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まずは一献、それとも一句?「居酒屋ホヤケン & 古書ほやけん洞」でことばと戯れる。

「ほやけん、~」→「だから、~」「せやけん」 - 「~やけん(きん)」など変形として使用される。「ほやけんね、あんたのことが好きゆうて言いよるんよ──。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「伊予弁」より

松山のキャッチフレーズとしてよく知られている「いで湯と城と文学のまち」。日本最古の温泉といわれる「道後温泉」は、松山に観光で訪れる際には外せないところだし、言わずと知れた俳人の正岡子規と文豪の夏目漱石が連れ立って入りに行ったという話もあるぐらいだ。「松山城」は連立式天守を構えた平山城として、また、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつとして名を馳せている名城で、天守からは誰もが殿様目線で松山の街をぐるりと見渡すことができる。そして、街のそこかしこに意識を向けると、アーケードや街灯のタペストリー、路面電車にまで郷土を意識した「ことば」が掲げられていることに気づく。小学生は授業で俳句を詠み、夏は「俳句甲子園」で会場となる大街道が高校生たちの熱気で沸く。その気になれば誰もが投句できる俳句ポストも街中に設けられているなど、松山は「文学のまち」と言ってもいいのかもしれない。ただ、悲しいかな、文学を扱う場としての本屋は随分と減ってしまった。そんななか、松山随一の歓楽街で文学の香りが色濃く漂うお店があるという。新しい年が開けて間もないある日の夕刻に「居酒屋ホヤケン」の暖簾をくぐった。

スピリッツ・プラス・ワン

実は店を営む門屋かどや夫妻とは、同じ本屋仲間として以前から知っている仲だ。今年で創業してから23年目を迎えたホヤケン。表の看板に「酒+1」と書かれた文字を見つけて、ジャン=リュック・ゴダールの映画『ワン・プラス・ワン』が頭に浮かび、なんだか文学的だなあと感じ入る。
メニューはクラフト生ビールに日本酒、焼酎、ワイン、カクテルとなんでもござれ。愛媛のポンジュース割りも人気だし、お酒が呑めない人は深煎り煎茶の「狭山茶さやまちゃ」を。さかなはイワシの丸干し、いぶりがっこ、カマンベールやっこや柿と生ハムなんていうのもあって、呑んべえには嬉しいラインナップとなっている。

紙とんかつや玉子焼きにカレーライス、焼きそばと食事メニューも充実。ホワイトボードには日替わりのおすすめが並ぶ。さて、なににしようか──。

ご主人の哲司さとしさんは松山のご出身。東京で過ごした大学時代の同級生のなかに、後にパートナーとなる朋子ともこさんがいた。卒業後はひとまず東京で就職したのだけれど、将来は地元の松山で自分のお店を持ちたいという思いが強くなったことからUターンを決意する。
「会社勤めをしていたんですけど、居酒屋とかBARだとか、そういったものも含めてなにか飲食店をやりたかったんですよね。それで2000年に地元に帰ってきて。物件ありきだと思ってたので、ここの場所が見つかった時に居酒屋がしっくりくるのかなと」

学生時代からずっと一緒に時を過ごしている哲司さんと朋子さん。長続きの秘訣も伺いたい。

A面は居酒屋でB面は古本屋

居酒屋ホヤケンにはもうひとつの顔がある。それが古書ほやけん洞だ。居酒屋として順調に歩んでいた門屋夫妻だったが、そのころ店のお客として通っていた古書猛牛堂の店主 田房哲夫たぶさてつおさんから、松山の古本屋も少なくなってきて寂しいという話を聞かされる。若いころから本は好きだったこともあって、その流れから本屋の世界にも関わってみようかなという気持ちが芽生えてきた。田房さんは自身も長きに渡って古書店を営んでおり、松山の古書籍商組合の会長を務めていたこともあるこの世界の大先輩だ。
「古書を扱うようになったのは、「松山ブックマルシェ」が始まる少し前だったので9年前ぐらいかなあ?東京で本を扱う呑み屋さんがあったことを思い出して、居酒屋プラス古本っていうのも面白いんじゃないかなって──。田房さんが古本はちゃんとやれば儲かるし、長く続けられる商売だからといって背中を押してくださったんです。古書籍商組合にも入ることができたのはありがたかったですね。昔話をしていた時にわかったことですが、田房さんも東京で商社マンだった時代があったそうで、私が勤めていた会社の倉庫に出入りしていたんです。いやあ、ご縁があったんだなあと」

