ゲームクリエイター、事業会社のデザイナーになる
こんにちは、ラクスル株式会社のデザイナー、松倉です。
この記事を書いている年の瀬の今、保育園が冬期休業に入り、2歳の双子を自宅保育しながら必死にカタカタ作業しています。
思えばこの1年間はキャリアの重要な転換点だったので、新年を迎えて新しいことに挑戦したい方の背中を押すために、ここ数年の振り返りをいたします。
元々何をやっていたか
アートディレクター、キャラクターデザイナーとして出発したキャリア
新卒で入社した会社で最初にやり遂げたのは、新入社員研修期間中にデザイナー主導でプランナー、エンジニアと3人チームを結成し、2週間でオリジナルライトゲーム(1プレイ数分でゲームのサイクルが終わる、広告で収益を得るタイプのゲーム)を作ってリリースしたことでした。
当時大流行していたゲームジャンルで、目新しさや操作性の面白さを求めた結果、独自のシステムを編み出して特許の出願に至った作品です。
その時のフルスタックな経験から「デザイナーとしての役割を限定せず、良いプロダクトを作るために何でもやりたいし、たぶん私はそれが実現できるタイプの人間だ」と考えた私は、その後ゲームのアートディレクター、キャラクターデザイナー、UI/UXデザイナーとプロダクトに合わせてコロコロ役割を変え、最終的に「どれだけアートワークが美しくても、ゲームシステムが優れていないとお客様は支持してくれない」と気づいた私は、「プロダクトそのものを設計・コントロールできるUI/UXデザインに絞ろう」と思うに至りました。
その後UI/UXデザイナーとして転職した会社では、UI/UXデザインを自分で作ることもあれば、制作会社のディレクションを行なうこともあり、デベロッパーリレーション、クリエイティブスーパーバイザーなどと、その時の会社やプロダクトの状況に合わせて自分のプレイスタイルを変えるやり方はそのままに、ものづくりを楽しんでいました。
事業会社への入社
前職在職中に夫のアメリカ転勤が決まり、同行を選択した私は前職を辞め、場所を問わず働けるフリーランスのデザイナーとなり、その後2年ほどスタートアップ企業のデザイン業務全般に携わっていました。
その頃、前職を辞めてすぐ出産し、育てていた双子は長く待機児童状態が続き、(双子の保育園は同時入園が基本となり、2人分の枠確保が難しいために待機児童になりやすいのです…)家庭で育てながら仕事をしていたのですが、2023年の春にようやく子供を保育園に入れられて生活が安定した夏頃、前職の同僚だったジェイさんに声をかけてもらい、入社に至ったのでした。
入社してから4ヶ月
入社してからは、「顧客体験を継続的に実現するための組織と仕組みをデザインし、事業と企業の新たな価値を創出すること」を自分のミッションに掲げ、必要に応じて役割、階層、所属を越えてコトに向かう日々でした。
ラクスル エンタープライズ
印刷事業のラクスルの企業向けサービスで、多店舗・拠点からの販促物作成、依頼をとりまとめての印刷発注など、負荷の高い業務をシステムによってラクに、安価に管理し、販促効果を最大化するサービスを提供しています。入社して最初にジョインしてから今も所属しているチームで、最も思い入れがあります。
チームジョイン当初、toBの事業は完全に未経験で、比較的得意だと思っていたコミュニケーションデザイン領域の知見はtoBマーケティングの仕組みの違いによって殆ど役に立たず、売上を左右するのはセールス手腕の比重が大きく、中途入社ならではの「強くてニューゲーム」の「強くて」の部分が、デザイナーとしての基礎力でしか担保できない、自分にとって非常にハードな状態でスタートしました。
プロダクトの構造や、そもそもtoBの事業がどういった仕組みで回っているのかを知るために、毎日セールスの商談録画を観たり、資料を漁ったり、本を読んだりしてチームに食らいついた結果、プロダクト課題に向き合うデザインができるようになり、今は胸を張って私はエンタープライズチームのデザイナーです!と言えるようになった気がします。
12月からはデザイナーのMokaさんにエンタープライズチームの仲間になって頂き、プロダクトに割けるコストが爆上がりしたのを活かして、今後はユーザビリティ向上、顧客課題の解決、トンマナ管理やデザインシステムの運用などに関してコミットしていきたいと思います。
コミュニケーションデザイン
組織的にはプロダクトデザインチームに所属しているものの、入社1ヶ月後にコミュニケーションデザインサイドの立ち上げに人手が必要という話を聞き、そこから2ヶ月ほどプロダクトデザインと並行してコミュニケーションデザイン領域の仕事をしていました。
具体的には、各職種の採用業務で生じるデザイン制作物や、採用サイトの改修、コーポレート系アセット、IR資料の制作などに対するサポートや、時には実制作を担当しました。
フリーランス時代はマーケター不在の状況でコミュニケーション設計をしており、その時の知見がそのまま応用できてかなり楽しいお仕事でした。
今はプロダクト側の割合が多くなっていますが、RAKSULのブランドを育てていくために有効な施策はいくつか考えているので、合間に実行していきたいところです。
Design Strategy Div.
