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10代の頃に読めなかった『希望の国のエクソダス』を10年越しに読んだ感想

中学生だったか高校生だったか定かではないのですが、とにかく10代の頃のことです。
Twitterのタイムラインにこんな言葉が流れてきました。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

出典:『希望の国のエクソダス』(村上龍,文藝春秋,2000,P.271)

とんでもない衝撃とともに、恐ろしいまでの納得感、負の共感を与えられた言葉でした。

当時10代の私には、「希望」なんて一切なく、社会に出たいなんてことも微塵も思っていませんでした。
その頃について書いた短文のnoteがあったので貼っておきます。

生きる意味を失っていた私の心にすらも鋭く刺さり、ただ「読みたい」という気持ちの反面、紡がれる予想できないストーリーに耐えられる自信がなく、ずっと読めずにいました。

今年に入り、ようやく、ようやく私は私の人生に少しの希望を見つけることができ、今なら読める、今しか読めないと思い、実に10年以上越しに『希望の国のエクソダス』を手にしたのです。

私がなぜわずかな希望を見つけられたのか、きっかけとなった出来事についてもこちらのnoteに書いています。

いざページをめくってみると、『希望の国のエクソダス』は20年以上前に書かれた作品だというのに、驚くほど「いま」とリンクしていました。

戦争、金融危機、教育問題、高齢化…小説内のあらゆる出来事が、2022年の今もまさに起こっているのです。
教育問題にいたってはまるで予言していたかのような、過去からの警鐘すら感じました。

そして主人公の関口や中学生たちが、これも信じられないほど「いまの私」「過去の私」と通じるものがありました。

10年以上前には読めなかった作品だけれど、いまの私だから読むべきで、そのタイミングで再び巡り会えた作品だと思えました。

この小説で作者が伝えたかったことをきちんと汲み取れているかはわかりません。
けれど少なくとも、この国で生きていくにはやはり希望や夢が必要なのだと思います。
欲望ととても似ていて繋がっている、何かを求める心。
そして現実として勝ち得るためには力が必要です。

実現する力、めげない力、信じる力、立ち上がる力。

叶えられたとしたら、次なる希望や夢を描くことも。

一度絶望を味わい、ようやく希望を見つけられた私でも、だからこそ若い命に残せるものがあるのなら、それに懸けたいと、そう思える作品でした。


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