お店の入り口には100円〜200円を中心としたお買い得コーナーが。ここを覗くだけでも楽しい。

お店の前には古書店で均一棚(ワゴン)と呼ばれるお買い得価格の古本が箱にずらりと並べられていて、文庫や新書判のほか雑誌や漫画まである。『これだけ知ってれば恥をかかない! 仏事110番』の隣に秋川滝美の『居酒屋ぼったくり』が挿しこまれてあって「ちょっと、ちょっと」なんて思わず苦笑い。店内に入るとカウンター後ろの壁面に本棚が設けられているのが見える。あえてジャンル分けをせず棚におさめられた本は眺めるだけでも楽しい。蔵書は外の本と合わせて1,200から1,300冊ほどはありそうだ。
「本好きのお客さまが多かったので古本屋を始めるってなった時に本の寄贈も結構あったんですよ。そこからどんどん増えていって──。入店されたお客さまから「ここって何のお店ですか?」なんて尋ねられることもありますよ(笑)」
朋子さんも続ける。
一見いちげんのお客さまは販売している本だということをわからないことが多いんですよね。喫茶店に置かれてるような雑誌や漫画のような感覚でしょうか。「読んでいいですか?」って本を開いて価格がついてることに気づかれるんです。「え!これって売り物ですか!?」なんていうことはしょっちゅうです」

阿刀田高の『夢判断』はブラックユーモアが効いたちょっと不気味で怖い14編からなる短編集。
オールジャンルの本がひしめく壁面の棚。俳句関連の本だけは奥にある個室スペースにまとめられている。

俳句BARという顔も持つ

ホヤケンは俳句居酒屋としても名が通っている。なんでも希望される方には俳号までつけてもらえるサービスがあるのだ。俳号とは俳句を作る際に用いる雅号がごうのことである。以前ぼくの店に来られたお客さまから、愛読書の『西瓜糖の日々』(※アメリカの詩人 リチャード・ブローティガンの代表作)にちなんで「西瓜糖」という俳号をつけていただいたというエピソードを聞いて知ってはいたのだが、その経緯いきさつに興味があった。
「そもそもは松山市のインバウンド政策や観光誘致策のひとつとして2017年に俳句BARをつくる企画というのがあったんですよね。松山で夜の街を案内するのに俳句BARっていいんじゃないか?ということで松山市と旅行会社のJTB、それに『100年俳句計画』っていう俳句雑誌を出されてるマルコボ.コムさんが内容を考えて、ぜひウチに俳句BARになってほしいと。各店ごとに何か独自のサービスがあった方が特色を出せることもあって、ウチは俳号をつけることを始めたんです」

俳都、松山の夜を俳句BARで満喫。海外の方にも伝わるよう日/英表記で。
日本語訳付きの「HAIKU Guide Book」でふむふむと予習を。「HAIKU BARカード」は、俳号をつける時に使うほか、一句詠んで書きつけてもいい。

俳号をつけてもらうのはサービスだから、プライスはもちろん0円だ。
「でも普通に居酒屋として呑みにいらっしゃった方だと、そういう流れにはなかなかならなくて。松山観光で、俳句BARということがわかって来られた方はやる気満々だったりしますよ(笑)。俳号をつけるときはこのカードに名前を書いていただくんです。趣味とか出身とか年齢や特技とかプロフィールも一緒に。まあ、なんでもいいんですけどね。そこに書かれたキーワードからひらめいてつける感じかな」

俳号をつけるのは哲司さんだが、ちょっと考えあぐねた時には朋子さんのアドバイスも参考にされるのだとか。
「私はチェックする役割ですね。これじゃあ、女の子は納得しないだろうから、もうちょっと可愛いのにしてあげたらとか。カードはお客様と仲良くなるためのツールとして捉えています。松山で過ごした良い思い出になりますしね」