ノンデザイナー向けの勉強会、デザイン寺子屋でFigma講座を開いたり、採用イベント出展に携わった他、基本的に業務時間の4-6割は他のメンバーのサポート…例えば、1on1やクオリティチェック、業務遂行をスムーズにするための環境構築に費やしていました。
割合がかなり多い気もしますが、デザイン組織の「お互いの専門性と多様性を尊重し、各々が強みを発揮することで、3つの成長(事業、仲間、個人)に寄与する」というビジョンに忠実に向き合った結果、個々の強みを引き出すためのパーソナライズされた情報提供や業務環境を構築するために比重が大きくなりました。
その状況下で自分自身のプレーヤーとしての活躍を維持する場合、単純に考えるとプロダクトに向き合う時間を増やせばバランスを保てるのですが、生憎こちらは2歳の双子の母で、家にはいつも母の帰りを待つかわいい子供たちがいます。独身時代のようにがむしゃらに働けばいいというわけではなく、集中の質と持続時間を高めて時間を有効活用することによってなんとか仕事のクオリティと家庭の平和を両立しながらアウトプットしていました。
RAKSULに入社してどうだったか
RAKSUL入社前に飽きるほどに掛けられた言葉があります。
”エンタメ事業からビジネス系事業なんて、やってることが全然違うじゃない?”
そもそも私はゲーム事業を辞めてからフリーで2年ほど非ゲームのtoC系スタートアップのデザインをやっているので前提から間違っているのですが、ゲームのUI/UXを設計していた頃も体系的にデザインについて勉強していたので、RAKSULに入ってユーザーリサーチから丁寧なプロセスを踏んでプロダクトを改善したり新機能を作っていく場面で何ら違和感なく業務を進められました。
個人的にはゲームを作ることとビジネスを作っていくことに大きな差異はなく、顧客と向き合いユーザビリティを高め、売り上げを上げて企業に貢献する点で共通していると考えていますが、世間の”ゲーム”に対する印象の悪さ、そして元ゲームクリエイターがビジネス領域に転職した際にワークしなかった複数の実例を目の当たりにして、どうやらそう考えている人間はあまり多くはないのかもしれないと思うようになりました。
そんな中で、RAKSULはスタートアップデザイナー時代の実績だけでなく、ゲームクリエイター時代の経歴を本質的に理解し、一切のバイアスなく成果を受け入れ、高く評価してくれました。幸いにも他に私の過去の業績を高く評価してくれた企業は何社かあったのですが、RAKSULからは最も深い理解が得られました。RAKSULを選んだ理由は他にも企業ビジョンの崇高さとそれへの共感などもあるのですが、最も響いたのはバイアスをかけずに自分を理解してくれることであり、その心地よさは入社してしばらく経った今でも続いていて、入ってよかったなぁとしみじみ思っています。
2024年で頑張ること
入社してからの4ヶ月は成果を出すための仕込み的なお仕事が多かったので、今後はプレイヤーとしての成果を追求していきたいのと、ノンデザイナーのデザインリテラシー向上、デザイナーのスキルと知識の均一化、そして勉強会を軸にした社外とのコミュニティ形成、そして何より、マネジメントへの本格的チャレンジの5つの実現に向けて頑張っていきたいと思います。既に年明けに向けていくつか準備をしていて、その実施と効果の観測を楽しみにしています。
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