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私の存在を肯定してくれた2つの言葉は、2022年に希望をくれた

苦しみの1年

2021年、私の人生は何度目かの暗黒期を迎えていました。

仕事が苦しく、できない自分が不甲斐なく情けない。
それによって好きな趣味に懸ける気力もなく、さらに気分が沈む。
悪循環そのものでした。

自分なんて役に立たない人間で、消えていなくなった方がいいんじゃないかとすら思っていました。
(前も書きましたが、死なないことだけは決めているので、自ら命を絶つことはしません。)

元々ネガティブ思考のため、これまでも様々な心理的アプローチで自分を鼓舞してきたので、なんとか過去の知見から自分自身を必死で支えていました。

早く1日が終わればいいのに。
早く休日になってほしい。
そう思う日々が続いていました。

そんな時に私を救ってくれたのは、友人と同僚からの言葉です。

友人からの言葉

数年前に遠方へ引っ越した友人がいました。

2021年に関東に戻ってくることになり、ご飯に行った時、離れていた間の苦労話を聞きました。

私はただ聞くことしかできず、友人が一番辛かったときに何もできなかったことが悲しくなりました。

しかし一連の話を終えたあと、「こうやって話を聞いてくれる人がいてよかった。あなたがいてくれてよかった」と言ってくれました。

何もできないと思っていたのに、私の存在に感謝してくれるなんて思ってもいなかったのです。

普段たくさんの人に支えられ助けてもらっているばかりだと思っていた私でも、こうして大切な人の支えになれていたんだと、心から嬉しくなりました。

同僚からの言葉

私は2年前に「やりたい」と思ったことができる部署に異動希望を出し、それが叶い、今後も続けていきたいと思っていました。

しかし望まれるような速さで成果を出すことができず、会社として優先度が下がってしまったために、体制強化の目的で新しくアサインされた仕事の比重が増え、私のやりたかったことは休止せざるを得ませんでした。

私の実力不足なので仕方ないと思っていましたが、じゃあ私はなんのためにここにいるんだろうと思うようになってしまいました。

そんなある日、産休に入る同僚から連絡が来ました。

彼女は細やかな配慮のできる穏やかな人で、誰にでも優しく、私にはない視点を持っている人でした。

これまで言えなかったお礼を伝えると、「あなたが一番やりたかったことを抑えてまで色んなプロジェクトに入ってくれて、この部署を支えていたのはあなただよ」という言葉をくれたのです。

そんなふうに思ってくれていたのかと、涙を流したし、これを書いている今もそうです。

私は犠牲を払ったのではなく、部署の役に立っていたと思っていいんだと、存在を肯定してくれた大きな大きな一言でした。

言葉は人を救う

どちらの言葉も2021年12月に貰ったもので、これまで暗く沈んでいた私の心にパッと光が差しました。

心が軽くなり、2022年に向けて希望を抱くことすらできました。

そして今。

今も仕事でミスをしてしまいますが、以前の私なら何日も落ち込んでいたであろうシチュエーションでも、割り切って捉えることができるようになり、次へ次へとどんどん進んでいこうという気持ちを持てるようになっています。

言葉は時に鋭い刃となることもありますが、勇気づけたり希望を与えたりもできるんだと、身を以て体験した出来事でした。

私もまた、誰かにそんな言葉を送れるような自分でありたいと思います。

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