俳号記録用のメモはもう何冊目?右隅には「328」の数字が。

俳号は記録としてメモに残しているそうで、最新では328。なんと今まで328名の方に俳号をつけているということだ。(※取材当日は2023年1月5日)
「たとえばこの田中泥炭たなかぴーとさん。彼が俳句をやる前から知っていて。楽器だとスコットランドのバグパイプ、お酒だとスコッチウィスキーやアイリッシュウィスキーが好きだということを聞いて、じゃあ泥炭ぴーとがいいだろうって。泥炭って書いて“ピート”って読ませるのってかっこよくないですか(笑)?(※ウィスキーの独特な風味づくりに欠かせないピートは、スコットランド北部の原野に多い野草や苔類などが枯れて堆積した後に炭化したもの)彼は2022年の5月に「芝不器男しばふきお俳句新人賞」を受賞したんです。ぼくが名付けた中では出世頭。もう、めっちゃ嬉しかった(笑)」

芝不器男俳句新人賞は、4年に一度、愛媛県松野町出身の俳人・芝不器男にちなみ、新鮮な感覚を備え、大きな将来性を有する若い俳人に贈られる賞で、明日の現代俳句を担う俳人の登竜門だ。

ビートニク作家も一句詠む

海外の人はノリがいいので俳号をつけてほしいというオーダーがよくあるそうだ。
「イングリッシュ俳句っていつも話題になるんですよね。漢字の俳号をつけると喜んでいただけますし、俳句好きな方は日本文化に親しくて、私たちよりずっと日本を楽しんでいらっしゃいますよ」

そうそう、アメリカの文学界で異彩を放ったビート・ジェネレーション作家のジャック・ケルアック。代表作はアメリカ大陸を放浪した時のことを綴った自伝的要素の強い『On the Road(オン・ザ・ロード)』だが、彼も島崎藤村や松尾芭蕉の俳句を読み漁り、俳句をたしなんでいたそうだ。
「ケルアックはいい加減な……いや失礼(笑)、身近なことを詠んだ句が多いよね。あんまり覚えてないけど、冷蔵庫を蹴っ飛ばそうとしたら勝手にドアが閉まったとか(笑)」
「それはすごくいい句だよね。ケルアックは尾崎放哉おざきほうさいみたいな自由律俳句に近いのかも。よく言えばですけど(笑)」
朋子さんがすかさずフォローする。
話題に出た句はこちらで、短い三行詩のように詠んでいるのが特徴的だ。

Missing a kick  
at the icebox door
It closed anyway.

 『An English and American Literary Calendar─Spring  英語歳時記/春』(1968年 研究社 刊)海外からのお客さま用にこんな本まで備えられている。

「そういえば一度も来店したことがない方から電話があって、「緊急に俳号が必要なのでつけてほしい」っていう依頼もあったんですよ。緊急にって、どういうこと!?......なんてびっくりしたんですけど、それはつけてあげました(笑)」

ヴォイドとトケコ

こんな感じで門屋夫妻と話しているととても楽しい。ちなみに哲司さんの俳号は、暮井戸(ヴォイド)。20世紀を代表する彫刻家・デザイナーのイサムノグチの代表作「エナジー・ヴォイド」を見た時にいたく感動したことからつけたそうだ。この黒御影石をつかった巨大な作品は、高松市にあるイサム・ノグチ庭園美術館で鑑賞することができる。ぼくも以前訪れた時に、あまりの神々しさにしばらくその場から動けなかった。
対して朋子さんの俳号はというと時計子(トケコ)とのこと。
中村草田男なかむらくさたおという俳人がいたんですね。彼は「お前は腐った男だ」と親戚からじか面罵めんばされて、それを草・田・男って綺麗に表現して俳号に取り入れたんですけど、私はちょっと気持ちにメルティ(溶ける)なところがあるので、朋子をもじって綺麗な字に当てはめたんです。あ、でも時間にはルーズなんですよ、私(笑)」
字面からは昭和レトロな感じもあるし、いやはやなんともチャーミングな朋子さんにぴったりの俳号だ。

