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第5章:人と人が繋がることで生まれる価値


現代哲学の社会思想家であるジョン・デューイは、人間の社会的な側面の性質をこのように表現しました。

   個人なくして社会はなく、社会なくして個人は存在しえない。

わたしは常々、人は他者や社会との繋がりを通して、自己成長が何倍にも急速化すると考えています。

自分の持っていない能力や知識を持っている他の人から力を借りたり、その人が持っていない自分の価値を提供することで、人々は支え合い、お互いを高め合い、1つの大きな力となり、より豊かな社会を実現できると考えています。

つまり、人は1人ではできることが極端に限られているので、多様な人たちと協力した方がお互いにとって価値がある、という自分の経験に基づいた考え方です。

noteが生み出す「繋がり」という価値の連鎖

noteを初めて1ヶ月ほど経ちましたが、様々な人が各々のテーマでユニークな考えを発信されていて、本当にとても勉強になります。

その中でも、初めてのサークル加入のきっかけとなった「きゃべつさん」とnote内で出会えたことで、協力や連帯が生み出す大きな力の可能性を再認識しました。

サークル内では、基本的なnoteの使い方や面白い企画などに加えて、きゃべつさん個人が毎日記事を投稿されているため、幅広く膨大な情報量なので、すぐにネタが尽きてしまって諦めてしまう癖があるわたしからすると尊敬の対象です。

そんなきゃべつさんの投稿の中で、わたしがご紹介したいのは、キャベツさんオススメのnoteの達人3名を取り上げられたこちらの記事です。

こちらの記事を通して、紹介されている「のめさん」の運営している心理学サークルに出会うきっかけとなり、心理学を軸に記事を書いているわたしとしては、こうやって人と人が偶然かつ有機的に繋がっていくのだと実感した瞬間でした。

このような出会いに巡り会うきっかけをいただいたきゃべつさんと、心理学をテーマとするサークルを提供していただいているのめさんにはこの場を借りてお礼をさせていただきたいと思います。

他者からの承認と「社会」への帰属が与える影響

「他者からの承認が自信に繋がり、自信がつくと人に優しくなれて、社会にも好循環の価値が生まれる」という自信をつけることの意味についての記事を以前書きましたが、他者との繋がりを通して、その人から自分を受け入れてもらえることで自信のカテになることが経験上とても多くあります。

その中でも、最近わたしががんばれるカテになっている「がんばり仲間」の1人に、イラストレーターをやっている「ちゃーる」という友達がいます。

お互いに異なる目標を持ってnoteで発信をしているのですが、考え方や持っている能力、性格や性別などほとんどの特徴がほぼ真逆の彼女ですが、わたしにとっては非常に支えになっている仲間であり大切な友達です。

2人で夜な夜な何をしているかというと、お互いの良いところをひたすらに褒め合います。

褒めるというよりも、わたしは彼女の尊敬している点を素直に言葉にして相手に伝えている感覚です。

良い気分になって欲しいとか、自分を褒めて欲しいという穿った意図はなく、純粋に素晴らしいものを持っている存在なので、それを直接本人に定期的に伝えています。

結果的に、ちゃーるはわたしに優しくしてくれるので、わたしも自信がついてお互いに価値を高め合っているように感じます。

そんなちゃーると出会えたのは、今勤めている会社の同期入社の友達経由でした。その同期も大親友です。

わたしの尊敬する大親友経由の紹介なので、絶対に素晴らしい存在であることはそもそも間違いないのですが、知れば知るほど、やはり素晴らしい存在でした。

このような経験から、自分にとって価値ある人との繋がりというものは、何らかの夢や目標を持って生きていれば、特に意図せずとも偶然に結びついていくものだと考えています。

この偶然の結びつきの延長線上に、自分が認知および参画できる社会というものが広がり、その社会での自分の存在価値を認識することができた時に、自分が更なる自信を身に付けることができ、より一層社会に価値を発信していくという行動ができているのではないかと、そのように考えます。

人と人とが繋がって社会ができ、自分の社会への帰属と貢献によって、自分の価値を自分で認めることができ、より一層社会に価値ある人間でありたいと努力する活力になるのではないかと、わたしは人間に備わっているこの正の好循環を信じています。

会社もサークルも家族も友人関係も大きさの大小は異なれども、全てが社会です。全てが個人で構成されているので、社会には個人の存在が前提となっています。

加えて、それらの社会の一員として帰属できていることへの幸福感と、それぞれの社会から得られる承認や評価による自己効力感によって、自分の存在価値を自分で認めてあげることができるきっかけになると考えます。

したがって、やはりデューイの言葉にある通り、個人と社会は相互に関係し合って成り立っていると言えると思います。

まとめ(現代の「社会」の在り方について考察を含む)

「社会」という言葉は、そもそも英語のsocietyの訳語として明治時代に作られたものですが、このsocietyの語源をたどると、16世紀半ばにラテン語のsociusという言葉から転用されたものでした。

sociusの意味は「思いやり(compassion)」です。

つまり、現代における「社会」という言葉を支える大前提の意味として、「思いやり」というニュアンスが含まれていることを考えると、社会は個々人の思いやりによって成り立っていなければならないということになります。

しかし、世間を見渡すと、SNSで心無い誹謗中傷をして特定の個人を追い詰めたり、有名人を匿名で煽ったりと、なかなかどうして「思いやり」にかける社会が目の前に広がっています。
※SNSも個人が集まって構成されているので「社会」の1つです。

人のこころをテーマに記事を投稿している身としては、このような思いやりにかける言動をすることで負の連鎖が止まらなくなる社会を目の当たりにすると、非常に心が痛くなります。

本来、社会はお互いに思いやりながらお互いの価値を育んでいかなければならないはずなのに、いざ匿名となると不満のはけ口として他者を追い詰める行動をとってしまうというのは、わたしはその人の自信のなさから生まれるものではないかと常々考えています。

人から承認されたり優しくされたりして、自己の価値を自分で認識できたときに、人は自信を持てると思います。

そのように自信を持った人は、決して他者を苦しめようとか痛い目に合わせてやろうという負の感情ではなく、優しさの還元をしたいと思えるはずだと信じています。

なので、この記事を見た方から率先して、人に思いやりを持って接することで、その人からの感謝をもらい、その感謝をカテとして、また次の思いやりを提供し続けるという正の好循環を生み出していっていただきたいと切に願っています。

わたしも時たま大切な人の欠点をむやみに指摘したり、些細なことで感情的になったりすることがあるので、その度に、「思いやりが社会と自分を豊かにしていく」という呪文を唱えるようにして、すぐに謝罪して反省し、心を改めるということを繰り返しています。

この記事を通して、みなさんも「社会」と関わる時には、デューイの言葉や、社会のそもそもの語源を思い出して、「思いやり」を持った言動を心がけていただけるきっかけとなれば、心から嬉しく思います。

3,000文字を超える長文となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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