べたい」とだけ説明すると快く教えてくださいました。ぎりぎり日帰りで行けるくらいの場所です。

当時仕事を辞めたばかりで時間があった僕はすぐに旅支度をし、翌日その神社へ足を向けました。
電車とバスを数本乗り継ぎ、小高い山の登山ルートの途中から入ったところに、神社はありました。こぢんまりとしていて情緒溢れる綺麗な場所です。ただ、この場所になにか物足りないというか、違和感を感じたのを覚えています。

境内には、お年を召した神主さんがいらっしゃいました。柔和な印象の通り、物腰柔らかなその方にいきさつを説明すると、見ず知らずの僕にあるお話をしてくださいました。

聞けばその方はこの神社の宮司さんで、長年おひとりで神職を勤めているそうです。年に数回、掃除や整備の業者が来ることと、たまに登山客がお参りに来ることを除けばほとんど毎日が孤独だそうで、喜んでお話をしてくださいました。

「あがくる」とは元々、ある呪詛の儀式につかわれる呪い言であると。
おこりは分からないが掛けた対象の子々孫々までの不幸を願う儀式であり、それは口伝でのみこの神社の神主の家系に伝わってきたものであるそうです。
とすれば、本尊で神主が唱えていたというのは…と言う考えが顔に出たのか、宮司さんは笑って「それは祝詞で間違いないですよ」と。宮司の言葉を借りれば「毒を以て毒を制す」事なのだそうです。

以下は、宮司さんに聞いた件の儀式の手順を僕なりに分かりやすくまとめたものです。儀式は三夜に分けて行われます。

一日目の夜、術者はできるだけ日中人目に着きやすい場所に柱を建てます。長さは5尺(約150cm)で材質は問わない、と。高さのみが重要なのだそうです。

二日目、術を掛ける者の似顔絵を柱の上部に貼り付けます。

そして三日目、柱に言葉を刻みつけます。「あがくる」、と。

柱が無関係の第三者の目に留まれば儀式は終了、成功すれば術を掛けた者の子々孫々に渡るまで不幸が訪れるとのことです。
「夜とはいえ人目に着く場所で終了まで誰にも見つからずなどあるのか」とか「こんな単純な手順で済むのか」など疑問はあるため、現在伝わっているのは悪用されない為の省略された儀式なのでしょう。

宮司さんにお礼を言い神社を後にした帰り道、僕はある事を考えていました。
数年前、わたしが見た「あれ」は儀式を簡略化したものではないか、という事です。
柱の代替にウエットティッシュの容器、似顔絵、そして「あがくる」が元になったであろう「agacol」の文字。
材料が幾分粗末に感じますが、“ 材質は問わない”とあります。
重要であるという高さについて考えました。五尺、150cmというのは長く平安時代から江戸時代にかけての日本人の大体の平均身長です。
最後の過程“ 第三者の目に留まれば成功”の確率を上げるため人の目線の高さに絵と文字を配置すると決定づけたのではないのでしょうか。
あの容器も僕の肩くらいある塀の上に乗せられていたため、ちょうど僕の目線の高さでした。


だとすると。
そこまで考えた僕は、嫌な汗が背中を伝うのを感じました。
あれが儀式だったとするならば、それを成功たらしめたのは…
それにあの似顔絵、鼻下からあごまで伸びる特徴的なひげが描かれていました。当時いつも出会うと元気よくあいさつしてくれた隣のお兄さんがそのような風貌ではなかったか?
一体誰が?儀式を知り得て、アルファベットを母語とする…

あまりに出来すぎています。僕は、全て偶然であると思い込む事にしました。

以上が、僕が経験したある英単語にまつわる全てです。お読みになって下さりありがとうございます。

執筆後に思い出しました。神社で感じた違和感。
鳥居がありませんでした。

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