カウンターにさりげなく置かれているミニチュアロッカーのドアを開くと、松山市在住の芸術家 神山恭昭こうやまやすあきさんの木工作品が「こんにちは」。

句は自分を託すもの

居酒屋に古書店。核になるものはそれぞれ違うのかも知れないが、おふたりにとって「俳句」や「ことば」をどうとらえているのか尋ねてみた。
「うーん……難しいなあ。「ことば」はね。ぼくはどっちかというと無口なんで。本当は喋らないといけないんでしょうけど(笑)。喋りは朋子さんに任せています」
なんだかうまくはぐらかされてしまったが、朋子さんが後を続ける。
「彼が先に俳句を始めた時は「枯れちゃったなあ」「おじいちゃんになっちゃったなあ、大丈夫かしら?」とか思ってたけど、いざ自分が俳句をやりだしたらしっくりきて(笑)。俳句はやってみたら楽しいし、お店の営業とは別に月に一度は句会もするようになったんです。同じことば(題目)を使ってるのに全然違う詠み方をするから「ああ、こういう考え方もあるんだ」とかお互いのことがよく知れて仲良くなれるのがいいんですよね。よく比較対象にされる「読書会」や「ビブリオバトル」はパフォーマーとしての自分を前面に出して参加するわけですよね。句会は俳句をつくる行為がパフォーマンスなので、句に自分を託してる部分もあるからおとなしい方でも参加できる。松山って街中に俳句ポストがあるとか、夏休みになると子どもの俳句を通りに並べたり、皆それをあたりまえの風景みたいに普通に過ごしてるけど、考えてみると不思議な街だなあって」

万太郎豆腐のように

昔からの馴染みのお客さんには「敷居が高くなった」とか「そんな店じゃなかったのに……」とか言われることもあるそうだけど、お話を伺っていると、おふたりのお店とお客さまに向き合うスタンスは本当に自然体だ。
「いやあ、居酒屋と古本屋の両方をやってると煮詰まりづらいから、あと30年ぐらいは夫婦でやっていけるよね。もういいように流されていくだけなんで(笑)。久保田万太郎の句で「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」っていうのがあるから、そのうち「万太郎豆腐」なんてメニューをやってみようかしら」

お待ちかねの一杯はもちろん生ビールから。
本棚の上には「NO BALL NO LIFE 」の文字が。正岡子規は雅号のひとつに「野球(のぼーる)」を用いたこともあったとか。
紙とんかつ  絶対と  のたまった君──。秀逸なキャッチコピーとなり得る一句。

日替わりメニュー用のホワイトボードには、昭和98年1月5日(木)と表示が書かれてある。あと2年で100年。ここではあの時代の空気がいい感じでたゆたうように流れているのだ。次は連れ合いと一緒に来て、玉子焼きに紙とんかつ、それにカレーライスをいただくとしよう。口開けの一杯と手にする一冊はなんにしようか──。
「ほやけんなあ、松山でお酒も呑めて本も買えるなんてここぐらいやけん。楽しい夫婦もおってじゃし、ああ、一句、詠んでみられるのもええぞなもし」
なんて、どこからか漱石先生の声が聴こえてきた。


【居酒屋ホヤケン & 古書ほやけん洞】
住所:〒790-0003 愛媛県松山市三番町2丁目5-17
電話番号:090-9250-1839
営業時間:18:00-23:00
定  休  日:日曜日(※連休の場合は原則最終日休み)
web site   :hoyaken.wix.com
Instagram:hoyaken_dou
Facebook:居酒屋ホヤケン&古書ほやけん洞

今回の書き手:越智政尚
松山市出身・在住。「文学のまち松山」でBOOK STORE 本の轍を営むショップキーパー。休日は映画を観たり、レコードを聴いて過ごしたり、暮れゆく空を眺めるのがお気に入り。MORE BOOK , MORE TRACKS。
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